2011-11-12

海外ドラマを観ているとFacebookの意味がよく分かる


去年の今頃だったかFacebookをはじめたばかりの頃に買った本です。ここのコラムでは掲示板について次のように書かれています。
この「掲示板」の仕組みはFacebookの生まれたアメリカの学生寮の仕組みを考えると納得できます。アメリカの寮では個室の扉にコルクボードやホワイトボードが付けられています。これがFacebookの掲示板のイメージです。
アメリカでは自分の部屋の扉に自分に関する情報書いて通りすがりの人に見せたりすることがあるらしい。日本人で、寮生活の経験がないものには理解できないが、アメリカのドラマを観ているとなるほど理解できた。

私はERを観ている時に気がついたのだが、個人のロッカーに思い出の写真やメッセージを張っていることに気がついた。これでFacebookが日本人になじめない理由も説明できる。

少なくとも私の会社のロッカーでは思い出の写真どころかネームプレートも張っていない。通りすがりの人に(もちろん寮であればある程度は特定されているだろうが)自分の情報をさらけ出すということがあり得ない訳だ。一方でアメリカ人は自分の情報をさらけ出し、そしてその反応を書き込みもする。また誰かの寮の扉へ「最近どう?」のようなメッセージを入れたりもする。日本ではあり得ない。

Facebookが実名利用で受け入れられたのはアメリカではすでにその下地があったからだ。寮の扉であればそれが誰のものか一目瞭然。それがネットに移ったにすぎない訳である。だからいい加減なことを書くこともできないし、いわゆる炎上することもあまりないのだろう。実世界において自分の責任で自分の情報を出すことになれているのだ。

日本でFacebookは広まるかの議論は必ず実名利用が議題の第一にくる。だがこれは二次的なもので、そもそも個人の話を通りすがりの人にしようという習慣がないのだから話の次元が違っているのだ。日本人は自分の情報は出したがらない。だけどSNSができたから情報を出す手段は得てしまった。それが匿名でO.K.だったから「我を忘れて」書き込みができる。歯止めがかからなくなり炎上がおこる。こういう構図だろう。

アメリカには旅行で2度行ったことがあるだけだが、基本的に開けっぴろげな人たちの集まりに感じる。少々誤解を招く発言かもしれないが、日本で電車の乗り方を訪ねるのに、見た目で日本人でないとわかる人に聞く人はいないだろう。それどころか、駅員でない一般人に聞くことがあまりない。ところがアメリカ人は違うのだ。明らかにアジア人の私に対し、堂々と地下鉄の乗り方を聞いてくるし、道を尋ねてくる。それも観光客にだ。

SNSで実名を云々はそれほど大きい問題ではない。対人関係が対面なのかネットなのかである。対面で誠実な人はネットでも誠実であろうし、ネットで匿名でやりたい放題の人はおそらく対面でもやりたい放題、またはそれをみっともないことだと教えられて入るので対面はうまくやれないのだろう。

SNSがよくわからないとか、実名がどうだかではなく、これまで培ってきた人間関係が引越しや転勤で物理的に対面でコミュニケーションをとれなくなっていたものが、SNSを利用することで物理的、地理的障害を取り除くものであると考えれば、SNSの利用は個人でもっとハードルが低くなるはずである。

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