2013-09-16

マインドマップでウェブサイトの構想を練る

大学のゼミOB会のウェブサイト(http://www.kojima-seminar.net)がだいぶ古くなってきました。開設当初はFacebookというものがこの世に登場するなどつゆ知らず、xoopsを使ったコミュニティの形成に力を入れましたが、それもFacebookのグループに取って代わられつつあります。イベントの告知や、一番手のかかるイベントの参加申込みもFacebookで十分に間に合います。

では、Facebookに全てをお願いして独自のウェブサイトは終了させていいのかということが頭をよぎります。これまでに20年弱続いてきたゼミのOB(OG)は幸いなことにこのサイトやtwitter、Facebookでつながっています。しかし、それらSNSを使用していない人がいることもまた事実です。それらの人たちに引き続きOB会の存在をアピールする必要があります。

これからのウェブサイトはOB(OG)の「今」を発信したい

イベント案内の労力をFacebookで手伝ってもらう分、新たなコンテンツを提供しなくては、如何にOB会のウェブサイトといっても誰も気がついてもらえません。どういったサイトを作成していくか、頭の中を整理するためにマインドマップで構想を練ってみたのが上のイメージです。

引き続きイベントの告知は行うとし、それ以上にみんなの「今」を知ってほしいということがまず第1にありました。これはtwitterをウィジェットで流してあげればいけそうです。ゼミの教官が不定期でメールマガジンを発行し、それがブログになっていますので、それをRSSで引っ張ってくることもできます。

OB会の度に話が持ち上がる「ゴルフをやろう」といった(大人の?)遊びの要素も取入れていきたい。そんなイメージを階層化してみました。

現役生との垣根を下げる

OB(OG)も以前は現役の大学生だったわけです。ここを通過して、晴れて卒業をしてOB(OG)になるわけですから、早い段階でここの垣根を取り払っておく必要があります。なので、卒業生の情報も、現役生の情報もみられるようにしておきたいものです。

幸いにもFacebookのグループには現役生も登録されていますから、そこで告知されたゼミ合宿にOBが顔を出したりといった交流はできています。また、OB会の案内をすれば、毎回数名の現役生が参加します(飲み代は500円〜1,000円)。そういったつながりをもっと強くできるようなサイトを作っていきたいと思います。

大学を応援する

良くも悪くも学校法人は非営利ではありますが、一方で少子化の時代、経営が楽なわけではありません。定員を確保しつつ、学力を維持するのは並大抵なことでは今の時代ないでしょう。最近の短大を4年制大学へ昇格させた新設大学ではないので、気がついたらなくなっていたということはないでしょうが、それにしても自分の卒業した学校がなくなるということは寂しいものです。狭い見方をすれば大学にとって学生は「お客さん」で、卒業生が「商品」になるわけです。商品のできばえは僕たちの働きぶりを社会がどう判断するかによりますが、その活動ぶりを社会に知らしめる手段が今はあるわけですから使わない手はありません。

マインドマップを使ってみて

フォトリーディングの講習のときに少しだけマインドマップを教えてもらったことがあることと、自分でトニー・ブザンの本を読んでみて軽くさわりをやってみたことは数回あるのですが、構想を練るという作業で使ったのは今回が初めてでした。マインドマップは論理構造を示すものとはまたちょっと違う気がしますが、「もれなく、無駄なく、ダブりなく」といった校正を作るには日常的な仕事にも使えそうな気がしました。

マインドマップのいいところは「頭の中を断片的に書き出しても線で繋がる」ことだと思います。仕事もフローチャート通りやれば何も問題はないのでしょうが、なにごとも相手があることですから一本線ではつながりません。木登りをするときに次から次へと枝が出てきますから1つ1つ対処していかなくてはいけないことと同じです。

どういったことが起こりうるか。案件を処理する時は木を一生懸命のぼることも大切ですが、一方で森をみる必要もあります。マインドマップで仕事の大まかなところを表記しておけば、後どれぐらいの行程が残っているのか、わかるような気がしました。

2013-09-11

自分の仕事が満タンになった時こそ、若手に仕事を投げて覚えてもらう機会かも

仕事がどんどんたまっていきます。新規の案件もあれば、残念ながらネガティブな仕事も多数あります。それは山積みになる一方です。理由は簡単で、自分がタスク処理をしていないからで、その原因は机に座っていないからです。連日のスクランブル発射で同行が多く、そもそも仕事ができる環境にいられないのです。

Lifehack系のブロガーさんであれば「クラウド使って、移動中の隙間時間使って仕事やってないの?」となるでしょうが、ガチガチに固められた社内ネットワークではどうにも太刀打ちができないのです。インターネットにつながっているPCは営業室に2台しかありません。そもそも、Evernoteで仕事を整理することすら拒否されているのです。では、どのようにそれを1つ1つ処理していけばいいのでしょうか?

photo credit: practicalowl via photopin cc 

そもそも1人で対応できる量ではない

25名程度で仕事をしているのです。営業が8名いて、融資の案件は融資の役席者3名が面倒を見るのですが、案件系は私に偏りがちです。それぞれに偏りができています。

加えて一般職が4名。彼(女)らが処理した事務をチェックするのも役席者の勤めです。

8名のフォローをして自分のタスクも処理していく。残業に厳しい昨今、そもそも自分1人で抱えていることに問題があるのではないかと考えました。これは決して仕事を投げようと思っているわけではありません。今の自分が携わるのが、どの仕事にベストなのか。それを選択しようとしているのです。

これは若手を指導するいいチャンス

夕方デスクに戻り、ふと自分の机の山と、モレスキンに書かれたタスクを振り返りました。その中には、深く考えることなく、書類さえ整えれば大丈夫というものがいくつかあります。漠然としている中で「○○申請の作り方覚えたい人」と声を出していました。すると3年目で融資係1年ぶりカムバックの彼がすっと手を挙げたのです。
彼は恐らく○○申請が一体どのようなものなのか、想像すらついていないのでしょう。多分「聞いたことがないことだ。やってみよう」と考えた上での挙手だったと思います。

以前も融資係にいたときに指導を担当しましたが、常に言っていたことは「わからない仕事は考えて勉強して疑問を持って、全部が全部教えてもらえるものじゃないよ」ということです。往々にしてこの手の話をする時は彼の処理のスピードの遅さに堪忍袋の緒が切れたときに言っていたので、その言葉自体に良い印象を持っていないかもしれませんが、彼はどことなくその言葉を覚えていてくれたのかもしれません。

そうすると不思議なことに、彼より年長者の男子職員も「△△の条件変更、税理士に聞くところ教えてもらったら問い合わせて申請作りますよ」といってくれました。ポイントは数点、ただそれを彼が質問し、的を得た回答を得られるかは正直難しいと思いますが、回答に再度こちらが疑問を呈することで1つずつ覚えていくでしょう。

手取り足取りと誤解していた後輩指導

僕は仕事にはストーリーがあると思います。新規の案件はもちろんのこと、ネガティブな案件にもストーリーがあって、書類1枚とっても必ずエンディングがあるのです。そのストーリーは当然論理的な組立を意味するのですが、中小企業さんをお取引先としている私たちとしては、決算書から出る数字のストーリーを超えた何かをストーリーに組み込まなくてはなりません。

誰かに指導されたものではなく、ストーリーを持っているということは自分がお客さんや審査部と話をする上で身に付けてきたものです。これは感覚的なことで、いわゆる相性というものがあります。論理が跳んでいるものが多い稟議書をばかりめにしていると1から10まで自分でやった方が早いし、教える時もそのストーリーを最初から教えようとしていました。

しかし、自分はそのようにしてもらって仕事を覚えてきたわけではありません。入庫当初の上司が手つかずになっている書類を適当に持ってきて、思うように作って稟議が回されていったのです。それは入庫15年目を迎えた今、逆に自分がその状態になっているのです。

当時の私のように、勝手に持っていって勝手に稟議書を作ってしまうのは当時から奇怪な目でみられていました。何で貧乏くじを引くの?最近の若手は積極的に仕事に手を出さないといわれる昨今、一方ではコンプライアンスにがんじがらめにされていて怖くて手を出せないというのが彼らの本音だったのかもしれません。

ここでもう1つ自分に誤解しないよう言い聞かせておかなくてはいけないことは、やらせてみるのだから、失敗しても問いつめないということです。1つ1つ軌道修正を行うことで、彼(女)たちに少しでも自身をつけてもらえたら、それで十分と思うことが必要なのです。

2013-09-06

インターネットにであったころ



photo credit: dmuth via photopin cc

自分をメディアとしての発信者として、どうしていこうかと考えているうちに、「そもそもなんでインターネットを使うようになったのだろう」という問いにあたったため、昔を紐解いてみることにしました。


1995年:大学1年生

インターネットという言葉を聞いたこともなく、大学1年生になりました。当時大学内にはパソコンルームが2室あって、端末はWindows3.1。前期の講義でプログラミング概論を履修しQuick Basicを少しだけ勉強しました。そして必須の英語の講義。今でのそんじょそこらの若者には負けないタッチタイピングのスピードを維持していますが、高校のときに少しだけパソコンにさわっていた僕はしっかりとしたタッチタイピングができなくてもある程度早くタイプすることができました。それが教官に見つかり、それまでこなした講義記録を全て削除されて、一からやり直し、そのおかげで今でもタイピングの速度には自身があります。

情報処理センターの利用冊子で「インターネットというものがあるらしい」ということを知り、それは一体なんなんだ?ということで分けもわからぬままセンターに出入りしていた記憶があります。そんな中でパソコン通信とは違った新しいネットワークで「メールという機能があるらしい」、「ホームページっていうものがあるらしい」ということがわかってきて、気の向くままに試しに使ってみました。

メールは個別申請で学内アドレスをもらって、更に申請して学外へ送信できるアドレスを作ってもらった思い出があります。でも、当時はメールやり取りするなんて習慣は全くなかったし、アドレスをもっていた他大学の友人も当然使いこなすわけでもなく、もてあそばしていた感じでした。

メールも今のようにブラウザベースやメールソフトなんてとんでもない話で、telnetでコマンドでメール打ってたような時代。掲示板もなくて、フォーラムもテキストのものでした。多分昔のいわゆるパソコン通信がこんな感じだったんでしょうか。PC VANとか、niftyとか。

Windows95発売

大学1年の時がWindows95が発売された年で(たしか11月)、ニュースで発売のカウントダウンをやっていたのを覚えています。それだけWindows95の登場は衝撃的だったのでしょう。なんといっても、本格的なGUIで、コマンド使わなくてもマウスでパソコンがほぼ操作できるようになったのですから。

他の学部はPC全員支給でしたが、運悪く僕の学部は至急がなかった。その翌年からは全学部支給になったので、在学生にも斡旋があって初めて自分のパソコンを買った。東芝のDynabook SS475はCPUはPentiumでなくてDX4。それにWindows95を入れていたのだから、今思えばちょっと無理があったかも。

絶対にできるようにならなければならないとなぜか思った

多感な18歳にはWindows95のお祭り騒ぎには感心が向かなかったけれども、インターネットが絶対重要になるという感覚は、子ども心だけではなくて、どこか確信めいたものがあった。根拠は何?といわれると困るけど、今と比べればまだまだ高額商品だったものの、学生がアルバイトをすれば買える値段になったし、きっとそれより少し前の大学生だったら使用許可証もらってコンピュータ室でFortranとかCOBOL使っていたのが、どこでもできるようになったわけだし、幼稚園から大学まで田舎の市内で過ごした身としては、急激に環境そのものが広くなったような気がした。

インターネットが市井の人たちに近づいてきた時って、こんな感じだったんだよ。

うなぎで有名な関市でうな丼を食べてきました 「うなぎの名代 辻屋」

うなぎが有名な土地。愛知県の瀬戸市、岐阜県の関市、静岡県の浜松市、三重県の津市。うなぎの稚魚「しらすうなぎ」は愛知県西尾市(旧:一色町)が有名。

そのうちの1つ、岐阜県関市でうなぎを食べてきました。関市のうなぎ屋さんは2店舗めです。今回お邪魔したのはこちらのお店。


うなぎの名代 辻屋

うなぎは裁いて串をさして焼きますが、ここは「切ってから焼く」のが特徴だそう。身も皮もパリッと感があって僕のお好み。たれも甘めで下のご飯までしっかりしみ込むほど書けられています。うなぎを早く食べ過ぎてしまっても、ご飯だけでうな丼が楽しめそう。

お店の中には観賞用のうなぎが泳いでいます。細長いお店でおくのお座敷席はとても趣のある作りです。


何で関でうなぎが有名なの?

関市は刃物でしられる街で、昔からの鍛冶屋が多かった土地です。鍛冶屋は火を使いますから夏場の鍛冶はよく汗をかいて体力が落ちることから、「うなぎでも食べて精をつけよう」ということでうなぎが有名なようです。

ちなみに愛知県の瀬戸市は陶器の街で、土を手でこねると手の脂が土にとられること、こちらも窯場で火を使うことから、うなぎでを食べて精をつけようということでうなぎ屋が多いといわれています。


週末に食して

土曜日にうなぎを食べて、その翌週はつらかったものの、心なしか踏ん張れたような気がします。さすがに1週間が終わった今日(金曜日)は元気にかげりが出始めてはいますが・・・。
9月に入って1週間。暑さ寒さも彼岸までといいますが、このうなぎで暑い時期を乗り切れたらいいですね。


参考サイト

関市を訪れるときにはこちらのサイトが参考になります。
ときめき きらめき いきいき せきし たびものがたり in 関

が参考になります。関鍛冶伝承館の案内など、刃物の街の観光名所の案内がいっぱいです。

うなぎ情報はこちらにいっぱいです。
関市のうな丼をご紹介 関 うな丼


うなぎの名代 辻屋
関市本町5−14(Google map)
電話:0575−22−0220



zenback