2011-12-31

2011年の11日

11日という日にちには世界中の人たちが敏感に感じる日であろう。世界的な出来事としては10年前の11日、身近なものでは日本で起こったあの月の11日。そして、私個人としては夏の2ヶ月に襲いかかり、最後まで尾を引き未だに続いているあの11日。毎月10日の夜になると「明日は11日か」と思い出し、11日という日にちに恐怖を覚える。

私にとっての「11日」はその後周囲に迷惑をかけ続け、それを受け入れることができる、それを呆れられることができる会社のサラリーマンであったことに救われた。普段は中途半端な会社の規模による意思決定への時間の掛け方、またトップからのメッセージの弱さに不満を感じていた会社であるが、「寄らば大樹の陰」の恩恵を最大限受けてしまった1年であった。これが裸一貫でやっている中小企業や、ベンチャーの会社であったのであれば、バッサリと切られていただろう。また、そういう立場にある友人にはくれぐれも「心身」の健康には注意してほしいと心から願うばかりだ。

「身」の健康は自らの努力である程度確保できるとしても「心」の健康は自らの努力だけでは確保できず、環境や場合によっては努力自体が逆効果になることもある。

「心」の不健康は自分の情熱と好奇心を「身」が駄目になる前に片付けようと身近なものばかりに目を向けさせてしまい、長期的なものに「情熱と好奇心」を注ぐことが不可能になる。長い目で見た成長を全てストップさせてしまうだけの負の力を持っていて、最後はめまぐるしく変化する世の中の動きについていけない人間にさせてしまう可能性がある。それにも不安を感じ始めたら完全に文字通り「負のスパイラル」だ。

そんな評論家的な言い回しで自分の人生を片付けられる訳は全くなく、全ては自助努力で改善できる思っていた。常に全速力を目標にしてきた自分にはあきらめに近く納得できない部分もあるが、夏のあの11日から何ヶ月もたった年末近くになって、今は私が持っている自然治癒力と、それを「阻害しない程度の自助努力」のみが改善策のような気がしてきた。

Jazzのセッションは(曲のテンポではない)全速力でアドリブを重ねあわせて完成される作品であると思うが、自分一人が全速力でやっていても素敵なセッションにはならず、必ずメンバーそれぞれが全速力を出せるように、その時その時で呼吸を合わせながら誰かが全速力のときは退いている人がいるからこそ成り立つものである。その退きは決して後退している訳ではなく、名脇役として全速力の人を際立たせることに集中している。

話はそれたが、後数時間で2011年は全て過去のものとなる。時間は常に過去を生んでいるものであって12月31日に限って過去のものになる訳ではないので何も今ここですべてを振り返ることに意味はないし、2011年に起って今だ引きずっているものがこの日をもって全て清算される訳でもなく、間もなく訪れる2012年も引きずって始まる訳だから振り返ることに意味はないことかもしれない。

あまりにも多くのことが身に降り掛かったこの1年を、手帳を入れ替える前に少し振りみてもせっかく休日の12月31日、悪いことではない。

Chick Corea & 上原ひろみ Duetを聞きながら。

これがなくては1年が終わらない

昨日は大学時代のゼミのOB会。

普段からあっている連中はもちろんのこと(2日連続というものも数名)、年に1回会うか会わない人、ネットでコミュニケーションをとっているけど実際に会うのは数年ぶりの人、いろんな人が参加する我らが児島ゼミのOB会は1年の締めくくりの大事な行事。だから毎年私の仕事の最終日にやっているのだ(この日程にはかなりな人が迷惑を被っていると思う、ゴメン)。

まぁ詳細はFacebookにゆずるとして、2次会で話も出たが顔ぶれには正直「マンネリ感」はなくもない。だけど、この「マンネリ感」がないと、久しぶりの顔にも会えないのがこの会の特徴であって、昨日もやれ「ゴルフ部結成だ」とか「東京部会やるぞ」等、各々かなり盛り上がった様子。おそらく実行されるであろうからまたこの集まりのすごいところだ。

結局2次会から帰ってきたら午前様どころか3:00。起きたら昼で全く持って「ダメダメサラリーマンの年末」を演じてしまったけど、声をかければ新幹線で駆けつけてくれる人もいて楽しい夜だった。

参加してくれたみんな、ありがとう。

https://www.facebook.com/kojimaseminar.net
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http://www.kojima-seminar.net/


2011-12-24

手で書く

友人から年賀状が届いたので(その母親が郵便局勤務でノルマへ協力)、早速書き始め、一気に書き上げた。毎年31日に完成させていたので元旦に届いていない人が多かったろうが、今年は無事元日に届くことができそうである。

今年は印刷部分を大幅に削減し、手書きのメッセージを多く書けるようにした。そして、あえて宛先も手書きにしてみた。


  1. Macにかえて、住所録を入れていない。
  2. 買ったことはないが、年賀状ソフトを入れるのが面倒(意外に高い)。
  3. Wordすら入っていないのでGoogle Documentでできる簡単なものしか作れない。

等の理由はいろいろあるが、最大の理由はたまには「手書きでメッセージを添えてみたかった」ということである。

最近はSNSで地理的に遠い人とでも気軽にコミュニケーションをとることができる。twitterでのやり取りはリアルタイムでリアクションする場合もあり、反射神経に近い。そのため、テンプレート的なメッセージしか発することができなくなっている気がしている。
先日東京へ遊びに行った際、大学時代の友人、先輩等とあったが、普段からSNSでコミュニケーションをとっているため「久しぶり」感はないものの、深い議論というものはやはり「会って」話すのが一番だと認識した。これに感化されたのか、1名横浜から名古屋へ年末に戻ってくることを決めた人間もいる。

もう1点は会社の人への労のねぎらいを言葉にしたかったことである。30名近い人間を要する部署になると、担当ごとでチームになってしまい、部署全体で一体感を得にくい。また、コミュニケーションも疎遠になりがちになる人もいる。そういった人たちに「ちゃんと見ているよ」ということを、間接的に伝えるために、一人一人にメッセージを添えたかったのだ。
こればかりは自己満足の世界で受け取った人がどう感じるかはその人次第だし、それを意気に感じて今後の仕事に更に力を入れてくれれば占めた物だし、少なくともパフォーマンスが落ちることはないだろう。

「間接的」にメッセージを伝えるのには苦労した。手書きなので頭の中で文章を組み立ててから書かなくてはならないし、あからさまにほめすぎるのもまた気が引ける。女性に対しては割と直接的に「ありがとう」と添え、年下の男性職員には論語の中から好きなものを選んで添えてみた。

手書きをしてみて改めて感じたが、ワープロで作る文章は「書く」だが、手で作る文章はまさしく「作る」である。投函したら最後、もう修正は利かない。ものを作って納品する感覚はこういうものなのだろうか。となると、拙い小生の文字が既に欠陥商品となってしまうが、今更どうにもできない。できる限りの丁寧な字を書いたつもりである。そしてオーダーメイドで作ったつもりではあるが、語彙の少なさから同じようなメッセージになってしまったものも少なくない。それぞれが見せあうものではないのでそれはそれで問題ないのかもしれないが、書いている側からすると微妙なニュアンスの違いを表現してみたいものである。これは教養のなさを痛感するしかない。

手で文章を書く(作る)ことはあるようでなかなかない。年に一度、その年の教養の集大成として、手書きの年賀状で自分の力試しをしてみるのも悪くない。

2011-12-11

最高裁で刑事事件を傍聴

最高裁の傍聴券
12月8日に最高裁判所で刑事事件を傍聴してきた。

事前に最高裁へ当日の裁判予定を電話にて問い合わせ(ネットでは公開されていない)、その日は13:30〜本裁判のほかに、15:30〜民事裁判の判決の予定があるとのこと。当初は13:00〜の衆議院本会議を傍聴する予定であったが、現地に到着して衛視に聞くと「今日の本会議は中止になった」とのことであり、こちらの刑事事件を傍聴することにした。

12:55に傍聴券の配布を行うので南門へ集合とのことで15:35頃に現地へ行くとすでに5名ほどの傍聴者がならんでいる。私の後からは地元紙の記者と思わしき男性2名が並び、更に数名が並んだ。傍聴券配布場所には裁判所職員が3〜4名、そして最高裁専門の警備員(正式名称は不明)が1名いる。雨が降っていたこと、および寒さのため予定を繰り上げて12:50に傍聴券の配布が始まった。
傍聴券をもらうと職員が中へ案内する。階段を上がり建物の中へ入るとロッカー室があり、傍聴券、筆記具、貴重品以外の持ち込みは一切認められない。もちろんICレコーダも不可だ。これを持ち込もうとしていた地方紙記者には笑った。
空港さながらの持ち物検査があり、ベルト、靴は身から外さなくてよい物のポケットの中身を全てトレーに入れ、金属探知機ゲートをくぐる。その後階上へ案内され大きなロビーが広がっている。床は花崗岩(と思われる)でできており、そこの固い靴だと「コツンコツン」と音が響きそうだ。ロビー2階に傍聴人待合所があり、呼び出されるまでそこで待つことになる。

13:20頃だったか、職員の先導により階段を上がり法廷のある階へ。そこからは絨毯敷であった。階段を上がり、右手に第一小法廷、左手に第二、第三小法廷である。今回は第一小法廷であった。

最高裁第一小法廷の構図
小法廷の構図は拙いメモ書きではあるが右記の様子である。


  1. まずはじめに職員より「最高裁判所からの連絡事項」が説明される。内容は以下の通り。裁判官入廷時は傍聴人を含め全員が起立することが「慣例」になっている。
  2. 裁判官入廷後、2分間は報道用撮影時間を設ける。

これら以外にも傍聴席からの発言は認められないなど「お静かに願います」的な説明が数点あった。

メモの最下段が傍聴席であるが、その右側の3と書いてあるところは記者専用のようで3人すわれるようになっている。「報道」の腕章をした人物が数名座っていた。傍聴券配布の際は見かけなかったので、おそらく登録制で専用に入廷できるのだろう。右側のと書かれたところも同様であったが誰も座っていない。その両脇の貴社専用席と思われる傍聴席には記帳台が用意されている。ちなみに傍聴券配布に並んでいた地方紙記者と思われる人物は私の隣に座っていたのでおそらく登録されていないのだろう。なお、真ん中の傍聴席には最前列で12名すわれるようになっており、左右の記者席と思われる物も含め、数列用意されている。

私が傍聴席に入った時点ですでに弁護人1名、検事1名、速記者(裁判所でもその呼称でよいのかは不明)2名が入廷済みであった。今回、上告審の初めての法廷であったようで、被告人は同席していなかった。

小法廷の様子は上からセンターに裁判官が入廷する扉がある。観音開きの扉であるが自動扉である様子。裁判官が座る場所はテレビで見るように高所であり法廷内全体が見渡せる位置になっている。下段右側は裁判所職員の出入り口がある。

いよいよ裁判官の入廷である。職員の連絡通り、全員が起立し裁判官の着席に合わせて同様に着席する。そのまま2分間の報道撮影が始まり、裁判官はまだ一言も発しない。職員が後ろで終了30秒前を伝え、2分経ったところで時間経過の案内と同時にカメラマンの退室を促す。確かNHKのカメラマンが入っているのを見かけた。

職員の「カメラ退室しました」の発言の後、裁判長から開廷知らされまず被告側へ陳述書に誤りはないか、また追加があれば発言するよう促す。開廷直前に入廷したもう1名の弁護人が書類を見ながら陳述を読み上げていた。テレビドラマや映画で見るような「気迫あふれるプレゼン」とはほど遠いというのが印象。ただ、ひたすら読み上げていく。検事の様子を見ると退屈そうにしている。

弁護人の陳述の後、裁判長から検察側へ意見があるかといわれ、検事が起立しこちらも用意した現行通りの意見を読み上げるといった印象であり、こちらもイメージを覆される。双方ともに「現行の読み上げ」が終了したところで「次回の日程は追って知らせます、本日はこれにて閉廷いたします」の裁判長の発言により、30分足らずで裁判は終了した。上告審の第1回目はお互いに上告審を行うかの確認をするだけという印象である。その後の証人尋問等、裁判長が述べた「次の日程」がいつになるものなのか想像もつかないが、事件の性質もあり一概にはいえない物の、「日本の裁判は時間がかかる」といわれる理由は何となく理解できた気がした。

今回傍聴を経験して裁判官という「人」を初めて目の当たりにした訳だが、弁護人、検察官ともに書面を読み上げる間、裁判官はほぼ微動だにせず、ただ座って前を向いているだけであった。手元の資料を見る訳でもなく(まず持って何も持たずに入廷した)、身を乗り出して話を聞くこともほとんどない。そこには感情といった物は何一つ垣間みることができなかった。これが裁判における「中立」、そして裁く者の姿勢であるのかもしれない。

最後に、開廷と閉廷の際によくテレビで見かける「木槌を叩く」というものは「今回は」なかった。

2011-12-03

小宮一慶氏のセミナー 備忘録

経営とは・・・

  1. 企業の方向付け。何をやるか。何をやめるか。
  2. 資源の最適配分。
  3. 人を動かす。

コンサルタントは業種ごとの細かいことはわからない。
クライアントは世の中の動き、他者の成功、失敗事例が知りたい。

2007年、パリバショック。
2008年、リーマンショック。100年に1回の不況といわれた。
もしイタリアがデフォルトになると(同時にスペインもなると思われるが)103年に2回の不況となる。
そのような状態に備え、今は借入をしてでも手元資金を増やしておいた方がいい。幸い低金利のため、利息は保険と考える。

現預金が月商の何ヶ月分あるかが1つの指標。
一部上場企業は概ね1〜1.5ヶ月分。
オリンパスは年商8,000億に対し、現預金が2,000億以上ある。一方で自己資本比率は20%を切っていて借入でもっている状態。
(仮説)粉飾決算が明るみに出るのを恐れて手元資金を厚くしていたのではないか?

仮説の検証を新聞を読むことで行う。

3月の震災で様々なことが早くなるのではないか。

  1. 産業の空洞化。海外へ進出。
  2. 財政の悪化。
  3. エネルギー政策→エコ

世の中の変化はビジネスチャンスである。

新聞は1面から読むこと。新聞は知ってほしいことから順番に書かれている。それが世の中の流れであるから、自分の感性をそれに合わせる。読む順番を自分の感性に合わせない。
気づいたこと、数字でも何でもいいから1つでもメモを。

GDPとは何か。付加価値の合計。売上−仕入。給与の源泉。名目GDPが伸びないと給与は上がらない。
1981年のGDPは240〜250兆円。初任給は100千円程度。
1991年は約470兆円。90年代前半の初任給は150〜200千円。
現在のGDPとそれほど変わらないから初任給も変化していない。

GDPにしめる個人消費の割合。日本:55%、米国:70%。

日本は物価が上がらなさすぎる。世界的にデフレは日本だけである。供給過剰。

円高なのに最近の輸入物価は上がっている。
8月は輸入が輸入物価以上に急増。LNGの輸入が増加したため。火力発電は70%がLNG。冬場は電力不足で貿易赤字になるか(仮説)?

直接投資は4月以降マイナスが大きい。企業は最適ディシジョンで海外へ進出している。GDPは増加していないのに過去最高益の企業が多い。企業は海外で稼いでいる。

所得収支の70%は債券での収入。海外の金利低下で所得収支が低下。経常収支がマイナスに陥らないか?


2011-11-27

単焦点レンズの難しさ、と自分が物を見る視点

あまり使わないデジイチもたまには使おうと、ふと思い立って定光寺へ紅葉狩りへ行ってきた。

再来週に迫った長期休暇の予定をある程度固め、15:30ぐらいに出発。今日はピーカンにはれていた訳でもない上に、16:00もすぎればさすがに山は暗くなり始める。写真を撮影するにはちょっと不向きな時間ではあった(言い訳)。

カメラを購入した時にWレンズキットにあわせ、標準35mmを一本購入。これまで標準ズームにどうしても頼ってしまっていたので、今日はあえて単焦点のみをもっていった。デジカメでは35mmが50mm相当になり、人間の視覚と同じとされている。だから理屈からいけば、「これをこんな感じで撮影しよう」と目に入った物はそのまま撮影できるのが50mmレンズなわけである。ところがいざ撮影してみようとカメラを構えると構図が全くあわない。あわないというより入りきらない。こうなることは予想していたが、思った以上に入らない。どうしてこうなるのだろうか。

どうしてこんなことになるのか考えてみた。人間の目は絶えず動いている。関心を持った物に対して集中はするが、その周辺情報にも目は行ってしまう。それによって頭でとらえている映像は想像以上に広範囲になる。これをそのままレンズに落とし込もうと思うと当然入りきらない。こういうことではないか。

逆を言えば、関心を持った物に集中しきらず周囲の物に目を奪われている可能性がある。視野に入った物に集中しきらず、関心が他へ散っているのではないか。そんな気がしてきた。普段から物事が整理しきれず仕事もあふれる状態を生んでいるのはひょっとしてこの周囲に目を奪われているのが原因ではないか。これまでの全部の行動が、「集中できていない」ということに集約できるような気がする。

メールのチェックでPCを立ち上げると、結局そこからネットを見てしまい、ずるずる時間が過ぎていくというのはまさにこの現象だ。本来の目的である「メールのチェック」が視野がぶれて他のことに気を奪われる。自分では時間を無駄に過ごしたと後悔しつつもいろんな物に触れることができたと言い訳を押し通すが、これが間違いでもっと物事に対して単焦点で取り組む必要があるのではないか。

これまでは時間の過ごし方のみを考えて「時間できる」ということを意識しなくてはと考えてたが、本当は時間の過ごし方ではなくて自分の視点に問題があったのだと思う。人間一つのことだけをやっていれば生きていけるほど楽な物ではないし、社会が許さない。しかし、あまりにも広域に物を見すぎても集中力の低下を生む。この辺りのバランスを考えないといけないなと思った紅葉狩りだった。

2011-11-13

「元」社員は戦う。では、現役社員は?自分ならどうする?

twitterでこんなサイトを見つけた。retweetしてみた。

http://www.olympusgrassroots.com/jp/index.html

元社員で元取締役が解任されたウッドフォード社長の復職を呼びかけている。内部の人間からこのような声が出ればなおよいのだろうが、OBという立場の方が声を上げやすいのかもしれない。そして彼は元取締役として今回の不正を見過ごした点は認めている(出典:http://astand.asahi.com/magazine/judiciary/articles/2011111200001.html)。

取締役で、専務の立場までいった人間でさえ30年近く続いた不正がわからないほど巧妙な手口だったということだろう。本当にごく一部の人間だけで粉飾操作されていたことになる。

オリンパスはどうなるのか、上場廃止になるのか、会社が存続するのか、憶測ばかりが飛び交う中で従業員は一体どうしたらいいのだろう。


  1. 最悪の事態を案じ、自らさっさと会社を去っていく(去れるだけの力がある)。
  2. やめたくてもサラリーマンの流動性の低い日本では転職のすべを知らない人が多いので、とりあえずそのまま働く(去れるだけの力がないのを分かっている)。
  3. おそらく内視鏡部門は残るだろうから、そこの人はそのまま居続けるだろう(会社の粉飾体質を気にしなければ)。

この3つぐらいだろうか。

ある程度の規模の会社になれば自分の部署以外は何をやっているのかもわからないなんてことはざらにあるし、それが当たり前だ。私の勤務する会社もおそらくそうだろう。知らないところで動いていることが多すぎるがそれは仕方がない。

自分が同じような立場になった時にどうするか。私の勤務する会社は今でこそ自由競争に形上さらされているが、以前は護送船団の中にいたので特筆すべき部門がある訳でもなければ、もちろん自分にそれだけの技術や技能がある訳でもない。だからおそらくこのままの状態であれば「2」を選択せざるを得ない。

幸いオリンパスは内視鏡部門で強みがあるし、技術系企業であるからそこで培った技術でもって転職をすることは容易な人もいるかもしれない。一方で事務職や営業職は特殊な技能がある訳でもなく、やもすると「オリンパス」の看板があるから仕事ができたという人の方が大半だろう。これはオリンパスに限らず日本のサラリーマンの多くがそうなっていると思われる。

私自身、技術職でもないし、間違いなく会社の看板があってこそ仕事ができている人間なのでもし会社が存続しなくなったとき、路頭に迷うより仕方がない身である。決してプラスにとらえることができないだろう。

こういうとき、所属先がなくなってもマイナス思考にならずにポジティブになるにはどうしたらいいのだろうか。ポジティブに、次につながるような行動をいつでも起こせるようにしておくには、今何をやっていればいいのだろうか。

法律上、人は「法人」と「自然人」に分けられるが、「法人」も「自然人」がやっているのだから、どこの会社でもオリンパスのようなことは起こりうる。会社を疑ってかかる訳ではないが、このような場面に遭遇してもポイジティブでいられるようにしていることが、その会社にいる間もプラスに働くような生き方をしていかないといけないと考えさせられる事件である。「法人」あっての「自然人」でないように。

2011-11-12

海外ドラマを観ているとFacebookの意味がよく分かる


去年の今頃だったかFacebookをはじめたばかりの頃に買った本です。ここのコラムでは掲示板について次のように書かれています。
この「掲示板」の仕組みはFacebookの生まれたアメリカの学生寮の仕組みを考えると納得できます。アメリカの寮では個室の扉にコルクボードやホワイトボードが付けられています。これがFacebookの掲示板のイメージです。
アメリカでは自分の部屋の扉に自分に関する情報書いて通りすがりの人に見せたりすることがあるらしい。日本人で、寮生活の経験がないものには理解できないが、アメリカのドラマを観ているとなるほど理解できた。

私はERを観ている時に気がついたのだが、個人のロッカーに思い出の写真やメッセージを張っていることに気がついた。これでFacebookが日本人になじめない理由も説明できる。

少なくとも私の会社のロッカーでは思い出の写真どころかネームプレートも張っていない。通りすがりの人に(もちろん寮であればある程度は特定されているだろうが)自分の情報をさらけ出すということがあり得ない訳だ。一方でアメリカ人は自分の情報をさらけ出し、そしてその反応を書き込みもする。また誰かの寮の扉へ「最近どう?」のようなメッセージを入れたりもする。日本ではあり得ない。

Facebookが実名利用で受け入れられたのはアメリカではすでにその下地があったからだ。寮の扉であればそれが誰のものか一目瞭然。それがネットに移ったにすぎない訳である。だからいい加減なことを書くこともできないし、いわゆる炎上することもあまりないのだろう。実世界において自分の責任で自分の情報を出すことになれているのだ。

日本でFacebookは広まるかの議論は必ず実名利用が議題の第一にくる。だがこれは二次的なもので、そもそも個人の話を通りすがりの人にしようという習慣がないのだから話の次元が違っているのだ。日本人は自分の情報は出したがらない。だけどSNSができたから情報を出す手段は得てしまった。それが匿名でO.K.だったから「我を忘れて」書き込みができる。歯止めがかからなくなり炎上がおこる。こういう構図だろう。

アメリカには旅行で2度行ったことがあるだけだが、基本的に開けっぴろげな人たちの集まりに感じる。少々誤解を招く発言かもしれないが、日本で電車の乗り方を訪ねるのに、見た目で日本人でないとわかる人に聞く人はいないだろう。それどころか、駅員でない一般人に聞くことがあまりない。ところがアメリカ人は違うのだ。明らかにアジア人の私に対し、堂々と地下鉄の乗り方を聞いてくるし、道を尋ねてくる。それも観光客にだ。

SNSで実名を云々はそれほど大きい問題ではない。対人関係が対面なのかネットなのかである。対面で誠実な人はネットでも誠実であろうし、ネットで匿名でやりたい放題の人はおそらく対面でもやりたい放題、またはそれをみっともないことだと教えられて入るので対面はうまくやれないのだろう。

SNSがよくわからないとか、実名がどうだかではなく、これまで培ってきた人間関係が引越しや転勤で物理的に対面でコミュニケーションをとれなくなっていたものが、SNSを利用することで物理的、地理的障害を取り除くものであると考えれば、SNSの利用は個人でもっとハードルが低くなるはずである。

2011-11-06

『男の作法』 池波正太郎


昭和56年に書かれた本だがなるほどと思わせることが多い。残念ながら天ぷら専門店に行く機会もなければ寿司屋に行くこともそれほどないが、「かっこいい」と思われる食べ方をやはりしたい。

ただ、縞のスーツに縞のシャツは合わないというのはどうだろうか。結構この組み合わせでスーツを着ることがあるので。

実践しているのは刺身を食べる時にわさびを醤油に溶かないことぐらいか。

このような本で作法を学んでいると人に知らせること自体が作法に反しているのかもしれないが、一応記録まで。

男の作法 (新潮文庫) 池波正太郎


2011-11-01

アメリカは農地もバブルの対象になるのか

こちらのブログを読んでいて驚いたし、改めて考えると農地が簡単に売却できない日本が異常なのだろうが、アメリカの農地に投機資金が流入しているようである(なお、元ネタはEconomistのこちらの記事)。残念ながら英語にそれ程強くないのでしっかりと理解できた訳ではないが、アメリカでは1990年から約2倍、イギリスの同時期でも135%だそうである。更にイギリスでは1990年から2008年の初頭までで15%も上昇したようだ。

投機資金が入るということはそこでの作物からの収益に期待をもっているからであって投資先に迷っただぶついた資金が農地に買いに入るのも確かに不思議ではない。これから新興国の人口爆発で食料は逼迫してくるであろうし、バイオ燃料の普及を考えれば当然の行動であろう。

なぜ日本ではそれがおこらないのか。日本では農地を売却すれば開発されて宅地造成されて農地が減少し食料自給率が更に低下するという定説があるからではないか?そして、農業は農家がやるもので他者がやる訳がないし、だから農地を売れば農家の稼ぎがなくなるから農地を守るという考え方がこびりついているからではないか。

国土の狭い日本では農地の大型化で効率を上げるのは困難であり、営利法人が農業に参入しにくいという点は認めるが、資産をもたずに事業を展開するのが当然になってきた昨今、農業も事業として効率的に行われる必要がある。日本は農地を守って農家を守るのではなくて、たとえ農地を売却しなくても効率化で海外の価格に対抗する手だてはあるはずだ。そういう意味でも農業の会社化は更に進める必要がある。そこで農家を雇用、または委託することで農業従事者も潤うことができるだろう。

TPPへの参加や農業の自由化で食料自給率が下がるというのはそれだけ経営努力をしませんと宣言しているようなもので、TPPや自給率の低下と話をすれ違えているだけにしか思えない。本当に食料自給率を上昇、少なくとも維持しようとするのであれば、農業の効率化で海外の廉価なものに対抗すればいい。また海外からの輸入品はどうしても輸送中の防虫対策で薬品を使用する。国内産であればそれがないだけ有利に働くのだからその分の価格上昇は消費者は受け入れることは可能だろう。

これを行えば行き場をなくすのは農協と農林中金であるが、その辺りのコンサルをしっかり行っていけば新たなビジネスや資金需要はきっと生まれるはずだ。そのための努力を農協や農林中金は行ってはいけないだろう。

2011-10-30

大学同窓会

今日は大学の同窓会、ホームカミングデーに参加してきた。毎年この時期、大学祭にあわせて学内食堂にて行われる同窓会。昨年は参加はしたものの先生が海外へ研修へでていて、私も前日までそちらへ遊びにいっていたこともあり、OBに声をかけずにごく一部の卒業生だけが集まったが、今年は先生も参加されるので公式にアナウンスを行い約14名が集合できた。

後から冷静になってみてみると10数名の集まりの中にiPadが3台、スマートフォンは数えきれないほどあり、それぞれが各々の端末を片手に談笑していること、そして年に1〜2回程度しか顔をあわさないのに懐かしさが全くないことである。これは日常的にSNSでコミュニケーションをとっているためお互いの近況を知っており、最初から深い話題に入っていけることからくる感覚だろうか。SNSなどなければ最初は時候のあいさつに始まり近況をお互いを探りながら報告しあってなどと段階を踏まないといけないが、普段からSNSでつながっていることによってその必要は全くない。

これはネットでのコミュニケーションがここまで充実し実生活に密着してきたからこそできることで、ある程度真剣にやっていないと実際顔を会わせた時に相手にされなくなってしまうことになる。日本でmixi全盛の頃ももちろんネット上での人間関係はあったがニックネームだったり匿名だったりでそこまで真剣味がなかったが、Facebookで実名を使用することで実際に顔をあわせる時と変わりのない緊張感が保たれている証拠でもあろう。この緊張感をベースに考えた場合、よくいわれるmixiのある日本でFacebookは成功するかという議論は全く論点を外しているのではないか。これまでは実際に顔を会わせる人間関係を補完するものだったSNSが、実名を使用することで実際に顔を会わせることと遜色ない人間関係をネット上で維持できると考えた方が現実的である。

このように考えると、これまで対人関係の得手不得手は話術で評価されていたが、今後は文章力でも対人関係の評価をされることになり、「書く」ということをさらに意識しなくてはならなくなる。更にいえば、普段からSNSで人間関係を維持しておくことで、実際に顔を会わせた時に、先に述べた最初から深い話題、ディスカッションが可能になり、時間の無駄を省くことが可能になる。

SNSをうまく使うことが、これからの人間関係に大きな影響を与えると感じさせられたホームカミングデーだった。

2011-10-23

クラウドサービスって知らぬ間にこんなにできてたんだ

最近Google+を使い始めて今ひとつピンとこないところであったが、本屋で目に入った今月の日経Trendyの特集が「個人向けクラウド完全ガイド」だったので購入してみました。

Google+ と Facebook の違いは双方向が前提の Facebook に対して Google+ は twitter のように一方的なフォローで成立できる点と解釈したが正しいのだろうか。また、Facebook も最近は友達の分類分けができるようになったようだが、Google+ はそれがより直感的である。

以前からPicasaを使用していたので、写真のアップロードはGoogle+の方が断然簡単である。アップロードというよりも、Google Accountで共有できるため、PicasaにアップすればそのままGoogle+へ反映する。今ひとつ写真のアップロードやアルバムの使い方がしっくりこないと感じていたFacebookと比較すると完全にGoogle+の方が上をいっている気がする。もちろん、これは私が以前からPicasaを使用していたためではあるが。

先日iPad2とiPod touchをiOS5にアップグレードし、iCloudが使用できるようになったと思っているが、どこでどうiCloudを使用していいのかよくわからない。またiCloud以外にもクラウドサービスがたくさんできていて、AmazonもGoogleも音楽系クラウドサービスを提供しているのを知った。早速Googleが提供するMusic Beta by Googleを使用してみようと検索してみたら、まだアメリカ限定公開のようである。アマゾンのAmazon Cloud Driveも登録はできるようだが、こちらも英語限定のようだ。

音楽関係は全てAppleで対応しているので本格的にiCloudが使用できるようになったらこれら2つは必要ないのかもしれないが、未だにiCloudも利用していないので、色々と試してみたい。

2011-10-19

『入社1年目の教科書』 岩瀬大輔


いきなり50の指針をすべて実践しろと言われてもそれはできないし、そもそも50個も頭に入らない。今の自分にとって必要なもの、今現在実践しているものをピックアップしてみた。


  • 「何のために」で世界が変わる
自分で担当しているものは締め切りをプライオリティに考える。他人から依頼されたものは締め切りとその目的を確認して理解してから実施する。
  • 仕事は復習がすべて
最近は仕事の終わりに今日やったこと、やれなかったことをメモし、明日の仕事のプライオリティを考え手帳に記入するようにしている。別に、文章で日記を書いて気持ちを整理する。

  • 頼まれなくても議事録を書け 

案件に対するちょっとした会話等はすべて手帳に記入している。それも復習の時に生かす。ただ、本書では時系列に書くなとなっているが、交渉経過が重要になることが多いため、時系列は心がけている。

  •  朝のあいさつはハキハキと
必ずすれ違う人には大きな声で「おはようございます」をいう。帰りはなかなかすれ違うことが少ないため、「お先に失礼します」が聞こえたらとにかく大きな声で「お疲れさまでした」を言う。

  • 仕事は根回し 


幸いにして本部昨日がある建物で働いているため、審査部門への根回しは物理的に容易にできる。朝コーヒーを飲む時、休憩時のタバココーナーで近く回す案件や疑問点について質問して案件時に知らぬ間に備える形になっている。

  • 仕事は盗んで、真似るもの 

自分で本を読んで学ぶことも多いが、実践でどうするかは誰かがやったものをみて真似るのが一番はやい。

  • 情報は原点に当たれ 

金融関係は法律に基づく取引が多いため、ネットや本で調べるだけでなく関連法令も押さえておく必要がある。これがあるかないかで説得力はものすごく変化する。

  • 仕事は総力戦 
本書でもたびたびでてくる「50点でかまわないから早く出せ」は実践している。立て込んだ案件は稟議書にする前に相談書で概要をみんなに話、アドバイスをもらうようにしている。これがあるだけで自分の中での稟議書の方向性が示せてスピーディに仕事ができる。

  • 本を速読するな
以前は早くたくさんの情報を仕入れるため速読セミナーにも参加したことがあったが、私自身どちらかというと丁寧に読んでメモしながら理解していく方が性に合っている気がしている。「古典を読んで理解でいなかったら自分がばかだと思いなさい」とあるが、ばかが直るまで理解できるような読み方をしたい。

  • ファイリングしない・ブクマもしない
これを読んで早速ファイルを整理した。事務連絡等をファイリングすることが目的になっていたことがよくわかった。ファイリングしても読まない事務連絡は全て破棄。どうしても必要な数点のみファイリング。それ以外のものはだいたいどこをみればよいのかは意外とわかっているものである。あわせてやっていきたいのは、使えると思った情報をメモに残すこと。これをやればさらにファイルの整理ができるだろう。

  • まずは英語を「読める」ようになれ
願望ばかりが先行して一番難航している英語。会話をする機会はほとんどない。だけど日本語だけで情報を得るのはもったいないので英語が読めるようになりたい。twitterの英語情報の見出しだけではなく、もう少ししっかりと読めるようになりたい。そのためには、プリントアウトでもいいからやはり紙媒体にした方がよいのか考えるところである。

  • 社会人はアウトプットがゴール

普通に過ごしているとなかなかアウトプットする場面に恵まれない。同じ支店でない人と食事に行ったり、幸い大学時代の同期とはよく会う中で様々な話題ができる人たちが集まっているので、そういう場面を作りながらアウトプットの練習をしていかないといけない。そうしないと、質のいいインプットができなくなってくると最近感じている。

  • 脳に負荷をかけよ
なれないものに対して脳の反応は格段に落ちてきているのを実感する年齢に入ってきた。多少興味が薄くても必要と感じたものを読み、脳に負荷をかけ脳の筋トレを行っていこう。

  • 感動はためらわずに伝える
ほめるべきところはしっかり後輩に対してほめていきたい。

  • 休息を取ることも「仕事」だ 
しっかりとした睡眠を取るのが一番だと思う。そのためには無駄な時間を如何に省くか。休息していることと、ダラダラしていることの線引きをもっとしっかりとやる必要がある。

  • ビジネスマンはアスリート
頭をすっきりさせるためのトレーニングはやはり必要。毎日練る前に軽い運動と、週末のジムに行かないとすっきりしないようになっているので、これを継続していきたい。

  • 同期とはつき合うな 
入社当時から実践中。

  • 小さな出費は年額に換算してみる
タバコもそうだが、コンビニでの買い物はついつい無駄なものを買いがち。そして食べ物であれば食べ過ぎにつながる。そして健康を害する。お金をケチる訳ではなく、出費を見直すことで健康を保ちたい。

以上、21個になってしまったが、実践していることは今後も継続し、今までできていなかったものは少しでも意識してやっていきたい。この21個のうち、いくつはメモに移りいつでも見直せるように準備しよう。









2011-10-17

『下町ロケット』池井戸潤


銀行員の視点から読むと耳が痛い点がたたある。銀行は雨の日に傘を取り上げ、晴れの日に傘を差し出すとはよく言われることであるが、書中でもそういった場面は登場する。同業である私も、知らぬ間にそういうことになっていないか。または雨の日に傘を貸せなくても、少しでも雨を凌ぐ方法を考えているか。自問させられた。

また、大企業と中小企業の取引関係についてはその厳しさをまざまざと見せつけられたが、これには一長一短あるだろう。中小企業側からみれば「何もそこまで」と思うようなテストも、大企業からすればエンドユーザへ納入するのだから不良品があってはならない。不良部分は他社調達の部品でしたのでは済まされない。そうであれば、テストの厳しさはやむを得ない点もあるだろう。

本書では製品供給か特許売却かで揺れ動く中での場面で上記内容が出てくるため、中小企業叩きにみえなくもないが、そういう捉え方だけでは不足していると思う。

本書の最大の醍醐味はそういった細かいところではなく、中小企業が社員一丸となって大きな契約に結びつけるところでの団結力であり、また中小企業代表者の決断力を描いている点であると思う。私の勤務する会社もそれなりの人数的規模で営業拠点も多数存在するが、そこのトップは実態は中間管理職であるとはいえ、その営業拠点ではトップである。その場その場のトップは否応無しにいつも決断を迫られ、迫られた決断を下したにも関わらずさらに上からの方向性の違った決定に不本意に従わなくてはならない時も多々ある。そういう時も腐らず気がついたら同じ方向に走っていたと言ってしまえばただの風見鶏になってしまうが、それをしても風見鶏になってしまったと思わせないだけの魅力が上に立つものには必要なのだろう。


下町ロケット 池井戸潤 小学館(第145回直木賞受賞作)

2011-10-16

『こども論語塾』を読む訳

いわゆるビジネス書ライターの方々が書いた本というのは、自分の経験を紹介しているにすぎない、若しくは「こうしてみてはどうだろうか」といった視点で書かれているケースが多いように見受けられる。現在のように自己啓発本が流行る以前はそれ自体が少なかったため参考になった点が多いが、ここまでこの手の本が出てくると何に手を出していいかわからなくなってしまうし、書いてあることも千差万別で迷いが多くなってしまう。

それぞれの著者が経験したことを出版に至るまでにはそのバックボーンとして何かを吸収してそれを実践して自分流にアレンジしているのではないか。その自分流の部分ばかりを追っかけていても、ひねくれ者には二番煎じにしか読み取れなかったり、「それぐらいのことはやっているよ」ということで本自体を読むことを恐れるようになってしまった。

ならばその著者たちのもう一歩手前、彼らが影響を受けたものを私も身につけてみようと思い、漠然と「論語」を思いつき、書店の新書コーナーで見つけたのが『論語 (講談社現代新書 13)』(貝塚茂樹著)である。

ところが読み始めてみると、ものの見事に漢字の読めない現実を思い知らされる。中学か高校である程度は習ったことはあるはずなのに、正しい読み方がわからない。最も日本語に訳したものを読む訳だから多少違って読んでいても問題はないのだろうが、いわゆる一般的な読み方ぐらいは知っていたかった。ほかにも論語を解説する本は多数あるだろうが、私が手に取ることができたものはわかりやすく書かれているものは完全に訳されたものだけが掲載されているものが多く、勝手に思っている論語の重みが伝わってこない。さてどうしたものかと思っていたところに、6月の研修会で紹介されたのが本書である。

その後、なかなか手にする機会を得なかったが、昨日書店を散策していた時にふと思い出しコーナー検索を行ったら在庫が残っていたので手に取ってみた。原文の掲載され、日本語訳も掲載され、子ども向けの解説も掲載されている。30も半ばに近づいた男が手に取るには恥ずかしさもあるが、そうはいってもそれが私の現在の知的レベルであるので仕方あるまい。小学生と一緒になって、論語を読み始めてみようと思い、1巻2巻の2冊を購入した。

この本をもとに、様々な論語の解釈に触れて、自分の軸を作る1つなればと考えている。

こども論語塾―親子で楽しむ 安岡定子著 田部井文雄監修 明治書院

2011-02-06

減税減税って、減税って何?

残念ながら大相撲の3月場所中止のニュースにかき消されてしまった今日の名古屋市長と愛知県知事選挙。減税を掲げるお二人が当選したようだ。

「恒久減税」っていったい何?ずっと減税ってこと?だったら最初から税率を下げれば減税でもなんでもないんじゃないか?地方税の税率が法律で決まっていて地方の条例改正でどうにもならないのであれば恒久減税という言葉で仕方がないのかもしれないが、その辺りどうなのだろう。減税がいい、悪いばかりでこれらの候補者が言っていることがどういうことかを解説しているニュースなんて一つも聞かずに終わってしまった。そして、減税話題ばかりが表に出て、他の候補者のことなんてさっぱりわからずに投票日になってしまった。市議会解散住民投票の結果を縦に勝手に選挙を一つ増やした候補者の戦略がちと言ってしまえばそれまでだが、選挙を一般人が政治を選ぶ機会ではなく、自分の正当性を認めさせるだけのためにしてしまったのは問題があると思う。

2011-01-25

腰痛などなど

気がついたら2週間ぶりのブログ更新。なんだかんだとやっぱり1月は忙しい。会社の査定もあるし、監査もあった。先週は腰痛で日中ダウン。病院に行ったりもした。健康には十分に気をつけたい。


時間がかかったが、黒木亮のエネルギーを読み終わった。海外石油プラントの建設のこと、国の石油政策、エネルギーデリバティブのことなど、この作者の本は小説ながら勉強になる。そして、巻末の用語解説がいい。ここで身に付けた用語は多々ある。
新刊もでているので買ってみたいし、彼の大学時代、陸上部で過いつ訳していたときの自叙伝的小説も読んでみたい。

2011-01-10

4連休2回目

7日の金曜日は休日出勤の代休を取得して4連休にしました。といってもどこかへ旅行へ行くわけでもなく、まったりとした代休です。

というのも、久しぶりへ東京へ旅行に行こうかとも考えたのだが、逆に東京から出張ついでに大学時代の同期が戻ってきたために会うことに。彼に会うのは1年半ぶりぐらいであるが元気そうであった。


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投信の結果

久しぶりに投資信託の内容を見返してみた。つくづく積立ては強い。5銘柄中4銘柄が運用プラス。唯一マイナスな1銘柄はこれだけ積立てをやっていなくてスポット買いしたもの。
1月6日現在、運用実績は5.12%であった。まずまずの運用成績ではないだろうか。

銘柄別では新興国株式ファンドが11.07%で最高。続いて意外にも日経225連動ものが10.33%。日本の株価低迷が叫ばれている中、新興国なみの運用実績をあげることができた(ただし、スタート時期が異なるため、単純に比較はできません)。

ここで考えるのがバランス型ファンド。4.34%の実績で保有銘柄中最下位。そもそも5銘柄に分散しているので、ここでバランス型を保有する意味があるのか。今年はこの辺りを少し考慮してみよう。


日経平均
1月6日:10,529.76 +148.99
1月7日:10,541.04 + 11.28  年初来比+142.94

2011-01-05

苦痛なDVD

生命保険募集人の更新講習のDVDを1時間ほど会社で見た。投信、生保の窓販が解禁されていこう、多種多様な金融商品が銀行窓口で販売は可能となったが、いかんせん専門員の配置がないためなかなか思うようには進まない。ポートフォリオでかなりな高さで安全度があることを目的に銀行にお客様は銀行に来ているのだから、リスク商品になじまない。もちろん、銀行窓口で様々なポートフォリオがくむことができるというメリットはあるが、ある程度専属でやらないと多様な商品の知識が身に付かない。正直、更新講習といわれても、何を言っているのだかさっぱりわからなかった。ま、こんなものである。


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決算に向けた査定が本格化を始めている。営業店に戻るのは4年ぶりだし、その間にやり方自体がかなりかわっているため今ひとつ要領を得ることがまだできない。締め切りは24日、間に合わせないと行けないが、何せ全店巡っても破格な先数と金額なため、資料を製本するだけで数日とられそう。システムがまだまだ発展途上のため、昨日用意した資料にミスが見つかり結局再度取り直し。資源の無駄を感じつつも年に1度の行事のため、やむを得ないか。


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数日前の日経新聞に産業別の天気予報が出ていたが、ものの見事に曇り、または雨である。晴れマークは確か造船・プラントともう一つだけだったか。ここまで先行き不透明感が蔓延すると、負の波及効果だ。それにしても、造船に晴れマークがつくのは意外だ。てっきり不況業種の最たるものだと思っていたのに。


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日経平均:10,380.77円(▼17.33円)
年始で170円ほど上昇したのだから、そりゃ続伸というわけにもいかないか。

2011-01-04

仕事始め

本日の日経平均:
10,398.10円(169.18円)
仕事始め。定時で終了の予定がちょっとしたトラブルで長引いてしまった。
自分は気がつかなかったが、この休み中には会社の入り口に着けたしめ縄が落ちていたらしい。
なんとも不吉な一年の始まりだ。
退社後は大須観音に行って初詣。
ねぎまとビールを飲む。
今年の無事を祈る。健康と、仕事、よいにんげんかんけい。
おみくじを引いたら「よくばるな」的なことが書いてある。これぐらい許容範囲にしてもらわないと、観音様も心が狭いのでは?

2011-01-03

ヤマダ電機でソフトバンクの店員さんから受けたアドバイス

昨日のブログはevernoteから写真をコピーしましたが、evernoteにログインしていない時は写真が表示されないようです。ま、当然といえば当然かもしれません。
(今ログンしていましたが、やはりだめないよう。そういえば昨日ブログをアップした後に写真のディレクトリを変えたからかもしれません)。

evernoteからコピーするか、それぞれのサービスにアップロードしてから掲載するかはそのメディアの使い方によって変えた方がいいのかもしれません。ブログは人に見せることも目的だが、自分の記録用という意味も持っているので(少なくとも私は)、使い方を間違えると結局どこにあるのかわからなくなることが起こりそうです。気をつけましょう。


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今日早速ソフトバンクのスマートフォンを購入しようと思い、ヤマダ電機に行ってきた(手っ取り早くいうと、iPhoneです)。で、店員さんと話していたのだが、ドコモの携帯電話をやめるつもりがないのであれば、iPod touchとpocket wi-fiにした方が常にwi-fi通信が使えるし、何よりランニングコストが安いとの提案があり。自分が考えていたものと同じことを進められたし、そうしている人が多いらしい。

私の考えでは、iPhoneに加入後、ドコモのパケホーダイは解約してその分をソフトバンクにまわせばプラス1,000円程度でiPhoneを使うことができるとの計算。それに比べ、pocket wi-fiであれば、さらに1,000円ほど安くすむ計算になる。当然、iPod touchの購入はしなくてはならないため、初期費用で30,000円前後必要になるが、端末自体に2年縛りがないのが魅力ではある。しかも、今加入すれば、pocket wi-fiの2年縛りはなしとのこと。

なかなか考えものである。結局今日は購入せずにかえってきた。

家に帰ってきて今twitterを見たら、友人から日本通信のiPhone simフリーの分割払いプランがあることをリツィートされていた。

通話機能とスマートフォンの昨日を別々に使いたいというのがあるので、何も無理して日本通信にする必要もないのかと考えてしまう。というより、日本通信にしてしまうとNMPでないと予算オーバーなので、必然的にi-modeを解約させられてしまう。普段連絡とる人には既にPCメールに送信してもらっているので問題ないが、i-modeメールしか知らない人にいちいち連絡するのが面倒だ。


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ふと思ったが、アメリカに行くとこれでもかというぐらいスマートフォンが普及している。みんなメールアドレスはどうしたのだろうか。そもそも、携帯キャリアが提供するメールアドレスなんてものがあったのだろうか。日本の携帯電話が「ガラパゴス」といわれるゆえんはこの辺りにあるのか。何とも不便なものである。

そういえば、ドコモは何年か前に、そこら中の国の携帯キャリアへ出資したが、結局ドコモの方式は普及していないということか。それはイコール日本の方式が普及していないという解釈であっているのか。


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明日から会社である。7日は代休を取得したため、3日出勤したら再び4連休だ。
東京に旅行にでも行こうかと思ったが、7日は大学の同期が名古屋へ来るため会う予定だ。この連休は年末にできなかった大掃除でもやってブックオフへ大量に出荷でもしようか。

2011-01-02

ロードバイク初乗り、とスマートフォン

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ロードバイクの売り主と初乗りに行ってきた。行き先は有松。初めての長距離で往復約60km。さすがに疲れてしまって最後の方はアベレージで時速20kmがやっと。自転車もしっかりとトレーニングをやらないとうまく乗れるようにならないようだ。


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この写真は携帯で撮影したものだが、evernoteからアップしてみた。ダウンロードせずにそのままコピペできるのが何とも便利だ。evernoteはスマートフォンがあって威力を発揮するように思う。

ただし、撮影もevernoteで行わないと、いちいちアップするのがかなり面倒。その点注意が必要である。


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スマートフォンから写真をアップするのはいいが、どうも今使っているものは解像度が低いし、部屋の中でも十分な光量がないと手ぶれが激しい。やっぱりソフトバンクのお世話にならなくては行けないのか。

個人輸入でsimフリーのスマートフォンを検討してみたが、日本通信の回線を利用するのはそれなりにお手頃価格で行けるが輸入するのに100,000円弱かかる。日本のsimロックの威力を感じてしまう。

ソフトバンクで扱っているスマートフォンはアメリカでもsimロックがかかっていてATTが独占である。ヨーロッパや香港ではsimフリーで売られているようだ。それにしてもこの値段にはsimロックになれている日本人には驚きである。最近では日本も端末販売に対するバックがなくなっているため値段が高くなってきているが、さらに倍の値段がかかるわけだ。

最近の日本の携帯は2年縛りが使いにくいと思っていることだが、端末を購入するのに何万もかけるのが当たり前になってくるとそれも2年程度は償却期間と考えなくてはいけないのか。バッテリーの値段も安くなっていることだし、ソフトバンクで扱っているものでも10,000円程度でバッテリーの交換は可能なようだ。

さて、どうするか。正月休みは明日までである。

2011-01-01

謹賀新年

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨日今日は家でのんびりと。明日からは結構予定を入れていますので、つかの間の休日になりそうです。


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昨日からものすごい勢いで携帯へ迷惑メールが入ってきます。なんでこんなときに・・・。
腹立たしいこと、この上ありません。


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昨年は転勤したりでいろいろと環境が変わってばたばたした一年でした。今年はもう少し落ち着いて、計画的に一日を過ごすようにしたいと考えている。
それにしても年を取ったのか、一年がほんとに早く感じるようになった。今の勤務先に異動になってからでも既に半年。何度も書くが、とにかく早い。

この勢いに負けないようにするには、もっと早くやりたいことややり始めを早くしないととても追いつきません。それがわかった昨年でしたので、今年はこの辺りをもっと気をつけていきたいと思います。

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