2012-09-30

友人結婚式、そして初めての二次会幹事。

9月29日は大学時代の友人の結婚式であった。そして、私の大学時代の同期初めての二次会開催で、そして幹事を依頼されていた。

ほとんど二次会というものに参加したことがなく、会自体のイメージが掴めないし、会場も結婚式の披露宴会場と同じフロアの別会場ということで、どんなものになるのか想像もさっぱりつかない。新婦側の幹事さんと打ち合わせもやったが、最終の詰めの時は体調不良で欠席し、本人たちにやらせた会場のセッティングはやはり狂いがあった。

「会場と打ち合わせをやっておけばよかった」と特に思ったのは「ライティング」である。全く想定していなかった。こちらはプロジェクタとPAだけがあればいいと思っていたが、披露宴会場であるわけだからライティングをやらないわけにいかず、これについては会場のパーティー担当者がやってくれた。照明、盲点であるので幹事をやられる方、ご注意を。

音響についてはこちらの思うようにできたと思う。音楽は新郎新婦のご要望にあわせて用意しておいて、音量については想像したとおりにできた。やっぱり結婚式に音楽は重要だし、もし私がその機会に預かる時が来るのであれば、音楽だけはこだわりたい。

2012-09-29

半期終了

ボスが交代してから初めての半期末であった。当然といえば当然なのかもしれないが、数字にはかなり厳しい。毎日が学園祭前夜のような様相で、30後半の身にはこたえる。これもサラリーマンだから仕方がない。

大変ではあるが、やり遂げる、またはそのために処理量が当然増加するわけだが、それを如何にどのようにうまくこなすのか、頭の使い方は引き出しが増えた気がする。それは良しとしたい。

2012-09-27

自分の名前をみてドキッとした。

ある意味人生最大の衝動買いをした。今日は支払いの確認のためショップへ。そこで自分のお目当ての商品がおいてあり、ホレボレ見てみると私の名前が。そう、私のために入荷された商品である。そしてその札には「完結」と書いてある。衝動買いの原因の1つは「メーカー在庫最終の1つ」だったからである。そのお店の2階へは何度か足を運んだことはあったが今までおいてなかった商品。それが今日あった。まさか自分の所有物としておいてあるとは夢にも思わなかった。そういう時に遠くから眺め、あたかも感心がないように装うのが私の悪い癖である。ものに対しても同じだ。

2012-09-26

あのBoeing 747も退役になるのか。

NASAのGoogle+に以下のような記事が出ていた。
Space shuttle Endeavour, mounted atop a NASA 747 Shuttle Carrier Aircraft (SCA) lands at Los Angeles International Airport, Friday, Sept. 21, 2012. The shadow of a NASA F-18 chase jet wing is shown in the foreground.  Endeavour, built as a replacement for space shuttle Challenger, completed 25 missions, spent 299 days in orbit, and orbited Earth 4,671 times while traveling 122,883,151 miles. Beginning Oct. 30, the shuttle will be on display in the California Science center's Samuel Oschin Space Shuttle Endeavour  Display Pavilion, embarking on its new mission to commemorate past achievements in space and educate and inspire future generations of explorers.Photo Credit: (NASA/Bill Ingalls)
ざっくりと訳せば、スペースシャトル、エンデバーはNASA所有の専用輸送機Boeing 747に載せられロスアンゼルス国際空港を2012年9月21日に飛だった。エンデバーはチャレンジャーの後継機として建造され、25のミッションを完了し、299日間宇宙軌道に滞在し、地球を4,671回周回し、122,833,151マイルを飛行した。今後はカリフォルニアの科学センターの専用スペースに展示される、とある。

そこで気になるのが今回も使用されたスペースシャトル専用輸送機のBoeing 747の今後の使い道である。シャトルの退役とともに747の運用も終了するのか。それとも他の目的に転用されるのか。

それにしても、天気さえよければスペースシャトルの発射を目の当たりにできる時にフロリダにいたことがあることを考えると、一度でいいのでシャトルをこの目で目の当たりにしたかったし、747にのせられたシャトルを観てみたかった。

2012-09-25

給料日、でも今日はすぐにすっからかん。

さて、本日は給料日である。但し、今回は薮用で立て替えをかなりな金額行わなくてはならないため、おそらく手取りのほとんどを持っていかれるだろう(当然、回収はするのだが)。

今日から処理件数も多くなり、また明日からは申込みの山だ。明後日木曜日は会社を休む予定にしていたが、季節の変わり目か体調の悪い人も多い。そこで私だけ「体力温存のため休みます」では通用しないだろう。今週は何とか調整して1週間乗りこなしたい。そして、それが達成できれば、初の病院欠勤以外の1ヶ月通し出勤である。


2012-09-24

Google+とBloggerは統合されるの?

このブログをアップする度に聞かれる「Google+へのリンク」。ブログは匿名性を求めている者にとって、プロフィールを公開しているGoogle+へのリンクは避けたいし、この2つのコネクションを断ちたいと考えていたが、こちらのサイトを見る限り、Google+とBloggerは統合されるようである。日本人だからなのか、私は「本音と建前」をネット上でも使い分けるつもりである。当然Google+はセキュリティをかけてあるので常にpublicに晒されているわけではないが、自分自身のなかで匿名的に使用しているものと、プロフィールがしっかり記載されているものがリンクしているのは気持ちが悪い。

本国アメリカではGoogle+がどのように使われているのかわからないが、少なくとも日本において必要に迫られたことはないし、また積極的に利用している人を見たこともない。

Google+。本当のところはどうなんだろう・・・。

2012-09-22

7秒は長いのか短いのか。自動二輪の一本橋が一番難しい。

この歳にしてなんだが、普通自動二輪の免許を取りに自動車学校に通っている。学生時代は憧れだったバイクだがお金が許さず、働き始めてからは時間がないのと商売柄スーパーカブに乗るので「何で休みの日までバイクを」と考えるわけではなかったが、結局取らずにここまで来てしまった。

なんか急に「バイクの免許でも取るか?」と思い付き自動車学校へ申し込み。気がついたら教習が始まっていた。上記のとおり、カブは乗っていたので2輪車に乗ることに抵抗はなかったが、想像以上に難しい。

まず1番の違いが「重さ」である。教習1回目は倒れたバイクを起こすことから始まるが、これがカブを起こすのとは大違いである。確かに50ccと400ccなのだから単純8倍であるわけだ。

意外に思われるかもしれないが、クランクは時々苦労するが、S時とスラロームは大して難しくない。ロードバイクに乗っているので体の倒し方がわかっているのと、ブレーキのタイミングがある程度掴めているのもあるかもしれない。逆にロードバイクのおかげで苦労するのが「急制動」である。自転車は基本後輪ブレーキをメインに使うが、バイクは逆で前輪で止めるようだ。「前輪=前に転ける」のイメージがあり、どうしても後輪メインでロックすることがある。時々前に転ける人がいるようだが、どんな握力をしているのか興味がわいてしまう。

最難関は1本橋だ。こいつを7秒以上かけて通り過ぎなくてはならないのだが、7秒の解釈でうまくいったりいかなかったりする。「7秒も」あるのか、「7秒しか」ないのか。教官はいう、「7秒もあるんだよ」。もっとスロットル使えばいいよと。こちらとしては、鬼が笑うかもしれないが将来的には「大型二輪」へ行きたいので10秒が目標に無意識にもなってしまう(欲張りである)。そして、どうしても7秒を確実に見届けてからスロットルを使いたいという思いだ。うまくいったのに0コンマ何秒足りずに減点されるのが怖い。だったら可能な限りゆっくり渡ってやろうと考えてしまう。そして体固まる、バランス崩すが始まる。

技術的なことは別にするとして、「7秒も」なのか、「7秒しか」なのか。これは月末近くに「まだ1日」あると、「もう1日」しかないのかに通ずるものがある。さぁ、どちらだ?

2012-09-21

説得力がある文章を書く方法を、どのように説明すればよいか。

現在の担当の立場でいくと、非常に多くの稟議書を読みこなし、修正し、審査部に提出するに耐えうるものに、担当者に仕上げさせなければならない。稟議書であるから、当然第一義的には、①債務者、②金額、③資金使途、④期間、⑤金利などを記入する必要がある。これらは形式的に記入するものであり、大した工夫も必要ではない。

問題は(あえて⑥とする必要があるかは判断しかねるが)、上記内容について「なぜそう書ける?」と自分に問いかけ、「だってこうなんだから」と自分に答え、それには過去の取引先とのやり取り、決算書、試算表などの徴求債務資料などから、①〜⑤に説得力を持たせなければならない。①〜⑤を記入するのに創意工夫は必要でなくても、①〜⑤に説得力を持たせるには、十分すぎる説得力を持ち合わせていなくてはならないのだ。


「ロジカルシンキング」といえば、現在ではある程度のビジネスパーソンであれば内容の理解はともかく、ある程度その言葉から、思考方法の1つなのだろうということは想像がつくだろう。では、部下にロジカルシンキングに関する本を渡し、読んでくるようにと伝えたところでその意図をくむことはできるだろうかは甚だ不安である。そこで思いついたのがこの本、「プレゼンテーションzen」だ。数年前に購入し、今ではパワーポイントを使わない仕事になってしまったため手に取る機会も少なくなってきてしまったが、プレゼンテーションの作成方法だけではなく、この本には、如何にうまく人にアピールをするのかということが凝縮されていると思う。改めて読み返してみると、本書のなかにおいても「ダカラナニ」、「ナンデソウナル」という、ロジカルシンキングの本に出てくる "so what?" ということはやはり指摘されている。説得力のある文章を作成するには、書いたことに対して自分に「これはどういうことだ?」、「それはこういうことだ」と自問自答できなければならない。私はこの部分を理解してほしい。

最近回付されてくる稟議書は、話はあちこちに飛ぶ、資料との整合性がとれない、案件を取り上げる理由の意図が掴めない、等の書類がほとんどだ。これらは "so what?" を繰り返すことで十分に解決することだと思われる。そしてこの "so what?" を適切に行おうと思うと、必然的に取引先の情報が更に必要になるだろう。そこで取引先との日常的な会話も変化するはずだ。そこから新たな提案、簡単に融資が困難な先に対しても、審査部や保証協会に対する説得力をもった申請が行えるのではないか。

私自身もこの "so what?" を更に進化させる必要は当然にあるが、この方法を一度若い後輩たちにも伝えてみたい。

2012-09-19

9月も2/3が終了

早いもので、9月もほぼ2/3が終了した。今月は高留りで28日が最終日だから、残り8営業日である。そして仮決算だ。仮決算という月に限って監査が入ったりとなかなかばたばたな9月のこれまでであったが、何とかやりこなしている感もある。あとはこの8日間を無事に乗り切ることだがどうなることやら。昨日、今月の残りの案件を整理したが、ちょっと信じられない量が一気に入ってくるようである。それらをどのようにこなしていくか。今日あたり、そんなことも考えながら、たまった仕事に対峙していかなくては行けない。



2012-09-17

そもそも、なぜ他人に文章を読まれようと思うのか。

人間は全てのことにおいて、正当的理由をもって行動をしているほど合理的な動物ではないと思う。このブログもその一つで、「書いている理由を述べよ」と言われても、返答に困惑する。これまでいくつかのブログを立ち上げては抹消し、その理由は書いていることと他人に読まれていることの整合性、特に実社会における知り合いが読んでいると判明した時に、それがとれなくなっている文章を書いているからという理由によるものだった。

ブログに限らず、ネットで個人が文章(に限らず、表現と言った方がよいかもしれない)を書くようになったのは、1つはメールと同じように、知り合い同士で近況を知らせあう要素がある。2つ目は世俗的に言う、自己顕示欲である。このどちらか、または両者が混合し目的が形成されるのであろう。
逆に、ブログを始めたのに更新が滞り始めるのもこの2点で理由がつく。1つ目の場合、メールと誤解しやすい点は、メールと違い「都合のいい相手しか読んでいないこと」はありえないということだ。ブログが長続きしないのは、知識としては無差別に読まれていることは理解していても、有象無象のネットのなかで自分の文章を読んでいるのは、都合良く自分のことを理解している人間のみと誤解していることである。この事実に反する、つまりあまり読まれてほしくない人にその存在が知れ渡った時に、更新が滞る。2つ目については、自己顕示欲が薄れたということよりも、単に「書くのに飽きた」といったところであろうか。

1についてはFacebookなどのSNSによって解決が可能になった。1が主目的だった人間にとって、ブログは既に過去の技術である。次に2についてだが、この自己顕示欲も反応があってこその自己顕示欲だ。反応がないものに労力を費やしつづけることができる人間はそうはたくさんいまい。身近な話題で身近な人たちに楽しく観てもらえれば十分になる。

では、それでもブログという公の場に文章を供給しようとする理由は何か。
1つは、以前も記入したかもしれないが、学習したことへのアウトプットである。「ならばevernoteにでも書いておけばよいではないか」ということになるが、メモではなく、他人にみせる文章の訓練としてはやはり公開するということからのプレッシャーは必要である。
2つ目は自分が話題としたいことに、実際知っている人たちとはあまり話題が合致しない場合である。Facebookをそれらしく利用とすれば、自ずと公開範囲は限られるし、時にはリストを作成してネタ毎に更に公開範囲を絞らなくてはならない場合もある。そういうことを考えれば、第三者への誹謗中傷でなければ広く公開してしまった方が、望みは薄いが話題に共感を持ってもらえるケースが考えられなくもない。そして、うまくそれがマッチしても、相手も効率よく情報を得ようとしているので、ポッとでの単発ブログには反応はしない。効率のよいリアクションを期待するのであれば、やはりそれなりの更新継続が必要である。

ここで、「それなりの更新継続」がどれほど「無反応がいつまで続くかわからない状態」のなかで維持できるのかが問題となる。それは「書きたい欲求」なのか、それとも「知ったことに対する反作用としての表現」なのか。前者であれば、その内容はおそらく私小説的であろうし、後者であれば何か学習意欲があった上での行動であろう。

一方で読む側の人間は小説を欲求しているのではなく、エビデンスに基づいた資料であるケースが多い。ネットで調べてみるケースを考えれば概ね合点がいく。私自身がGoogleで検索するものはファンタジーではなく、理解できないことへの回答の手助けなのだ。そして私自身がブログで公表することも、誰かのその手助けになっていればと考えている。

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