2011-11-27

単焦点レンズの難しさ、と自分が物を見る視点

あまり使わないデジイチもたまには使おうと、ふと思い立って定光寺へ紅葉狩りへ行ってきた。

再来週に迫った長期休暇の予定をある程度固め、15:30ぐらいに出発。今日はピーカンにはれていた訳でもない上に、16:00もすぎればさすがに山は暗くなり始める。写真を撮影するにはちょっと不向きな時間ではあった(言い訳)。

カメラを購入した時にWレンズキットにあわせ、標準35mmを一本購入。これまで標準ズームにどうしても頼ってしまっていたので、今日はあえて単焦点のみをもっていった。デジカメでは35mmが50mm相当になり、人間の視覚と同じとされている。だから理屈からいけば、「これをこんな感じで撮影しよう」と目に入った物はそのまま撮影できるのが50mmレンズなわけである。ところがいざ撮影してみようとカメラを構えると構図が全くあわない。あわないというより入りきらない。こうなることは予想していたが、思った以上に入らない。どうしてこうなるのだろうか。

どうしてこんなことになるのか考えてみた。人間の目は絶えず動いている。関心を持った物に対して集中はするが、その周辺情報にも目は行ってしまう。それによって頭でとらえている映像は想像以上に広範囲になる。これをそのままレンズに落とし込もうと思うと当然入りきらない。こういうことではないか。

逆を言えば、関心を持った物に集中しきらず周囲の物に目を奪われている可能性がある。視野に入った物に集中しきらず、関心が他へ散っているのではないか。そんな気がしてきた。普段から物事が整理しきれず仕事もあふれる状態を生んでいるのはひょっとしてこの周囲に目を奪われているのが原因ではないか。これまでの全部の行動が、「集中できていない」ということに集約できるような気がする。

メールのチェックでPCを立ち上げると、結局そこからネットを見てしまい、ずるずる時間が過ぎていくというのはまさにこの現象だ。本来の目的である「メールのチェック」が視野がぶれて他のことに気を奪われる。自分では時間を無駄に過ごしたと後悔しつつもいろんな物に触れることができたと言い訳を押し通すが、これが間違いでもっと物事に対して単焦点で取り組む必要があるのではないか。

これまでは時間の過ごし方のみを考えて「時間できる」ということを意識しなくてはと考えてたが、本当は時間の過ごし方ではなくて自分の視点に問題があったのだと思う。人間一つのことだけをやっていれば生きていけるほど楽な物ではないし、社会が許さない。しかし、あまりにも広域に物を見すぎても集中力の低下を生む。この辺りのバランスを考えないといけないなと思った紅葉狩りだった。

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