2007-12-06

自己紹介工場

アメーバのサービスに「自己紹介工場」なるものがあり、早速試しにやってみることに。

私の名前は漢字4文字、○○××でありますが、ためしにいろいろなパターンを。

面白いものいくつかご紹介いたしましょう。


風呂入った後に筋トレをしている
××(ローマ字)です。よろしく。


実際やってます。



部屋の半分がペットボトルである
○○(カタカナ)です。よろしく。


どちらかというとビールの空き缶かも。



いつも同じ服な
××(カタカナ)です。よろしく。


絶対にありません。



欲望に負ける修行僧、な
××(ひらがな)です。よろしく。


意味不明。


どういう解析法法なのか、大変興味あり。

2007-12-02

カホン叩いてきました。

ドラムを習っているのですが、そのスタジオの生徒さん同士でバンドをやる企画がありまして、参加してみました。

人数の関係で今回初めての参加だったのですが、担当はカホン


これまでバンドは何度かやっていますが、どれもスコアが市販されている曲を選んでやるバンド。


ところが今回は、基本耳コピ。

ここのスタジオではそれが当たり前のことでした。


初めて参加した練習で、リードスコアと音源だけ渡され、それも音源は普通にバンド演奏されたCD。

これを譜面無しでドラムをカホンにアレンジしなくてはならない。


最初はあせったが、何とか形にすることができたと思っています。


あるものをひたすら覚えるバンドももちろん面白いが、1つ1つ音を拾っていくのも、時間がかかりますが、とても面白いものですね。

On 17 Oct. New York City 5th. Ground Zero.

初めてニューヨークに行こうと思ったのは実は2001年の9月。あの同時多発テロがあったときです。

この時は、仕事の都合で休みが取れないことになったためやむなく取りやめましたが、ちょうど9.11の時に予定をしてたため、もし自分が出かけていたら今はなかったかもありません。

 

グランドゼロのすぐ脇には小さな消防署があり、そこにはテロの救助作業でなくなった消防士を奉るものが置かれています。




そのすぐ近くには壁一面に銅版で当時の救助作業の様子を再現したものが作成されています。

ここは今でも訪れる人が多く、救助活動に携わった人たちに対して敬意を表しています。

また、Tribute WTC Visitor Centerでも、当時の状況を知ることができるようです(私は入館していないのですが)。




グランドゼロは基本的に安全策で囲まれていて、近くから見る事はなかなか困難な状況。

安全策の隙間から撮影したのがこの写真です。

真ん中から左下に向かってカーブしているのは地下鉄です。ワールドトレードセンターのすぐ下を地下鉄が走っていて、ビルが取り壊された今、むき出しの状態です。



グランドゼロの全体を見るには南側にあるワールドフィナンシャルセンターの窓越しに見るのがお勧めです。

この写真からではわかりにくいかもしれませんが、すぐ横にもビルは聳え立っています。高いビルが建っていたから周囲が広場のような、ビルが密集している場所であったわけではないのです。

実際のワールドトレードセンターを見た事はありませんが、あの高さのビルが崩壊して、その時周囲はどのような状況になったのか。

それはもう想像することができませんでした。

2007-11-26

東海地方でSuica

コンビニのミニストップに寄ったら、当然イオングループなので電子マネーのワオンが使えるわけですが、提携しているSuicaまで使えるとは。

しかしこれは全国企業と、全国に名は知られているとはいえ一地方鉄道会社であるJR東日本との提携のしがらみか。

この地方でSuicaといわれても・・・。

持ってはいますが、2枚も。

それよりもJRグループ内は地域会社ごとに一般ショップでの電子マネーの住み分けをさせればいいのに。

仮にToicaが一般ショップで使用可能になっても、ミニストップでは使えるようにしないということなのだろうか。


それとも、JR東日本のSuica全国制覇の企みなのか???

2007-11-24

On 17 Oct. New York City 4th. Wall Street.



この日はニューヨークを歩いて眺めてみようということで、マンハッタンを南からブロードウェイに沿って歩いてみることにしました。

スタートは金融マンなら一度は行ってみたい世界最大の金融の地、Wall Street。

知らないことの凄さなのか、大きい通りに金融機関のビルが乱立していて、知的な雰囲気が漂う街をイメージしていました。



行ってみてびっくり。ウォール街は大きい通りでなく、ブロードウェイの裏通りといった感じ。あまり道幅が広くない道路の両側には石造りの古い建物がびっしりと並んでいます。

ガラス張りの金融タワーを想像していた僕にはちょっとイメージが違いました。

でも、それが歴史あるウォール街の本来の姿なんだと。とっかえひっかえ建物を変えるのではなく、長年使い続けられた建物にしかない雰囲気がウォール街には満ちています。



ブロードウェイからウォール街に入った最初の角にはニューヨーク証券取引所があり、







向かい側には初代大統領、ジョージワシントンが大統領就任宣誓をしたFederal Hall National Memorialがそびえています。


これら以外にも全米最古の銀行、The Bank of New York Mellonや、Deutsche Bankなどのビルも。

胸弾む街、ウォール街でした。

On 16 Oct. New York City 3rd. Ellis Island.



Battery ParkからのCircle LineはStatue of Liberty、Ellis Islandを廻ってBattery Parkに戻ってきます。

日本で計画を立てているときはEllis Islandがどういったものかも知らなかったし、フェリーがここを寄ることも知らなかったので、行く予定はなかった。

フェリーに乗って初めてEllis Islandのことを知ったぐらいなので、せっかくなので下船して入ってみました。

こちらは最初からオーディオガイドをレンタルして館内を廻ることに。



この島は、アメリカが移民を大きく受け入れていたときの移民局があった場所。

アメリカは移民の受け入れで発展していった国ですから、このEllis Islandが発展の出発点となっていたわけです。

アメリカで成功しようと様々な思いを胸にアメリカへの移住を決意した移民たち。
まさにアメリカンドリームを感じさせる場所であると同時に、ここは移民たちにとって試練の場所でもあった。

入国には様々な条件があったようで、健康面はもちろんのこと、移民量を調節するため経済的条件もあったようだし、また出身国ごとに受け入れ人数も後年は決められたようで数から漏れてしまった人もいるようです。

出身地での財産をすべて投げ捨てて移民船に乗った人たちにとって、この入国審査は相当厳しいものであったでしょう。



建物の中は資料館になっていて、オーディオガイドに従って歩いていくと移民と同じ足跡をたどることができます。

まずは入国管理官の口頭試問を受ける場所、健康診断を受ける場所、仮眠をとる場所、入国が完了するまでの関門を順番に見ることができます。

それ以外にも移民が持ってきた所持品、来ていた服、乗ってきた船の模型など、様々なものが展示されています。



その中には移民のパスポートも。
日本人のパスポートを見つけました。

当時のパスポートは身長に特徴まで記されている。

渡航の理由は「夫の呼び寄せにより」となり、年齢は18年6ヶ月。

18歳で既に結婚していて、先に夫はアメリカに渡っていたのか。

今でいえば高校を卒業したぐらい。
そんな年齢の女の子が知らない国へ移民として渡っていくのは、一体どんな気持ちなんだろうか。

このEllis Island、「アメリカに行く」という言葉に、現在の単に旅行に行くということ以上の意味があることに気がつかされた場所でした。

2007-11-15

もっと早く知っていればよかったのに。

こんなブログを見つけました。

ニューヨークの遊び方。

http://nyliberty.exblog.jp/


現在在住の人が書いているブログなので、ガイドブックのように味気ないものではなく、日常間がある感じ。


行く前に知っていればまた違ったかもしれないけど、それも後の祭り。


また行きたいなとの思いが、さらに強くなるブログです。

2007-11-11

On 16 Oct. New York City 2nd. STATUE OF LIBERTY.



自由の女神、Statue of Libertyが近づいてきました。

フェリーは自由の女神の左手から右手方向へ回り込むように桟橋に到着します。

どの角度から見ても、どの距離から見てもその存在感は圧倒的。それがアメリカの象徴の1つである所以かもしれません。




自由の女神は、現在は最上段の「頭の部分」まで上ることはできませんが、像が立っている台座までは上ることができます。

中には自由の女神の歴史や、フランスから寄贈された際の式典の様子などが展示される資料館にもなっています。
知らなかったのですが、女神が右手に持っているトーチの上部部分は何度か作りかえられているようです。その1つが展示されていました。

資料館を含め、台座に入るまでのセキュリティーはとても厳しかった。ほとんど飛行機のセキュリティーと変わりません。
まず飲み物が持ち込めないのは当たり前。金属探知装置もくぐります。当然ベルトもはずし、靴も脱がなければなりません。

そして上部に上がる際にはもう一度エアーチェック(というのかわからないが)があり、二重のセキュリティーです。



台座部分は一周でき、足元から女神像を見ることができます。
近すぎるためそこから顔の表情を見ることはできませんが、でも圧倒感があります。
また、台座から眺めるマンハッタン、そして海の眺めはどれだけ長い時間いても飽きさせることはありません。



リバティー島は全体が公園になっていて、中にはオーディオガイドがあり有料でレンタルすることができます。もちろん英語以外にも日本語のガイドも用意されています。

オーディオガイドを聞きながら島をぐるりと回る一人ツアー。

女神像にゆかりのある人物の像の前で、その人の功績を紹介したり、女神像ができるまでの歴史を音声で楽しむことができます。
本で読むよりも、物を目の前にして音声で解説されるため、より実感がわいてきますね。

島を1週してお土産も購入。

このあとは再びサークルラインに乗り、アメリカ発展の玄関口となったEllis Islandへ向かいました。

On 16 Oct. New York City 1st. BATTERY PARK.



今回の旅行で唯一日本で手配したチケットが自由の女神への入場券。
購入するのに長蛇の列というので、これだけはインターネットで取っておきました。
しかし初めての海外のチケット購入だったため、ホントに取れているのか不安がありましたけど、ちゃんと私の名前が書かれたチケット封筒があって一安心。

インターネットで予約したので、てっきり名前とクレジットカードを見せればいいのかなと思ったら、ちゃんと一人ずつ袋詰めされているのが意外でしたね。


このチケット、リバティー島へ行くためのフェリー、Circle Lineのチケットです。



ホテルを出てすぐに地下鉄。
地下鉄を降りてもすぐにフェリー発着場のBattery Park
ジョギングしている人がホントに多い。
朝早かったからか、公園を行き来する人はフェリーに並ぶ観光客だけ。もっと人が入り乱れているのかなと思いましたが、思いのほか静かな感じ。



海から見たマンハッタン。それはもう映画のシーンそのものでした。
思った以上にビルが密集しているんですね。
そして、古い石造りのビルと、新しいガラス張りのビルが入り乱れているのが、いかにもニューヨーク。リバティー島へ行くまでのフェリーから見るマンハッタンはそれだけで感動に値するもの。

そして、振り向けばあの「自由の女神」が待ち構えています。

2007-11-06

Google Calendar

先日携帯電話のスケジュール帳で書いたが、Google Calendarを使い始めました。

まずPC上での使用はとても使いやすい。


入力用画面に行かなくてもそのままできるのがいいですね。

そして時間の変更がマウスのドラッグでできるのがまた使いやすい。


ベータではありますが、携帯でも使用可能。ただし、閲覧のみ。

表示は日付、時間順であるため、若干見難さも否めないが、時系列で並んでいるのでブッキングの心配はなさそう。

一覧性が今ひとつといったぐらい。

いってもそれ程予定が立て込むことはないため、新しい予定はメールでPCに飛ばし、PCで予定を組み込めるという手順でも十分対応可能。


問題点は、携帯のフルブラウザではダウンロード容量が不足し使用できない点。

やはり解決はスマートフォンしかなさそうだが、十分に使用に耐えうるものだと思う。

2007-11-03

On 15 Oct. San Francisco 9th. go to New York City



いよいよサンフランシスコ最終日。

よくよく考えたら、拠点にしているUnion Squareに行っていないことを思いつきました。

周囲は普段人であふれていますが、さすがに6時台の早朝だけあった静かな感じ。
明るくなり始めた空と、電飾の残った建物が綺麗にマッチングしています。



数時間後には初めての海外国内線に乗らなくてはなりません。

名残惜しいホテルをあとに、サンフランシスコ国際空港に向かうことにしよう。

On 14 Oct. San Francisco 8th. San Francisco Last Night



サンノゼをあとにし、再びカルトレインでサンフランシスコに戻ってきました。
もう少しサンフランシスコの町を歩いてみることに。

カルトレイン駅から徒歩数分のところにSan Francisco Dodgersの本拠地AT&T Parkがあります。

このあたりはサンフランシスコの中心街からは少し離れるため、メジャーリーグの試合がないときは割りと閑散とした感じですね。

近くにあった本屋さんに入ってみました。

その後もチョコチョコと本屋には寄ったのですが、アメリカの本屋はどこも地元のガイドブックや地図がお店に入ってまず目の前に用意されています。

それだけ観光客が多いということなのでしょうか。とても便利。

さて、明日はいよいよ移動です。

早くホテルに帰って荷造りをしなくては。

On 14 Oct. San Francisco 7th. Japantown San Jose

  

サンノゼには全米屈指の日本人町があります。



前にテレビで日本人町の夏のお祭り「盆踊り」を見たことがあって、なぜか行ってみたくなりまして。
そのときはとても人が多くてにぎやかな感じがしたのですが、いざ行ってみると人はまばら。もちろん、住宅街ですので中に大型ショッピングセンターなんかがあったりするわけではないのですが、ひとつの民族のコミュニティー、それも全米で最大規模と効いていただけに、若干寂しさも感じましたね。




それにしても日本人町はやはり日本に満ちてました。

サンノゼ別院というお寺もあるし、その隣の建物では歌謡ショーもやっている。

アメリカに到着して2日目。まさかこんなところで演歌を聞くことになろうとは思いもしませんでしたが、何か懐かしい感じでもありましたね。

お寺の前の道路には「停車禁止」と漢字で書かれた張り紙までありました。


さて、せっかく日本人町に来たのですから、ここでは日本食を食べようと思い、おすし屋さんへ。なんとここにも回転寿司があったのです。



回転寿司の方は席が一杯だったので、テーブル席へ。

アナゴやはまちなど、日本おなじみの寿司ネタはもちろん、アメリカならではのカリフォルニアロールなんかもしっかりと。



笑えたのはビール。

瓶ビールを注文したとき、店員さんが「スーパードライでいいですか?」って聞いてきました。何から何まで日本人町です。

そして出てきたのがこのビール。ラベルまで同じ。唯一違うのは、写真でわかりますか?クチがスクリューになっているところ。

このおすし屋さんにいる人たちは一体何人なのか?全くわかりません。

家族と話しているときも英語で話していると思ったら急に日本語の会話になったり、その逆ももちろんあって。

帰り際、レジの女の子に「みんな日本語って上手なんだね」っていったら、「店員もお客さんも半分とまでいかなくても相当数日本人がいるんですよ」とのこと。ちなみにその女の子も日本人でした。

語学の勉強に来てアメリカにいついてしまったのか、それとも親戚か誰かがこちらの日系人にいて来たのか。そのあたりの事情はともかくとして、日本語ってホントに楽ですね。

アメリカに来て2日目。現地人がなにを話しているのか理解はできないけど、単語は十分に聞き取れるように耳が慣れてきていた。話す方も弾んだ会話はもちろんできないし必要に迫られる場面もなかったけど、こちらの要求は十分に伝えることができるようになっていた。

そうなっていたときに聞いた日本語。スーッと耳に入ってきました。

On 14 Oct. San Francisco 6th. San Jose down town



CaltrainをSan Jose Diridon駅で降りて歩き始めました。

当日はROCK'N ROLL SAN JOSE HALF MARATHONをやっていて街はお祭り騒ぎ。

バンドも出ていましたね。思わずカメラを向けてしまいました。



まず目に飛び込んできたのはHewlett-Packardのパビリオン。当日はマラソン参加者用のイベントか何かをやっているようで入ることはできず。

こちらもマラソンコースになっていました。



そしてAdobeのビル。

規模の大きい会社もサンノゼに足を置いています。


サンノゼの町はLight Railが走っているのですが、乗ってもどこに何があるのかわからないので、歩くことに。

サンフランシスコと違って、山はありません。建物も密集していないし、車もそれ程多くないのでのんびりした雰囲気です。




San Jose Convention Centerにある観光案内所でタウンマップをもらって街を散策。

14日は日曜日であったこともあり、町行く人たちも少なかった。
そしてこれから大きくなっていく街だと思う。

Union Bank of CaliforniaFirst Bankがビルを建てていて、建物はできているけど現在内装中といったビルがいくつもあります。

勢いがある町にはやはり金融が集まってくるものなんですね。



サンノゼにはサンノゼ州立大学があります。

これまた休日だからか学生の姿は見当たらず。

このあとニューヨーク大学にも行くのですが、アメリカの大学は町と融合している感じがとてもします。

サンノゼ州立大学は門と壁がありますが、とてもオープンな感じで誰でもいつでも入ることができる。
構内は芝生が全面にしかれ、緑が多く、日本の街中では決して見ることができないリスがいたり。


さぁ、このあとは全米屈指のあの街へ。

2007-10-30

携帯電話のスケジュール帳

顧客情報管理が厳しい今日この頃。

手帳を会社から持って帰るのを今年度からやめてました。


そうすると、必然的にプライベートの用事を手帳に記入できなくなります。

といっても、平日はそう何があるわけでもなく、土日の予定だけなんですが、最近引きこもりがちだったため、それもそれ程予定はないと思っていた(思い込んでいた)。


先日ついにやってしまいました。

ダブルブッキング


しかも当日ではないものの、友人の結婚式の余韻とゴルフ。

あわててゴルフの予定を変更してもらいましたが、全くもって面目ない。


そこで使い始めたのが携帯電話のスケジュール帳。

これがどうにも使いにくい。

以前にもPDAでスケジュール管理をやったことがあったが、面倒で長続きしなかった。


それも数年前の話のため、最近の携帯電話のスケジュール帳ならまともであろうと使ってみたらとんでもない。

月間カレンダーで予定が入っていることはわかるが、印が出るだけで何の予定やらさっぱり把握できない。

そして何より使い物にならない原因が、日をまたぐ予定が、スタートの日は反映されるが翌日に反映がなされない。


これでは全く話にならないですね。

土日用だけに手帳を持つのも面倒なので、何とかモバイルでプライベートの予定は管理したい。


携帯電話を8月に代えたばかり。もう少しスケジュール機能をよく考えておけばよかった。

といっても後の祭り。

2007-10-28

On 14 Oct. San Francisco 5th. go to Silicon Valley at San Jose


14日はシリコンバレーでおなじみのサンノゼへ行ってみることに。

サンフランシスコからはカルトレインで1時間ほど。
ガイドブックで土日は本数が減るというのは知っていたのですが、ここまでとは。
だって、平日は朝5時台から動いているのに、休日は始発が8時ですよ。
7時30分ごろ駅に着いたため、待ちぼうけ。まぁ、調べて置けよということなんですが、サンフランシスコ滞在のホテルにはネットがなかったんですよ。

このカルトレイン、観光客に全く用事はないものなんですが、ディーゼルカーでダブルデッキで、何か大陸を移動してるって感じがあります。
自転車専用車両もあるし。



サンノゼ=シリコンバレーというのはちょっと違うかも。

サンノゼ市内かもしれないですけど、中心部にいわゆるIT企業が集中しているわけではないので、Googleがあったとか、Appleがあったとかというわけではないんですけど。

それでもシリコンバレーという言葉自体にやはり憧れを感じます。
具体的になんで?といわれると、わかりません。「IT企業」というものにイメージが集中しているのか、「起業」ということに憧れているのか。

シリコンバレーのイメージというのは梅田望夫さんのブログから得るものが多いのですが、そもそもそういう生き方に憧れているのかも。

アメリカ旅行に行く前、シリコンバレーに行くことには正直悩んだんです。

それは梅田さんのブログで、「海外に住んでも母国語中心に生きること」を読んで。

簡単な解釈としては、海外にいてもネットの発達で日本語使って生活ができる。mixiを使えば育児のコミュニティーもある。iChatを使えば、西海岸の夕食と日本の朝食を共にすることができる。

シリコンバレーはネットで発達したわけだから、ネットで十分シリコンバレーを体感できるのではないだろうか。
そんな時代にあえてリアルに行く必要があるだろうか。

そんな疑問があったわけで。

それでもその空気をやっぱり味わってみたかったんですね。

On 13 Oct. San Francisco 4th. San Francisco night.


サンフランシスコの夜って、高いところから出なくても凄い綺麗なんですよ。

ベイエリアは道路も歩道も広いし、海沿いにはピアがずっと広がっているので、日本の都会みたいにガチャガチャしてないんですよ。

街路灯に伝統がともり始めると、ホントに綺麗な夜が始まります。
車も名古屋のように大渋滞という感じでは全くないので、ちゃんと車間があるから車のライトで町が明るすぎるということもない。

Pier39からベイブリッジに向かってpierの番号が若くなります。

全部あるかはわからないんですけど、建物ごとに番号がつけてあって、それぞれブランドショップになっていたり、結婚式場になっていたり、はたまた法律事務所があったり。

石造りの昔からの建物を今もそのまま使って、それでもってちゃんと現代的な用途に使われているのって凄いおしゃれですね。



ベイブリッジが見えてきました。
写真ではうまくわからないんですけど、夜景が海に映っているのが凄い綺麗なんです。
ベイブリッジはバークレーの方に向かって、ずっと伸びています。



途中で島があるし、対岸も遠いので、対岸の明かりが凄く綺麗というわけではないのですが、ずーっと伸びる端を見ていると、それだけでも十分です。

桟橋がいくつもあるので、歩いていけるところは先端まで。

海側から見るサンフランシスコの町並みが何回も同じことばかり言いますが、ホントに綺麗です。

どれだけ見ていても飽きないというか。

それでも夜は更けていきます。
今日到着したばかりでさすがに疲れてもきたのでそろそろホテルに帰ることに。

もちろん帰りも歩き。

大体の方角だけ合わせ、適当に歩いていました。

ファイナンシャルディストリクトのあたりをブラブラ歩いたのですが、金融街の割には人が少ない。そう、土曜日に出発したのにまだ土曜日だったんですね。

当てもなくブラブラ歩いていると、かなり人通りの少ないところも通ったり、フリーウェイの高架下を歩いたりすると、初めてアメリカに入った人間にはさすがにちょっと恐怖感が走ります。
ほら、ドラマ24なんかでもあるじゃないですか。マンホールから湯気が上がっているあれ。

なんか、事件発生するんじゃないかって思えてきちゃうんですよね。あるわけないんですけど。



さて、夕ご飯です。何か今日は遅い午後から食べっぱなしですね。

ガイドブックに乗っていたお気軽な感じのステーキハウス、Tad's Steak Houseへ。

焼き方はレア。マッシュルームを乗せて。まさかパンとジャガイモがついているとは思いませんでしたので、お腹パンパン。

そうそう、ここで隣に座った女性から話しかけられました。ステーキを写真に取っていたので旅行できているのがわかったようです。

会話は些細なものですよ。どっからきたの?とか、どこに行った?、いつまでいるの?とか。

私は愛知県瀬戸市在住ですが、まぁ日本国内でもそうですけど「瀬戸」といってもわかるわけがないのでいつも名古屋と答えているんですけど、アメリカではこれが通用しない。

そこで使った手は、「トヨタって車のメーカー知ってるでしょ。そこのヘッドオフィスのある近くの町だよ」、と。

いやぁ、名古屋って知名度低っ!

さぁ、お腹も一杯になったところで初日のサンフランシスコはおしまいです。

翌日14日はサンノゼに行ってみました。

On 13 Oct. San Francisco 3rd. Fisherman's Wharf


昔はチョコレート工場があったGhiradelli Squareを左手に見ながら、海岸線をベイブリッジに向かって西へ。

そうそう、アメリカは日差しが強いだろうからもっていかなきゃと思いながら忘れてしまったのがサングラス。

あわてて買いましたよ。とてもじゃないけど、日向ではまともに空を見ることができません。
いわゆるまぶしいというのともまた違った、別に太陽を見ていなくても十分日差しが強いんですね。

そのサングラスをかけ、歩き始めたわけです。

ショッピングモールのAnchorageや缶詰工場跡地をモールにしたCanneryをぶらつきながら。



さて、午後もだいぶ遅くなってきたのでいい加減お腹が減ってきました。

サンフランシスコといえば、そしてフィッシャーマンズワーフといえば、そりゃもうクラムチャウダーでしょう。

サンフランシスコで初めてサワードブレッドを焼いたといわれているBoudin Bakeryへ。

軽く塩味が効いていて食が進みます。とてもクリーミー。

そしてブレッドというか、パン。クラムチャウダーを入れるためにくり貫いた部分から食べてみましたが、ホントにすっぱい。パンがすっぱいなんて。クラムチャウダーにつけて食べるとまた最高。
チャウダーを食べ終わったあとの、チャウダーが浸っていた部分を千切って食べると、チャウダーがしみこんでいて、これもホントにおいしい。


腹ごしらえが済んだところで、再び歩き始めました。

ただブラブラと。

とおりにはさすがフィッシャーマンズワーフ。シーフードのお店がいっぱい。
ゆでたカニがドーンと山積みになって売っているし、シュリンプが量り売りされていたり。
クラムチャウダーでお腹いっぱいだったから食べられなかったけど、食べたかったなぁ。



走行して歩いていると到着したのはPier39

pierって桟橋って意味。

なので、海にせり出した桟橋にショッピングモールです。

いろんなショップやレストランがいっぱい。家族連れが大勢来ていました。
そして、桟橋だけあって、艀にはアシカがのんびりとお昼寝中。彼らには彼らなりの縄張り争いって物があるようで、結構せわしく乗っかったり相手を追い出したりしていたのが面白かったなぁ。

ここの観光案内所には有料でインターネットを使える場所がありまして。実は飛行機のフライトスケジュールを書いた紙を忘れてきてしまったことに気がついて(そのあとかばんから見つかったんですが)、いささかあわてていたため、早速ネットを使ってフライトを確認。


一安心したところで、やっぱりあきらめきれない、シーフードを何か食べようということで。

かといって、カニ一杯は食べられないし、うーんどうしよう眺めていたらオイスターバーが。

生牡蠣にビール。レストランで一人はいささか眺めに厳しいものがあったでしょうが、さすがアメリカ。他人のことは全く気にしない様子。日本じゃこうはいかない。

生牡蠣ってあんまり食べる機会ないじゃないですか。これまた塩味がよくて、疲れている体には染み渡るおいしさでしたね。


さて、まだまだベイブリッジに向かって歩き続けるわけですが、そろそろ日も暮れてきました。

続きはまた。

2007-10-27

On 13 Oct. San Francisco 2nd. Bay Area



まずはケーブルカー。

muni busやmunimetroが発達しているので、ケーブルカーは今は完全に観光用ですね。乗るだけでものすごい行列。40分ぐらいかかりました。





muni passという、乗り放題チケットが売っていて、3日乗り放題で18ドル。もちろん、1日曜もあります。結局最終日は乗らなかったものの、滞在する3日分を購入。

写真ではわかりにくいんだけど、スクラッチカードになっていて、乗る日を削って乗務員に見せればO.K.

このスクラッチがなかなか削れなくて、パッと見わからないんだけど、開かなくても乗せてくれたので、何だかいい加減なもんです。


Powell StationからFisherman's Wharfに近いMason行きに。

のつもりが、どう考えても違う方向へ。

あれ?と思っていたら、やはり違う駅へいき、Hyde駅へ到着。まぁ、大して距離は離れていないんですけどね。



そこで目の前に待っていたのがサンフランシスコ国立海事歴史公園。
歴史的な船が何隻か係留されています。
普段は有料のようなんですけど、何だかよくわかりませんが、今回は無料になっていました。

帆船に入れるなんてめったにないですからね。

ホントは帆船の先端でタイタニックのまねをやろうかと思いましたが、やめておきました。


この時点で既に14:00ぐらい。

ゴールデンゲートブリッジに向かって歩くか、はたまたベイブリッジに向かって歩くか悩んだ結果、食べたいものがあったのでベイブリッジに向かって歩くことに。


次は、初めてのアメリカのご飯です。

2007-10-25

On 13 Oct. San Francisco 1st. Cable Car

予定より20分ほど早く、サンフランシスコ国際空港へ到着。

イミグレーションを済ませ、無事に入国。


空港よりBARTに乗り、サンフランシスコ中心街へ。Powel stationで下車。

歩いて10分ほどで、サンフランシスコでの滞在ホテルUnion Square Plaza Hotelへ。


初めてネットでホテルを取ったため、ちゃんとチェックインできるか不安があったが、無事に終了。

ホテルに荷物を置き、早速サンフランシスコ散策へ。



サンフランシスコとなればまずはケーブルカー。

早速Powel Stationから乗ってみました。

だけど、ケーブルカーはもう完全に観光用ですね。

ものすごい行列。現地の人はmuniのメトロとバスをメインに使用しているようです。





それにしてもサンフランシスコは「坂」が多い。

私の住む瀬戸市も坂が多いと思っていましたが、勾配といい、距離といい、比較になりません。


山の斜面に建物が建っているため、日陰と日向の明るさが全く違うことに気がつきました。

そもそもアメリカってとても日差しが強いんですね。日向ではとても目が開けられないほどまぶしい日差しが降り注ぎます。こんな体験は初めてです。欧米人がサングラスを必ずといっていいほどかけているのが一瞬で理解できました。


さて、次回はケーブルカーでたどり着いたところのことについて、書こうと思います。

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