2013-10-03

プラットフォーム作りとコンテンツ作りの両立は難しい

9月16日以来の投稿となりました。その間、一体なにをやっていたのか、少し思ったことを覚え書きしておきます。

ドメインの取得

以前から考えていた、自分のドメインを持つこと。ネットに自己を出すことへの抵抗感が低下したことにより、本名でドメインを取りました。
抵抗感の低下ということはどういうことでしょうか。ただ単に、「慣れた」ということではなくて、きっと自己の出し方が「わかってきた」といった方がいいかもしれません。同時に自分の記述することに責任が生まれます。そのあたりのバランスの取り方がわかってきたということだと思います。

プラットフォーム作り

自分を表現する場ですから、本質的なことではありませんが、ある程度見た目も気になります。そこでWordpressでサイトを作ることにしました。これが自分のプラットフォームになるわけですから、自分にあったテーマは何かな?とテンプレートのサイトを見あさっていました。あれもこれも、あれは削ってなど考えていたらあっという間に時間が過ぎ去っていきます。

加えて大学時代のゼミのOBを中心としたサイトも少しだけ管理に関わっています。こちらのサイトは8年ほど前にxoopsで作ったサイトなのですが、利用者にアカウント作ってもらって...という機能中心に作られています。しかし今はその機能はFacebookが取って代わっていますので、更新頻度が下がっていました。なので、こちらもWordpressを使って作り替えることにしました。

日々の話題はSNSで、しっかりとしたコンテンツはブログで

先ほど書いた「抵抗感の低下」にはSNSの存在が大きいと思います。SNSが出てくるまでのブログはコンテンツであったり、日記であったり思いつきであったりと話題の方角が定まりませんでした。日常的なことはSNSで機能しますので、ブログではそれをやる必要がありません。なので、ブログ作りはコンテンツ作りに集中できます。

プラットフォームを作りながらコンテンツは作れない

プラットフォームを2つ作っていたから手が回らなかったんでしょ?と思われるかもしれませんが、恐らく1つでも同じだったでしょう。プラットフォームを作っている間はコンテンツを作ることに頭が回りません。同時進行できるだろうというのは甘い考えでした。最もこれは僕自身が不器用であることもあるかもしれませんが、土台を作りながら家を建てることはできません。これはどんなに腕のいい大工でも同じです。

ここは1つ、プラットフォームを作るプロセスをログとして残すことも方法の1つだったとは思いますが、右往左往していることをコンテンツにすることはとても難しいのです。

プラットフォーム作りはゆっくりと

既にブログのステージを持っていますので、プラットフォーム作りを急ぐ必要はなかったことに気がつきました。プラットフォームを作っている間は、それに関する情報はものすごくたくさん、本も何冊も買ったし必要に応じてそれを読むのですが、いわゆるHow toになりますので、コンテンツ価値はありません。そうしていると、色々なことを考えたり、それに関する情報のインプットがぷつりと停まりましたので、コンテンツが作れない悪循環に陥ります。

間もなくドメインでブログを公開することができると思います。ここで少し、コンテンツ作りに頭のスイッチを切り替えようと思います。

2013-09-16

マインドマップでウェブサイトの構想を練る

大学のゼミOB会のウェブサイト(http://www.kojima-seminar.net)がだいぶ古くなってきました。開設当初はFacebookというものがこの世に登場するなどつゆ知らず、xoopsを使ったコミュニティの形成に力を入れましたが、それもFacebookのグループに取って代わられつつあります。イベントの告知や、一番手のかかるイベントの参加申込みもFacebookで十分に間に合います。

では、Facebookに全てをお願いして独自のウェブサイトは終了させていいのかということが頭をよぎります。これまでに20年弱続いてきたゼミのOB(OG)は幸いなことにこのサイトやtwitter、Facebookでつながっています。しかし、それらSNSを使用していない人がいることもまた事実です。それらの人たちに引き続きOB会の存在をアピールする必要があります。

これからのウェブサイトはOB(OG)の「今」を発信したい

イベント案内の労力をFacebookで手伝ってもらう分、新たなコンテンツを提供しなくては、如何にOB会のウェブサイトといっても誰も気がついてもらえません。どういったサイトを作成していくか、頭の中を整理するためにマインドマップで構想を練ってみたのが上のイメージです。

引き続きイベントの告知は行うとし、それ以上にみんなの「今」を知ってほしいということがまず第1にありました。これはtwitterをウィジェットで流してあげればいけそうです。ゼミの教官が不定期でメールマガジンを発行し、それがブログになっていますので、それをRSSで引っ張ってくることもできます。

OB会の度に話が持ち上がる「ゴルフをやろう」といった(大人の?)遊びの要素も取入れていきたい。そんなイメージを階層化してみました。

現役生との垣根を下げる

OB(OG)も以前は現役の大学生だったわけです。ここを通過して、晴れて卒業をしてOB(OG)になるわけですから、早い段階でここの垣根を取り払っておく必要があります。なので、卒業生の情報も、現役生の情報もみられるようにしておきたいものです。

幸いにもFacebookのグループには現役生も登録されていますから、そこで告知されたゼミ合宿にOBが顔を出したりといった交流はできています。また、OB会の案内をすれば、毎回数名の現役生が参加します(飲み代は500円〜1,000円)。そういったつながりをもっと強くできるようなサイトを作っていきたいと思います。

大学を応援する

良くも悪くも学校法人は非営利ではありますが、一方で少子化の時代、経営が楽なわけではありません。定員を確保しつつ、学力を維持するのは並大抵なことでは今の時代ないでしょう。最近の短大を4年制大学へ昇格させた新設大学ではないので、気がついたらなくなっていたということはないでしょうが、それにしても自分の卒業した学校がなくなるということは寂しいものです。狭い見方をすれば大学にとって学生は「お客さん」で、卒業生が「商品」になるわけです。商品のできばえは僕たちの働きぶりを社会がどう判断するかによりますが、その活動ぶりを社会に知らしめる手段が今はあるわけですから使わない手はありません。

マインドマップを使ってみて

フォトリーディングの講習のときに少しだけマインドマップを教えてもらったことがあることと、自分でトニー・ブザンの本を読んでみて軽くさわりをやってみたことは数回あるのですが、構想を練るという作業で使ったのは今回が初めてでした。マインドマップは論理構造を示すものとはまたちょっと違う気がしますが、「もれなく、無駄なく、ダブりなく」といった校正を作るには日常的な仕事にも使えそうな気がしました。

マインドマップのいいところは「頭の中を断片的に書き出しても線で繋がる」ことだと思います。仕事もフローチャート通りやれば何も問題はないのでしょうが、なにごとも相手があることですから一本線ではつながりません。木登りをするときに次から次へと枝が出てきますから1つ1つ対処していかなくてはいけないことと同じです。

どういったことが起こりうるか。案件を処理する時は木を一生懸命のぼることも大切ですが、一方で森をみる必要もあります。マインドマップで仕事の大まかなところを表記しておけば、後どれぐらいの行程が残っているのか、わかるような気がしました。

2013-09-11

自分の仕事が満タンになった時こそ、若手に仕事を投げて覚えてもらう機会かも

仕事がどんどんたまっていきます。新規の案件もあれば、残念ながらネガティブな仕事も多数あります。それは山積みになる一方です。理由は簡単で、自分がタスク処理をしていないからで、その原因は机に座っていないからです。連日のスクランブル発射で同行が多く、そもそも仕事ができる環境にいられないのです。

Lifehack系のブロガーさんであれば「クラウド使って、移動中の隙間時間使って仕事やってないの?」となるでしょうが、ガチガチに固められた社内ネットワークではどうにも太刀打ちができないのです。インターネットにつながっているPCは営業室に2台しかありません。そもそも、Evernoteで仕事を整理することすら拒否されているのです。では、どのようにそれを1つ1つ処理していけばいいのでしょうか?

photo credit: practicalowl via photopin cc 

そもそも1人で対応できる量ではない

25名程度で仕事をしているのです。営業が8名いて、融資の案件は融資の役席者3名が面倒を見るのですが、案件系は私に偏りがちです。それぞれに偏りができています。

加えて一般職が4名。彼(女)らが処理した事務をチェックするのも役席者の勤めです。

8名のフォローをして自分のタスクも処理していく。残業に厳しい昨今、そもそも自分1人で抱えていることに問題があるのではないかと考えました。これは決して仕事を投げようと思っているわけではありません。今の自分が携わるのが、どの仕事にベストなのか。それを選択しようとしているのです。

これは若手を指導するいいチャンス

夕方デスクに戻り、ふと自分の机の山と、モレスキンに書かれたタスクを振り返りました。その中には、深く考えることなく、書類さえ整えれば大丈夫というものがいくつかあります。漠然としている中で「○○申請の作り方覚えたい人」と声を出していました。すると3年目で融資係1年ぶりカムバックの彼がすっと手を挙げたのです。
彼は恐らく○○申請が一体どのようなものなのか、想像すらついていないのでしょう。多分「聞いたことがないことだ。やってみよう」と考えた上での挙手だったと思います。

以前も融資係にいたときに指導を担当しましたが、常に言っていたことは「わからない仕事は考えて勉強して疑問を持って、全部が全部教えてもらえるものじゃないよ」ということです。往々にしてこの手の話をする時は彼の処理のスピードの遅さに堪忍袋の緒が切れたときに言っていたので、その言葉自体に良い印象を持っていないかもしれませんが、彼はどことなくその言葉を覚えていてくれたのかもしれません。

そうすると不思議なことに、彼より年長者の男子職員も「△△の条件変更、税理士に聞くところ教えてもらったら問い合わせて申請作りますよ」といってくれました。ポイントは数点、ただそれを彼が質問し、的を得た回答を得られるかは正直難しいと思いますが、回答に再度こちらが疑問を呈することで1つずつ覚えていくでしょう。

手取り足取りと誤解していた後輩指導

僕は仕事にはストーリーがあると思います。新規の案件はもちろんのこと、ネガティブな案件にもストーリーがあって、書類1枚とっても必ずエンディングがあるのです。そのストーリーは当然論理的な組立を意味するのですが、中小企業さんをお取引先としている私たちとしては、決算書から出る数字のストーリーを超えた何かをストーリーに組み込まなくてはなりません。

誰かに指導されたものではなく、ストーリーを持っているということは自分がお客さんや審査部と話をする上で身に付けてきたものです。これは感覚的なことで、いわゆる相性というものがあります。論理が跳んでいるものが多い稟議書をばかりめにしていると1から10まで自分でやった方が早いし、教える時もそのストーリーを最初から教えようとしていました。

しかし、自分はそのようにしてもらって仕事を覚えてきたわけではありません。入庫当初の上司が手つかずになっている書類を適当に持ってきて、思うように作って稟議が回されていったのです。それは入庫15年目を迎えた今、逆に自分がその状態になっているのです。

当時の私のように、勝手に持っていって勝手に稟議書を作ってしまうのは当時から奇怪な目でみられていました。何で貧乏くじを引くの?最近の若手は積極的に仕事に手を出さないといわれる昨今、一方ではコンプライアンスにがんじがらめにされていて怖くて手を出せないというのが彼らの本音だったのかもしれません。

ここでもう1つ自分に誤解しないよう言い聞かせておかなくてはいけないことは、やらせてみるのだから、失敗しても問いつめないということです。1つ1つ軌道修正を行うことで、彼(女)たちに少しでも自身をつけてもらえたら、それで十分と思うことが必要なのです。

2013-09-06

インターネットにであったころ



photo credit: dmuth via photopin cc

自分をメディアとしての発信者として、どうしていこうかと考えているうちに、「そもそもなんでインターネットを使うようになったのだろう」という問いにあたったため、昔を紐解いてみることにしました。


1995年:大学1年生

インターネットという言葉を聞いたこともなく、大学1年生になりました。当時大学内にはパソコンルームが2室あって、端末はWindows3.1。前期の講義でプログラミング概論を履修しQuick Basicを少しだけ勉強しました。そして必須の英語の講義。今でのそんじょそこらの若者には負けないタッチタイピングのスピードを維持していますが、高校のときに少しだけパソコンにさわっていた僕はしっかりとしたタッチタイピングができなくてもある程度早くタイプすることができました。それが教官に見つかり、それまでこなした講義記録を全て削除されて、一からやり直し、そのおかげで今でもタイピングの速度には自身があります。

情報処理センターの利用冊子で「インターネットというものがあるらしい」ということを知り、それは一体なんなんだ?ということで分けもわからぬままセンターに出入りしていた記憶があります。そんな中でパソコン通信とは違った新しいネットワークで「メールという機能があるらしい」、「ホームページっていうものがあるらしい」ということがわかってきて、気の向くままに試しに使ってみました。

メールは個別申請で学内アドレスをもらって、更に申請して学外へ送信できるアドレスを作ってもらった思い出があります。でも、当時はメールやり取りするなんて習慣は全くなかったし、アドレスをもっていた他大学の友人も当然使いこなすわけでもなく、もてあそばしていた感じでした。

メールも今のようにブラウザベースやメールソフトなんてとんでもない話で、telnetでコマンドでメール打ってたような時代。掲示板もなくて、フォーラムもテキストのものでした。多分昔のいわゆるパソコン通信がこんな感じだったんでしょうか。PC VANとか、niftyとか。

Windows95発売

大学1年の時がWindows95が発売された年で(たしか11月)、ニュースで発売のカウントダウンをやっていたのを覚えています。それだけWindows95の登場は衝撃的だったのでしょう。なんといっても、本格的なGUIで、コマンド使わなくてもマウスでパソコンがほぼ操作できるようになったのですから。

他の学部はPC全員支給でしたが、運悪く僕の学部は至急がなかった。その翌年からは全学部支給になったので、在学生にも斡旋があって初めて自分のパソコンを買った。東芝のDynabook SS475はCPUはPentiumでなくてDX4。それにWindows95を入れていたのだから、今思えばちょっと無理があったかも。

絶対にできるようにならなければならないとなぜか思った

多感な18歳にはWindows95のお祭り騒ぎには感心が向かなかったけれども、インターネットが絶対重要になるという感覚は、子ども心だけではなくて、どこか確信めいたものがあった。根拠は何?といわれると困るけど、今と比べればまだまだ高額商品だったものの、学生がアルバイトをすれば買える値段になったし、きっとそれより少し前の大学生だったら使用許可証もらってコンピュータ室でFortranとかCOBOL使っていたのが、どこでもできるようになったわけだし、幼稚園から大学まで田舎の市内で過ごした身としては、急激に環境そのものが広くなったような気がした。

インターネットが市井の人たちに近づいてきた時って、こんな感じだったんだよ。

うなぎで有名な関市でうな丼を食べてきました 「うなぎの名代 辻屋」

うなぎが有名な土地。愛知県の瀬戸市、岐阜県の関市、静岡県の浜松市、三重県の津市。うなぎの稚魚「しらすうなぎ」は愛知県西尾市(旧:一色町)が有名。

そのうちの1つ、岐阜県関市でうなぎを食べてきました。関市のうなぎ屋さんは2店舗めです。今回お邪魔したのはこちらのお店。


うなぎの名代 辻屋

うなぎは裁いて串をさして焼きますが、ここは「切ってから焼く」のが特徴だそう。身も皮もパリッと感があって僕のお好み。たれも甘めで下のご飯までしっかりしみ込むほど書けられています。うなぎを早く食べ過ぎてしまっても、ご飯だけでうな丼が楽しめそう。

お店の中には観賞用のうなぎが泳いでいます。細長いお店でおくのお座敷席はとても趣のある作りです。


何で関でうなぎが有名なの?

関市は刃物でしられる街で、昔からの鍛冶屋が多かった土地です。鍛冶屋は火を使いますから夏場の鍛冶はよく汗をかいて体力が落ちることから、「うなぎでも食べて精をつけよう」ということでうなぎが有名なようです。

ちなみに愛知県の瀬戸市は陶器の街で、土を手でこねると手の脂が土にとられること、こちらも窯場で火を使うことから、うなぎでを食べて精をつけようということでうなぎ屋が多いといわれています。


週末に食して

土曜日にうなぎを食べて、その翌週はつらかったものの、心なしか踏ん張れたような気がします。さすがに1週間が終わった今日(金曜日)は元気にかげりが出始めてはいますが・・・。
9月に入って1週間。暑さ寒さも彼岸までといいますが、このうなぎで暑い時期を乗り切れたらいいですね。


参考サイト

関市を訪れるときにはこちらのサイトが参考になります。
ときめき きらめき いきいき せきし たびものがたり in 関

が参考になります。関鍛冶伝承館の案内など、刃物の街の観光名所の案内がいっぱいです。

うなぎ情報はこちらにいっぱいです。
関市のうな丼をご紹介 関 うな丼


うなぎの名代 辻屋
関市本町5−14(Google map)
電話:0575−22−0220



2013-08-27

ブロガーサミット2013に参加してきました

bloggersummit2013

Twitterができるまではブログはフロートいわれました。それが今はブログはストックでTwitterがフロートいわれます。よく見聞するのがTwitterが出てきてブログは終わったということ。それでもブログは廃りません。なぜでしょうか。
2013年7月22日のエントリー「一般人がブログを書くこと」でも書きましたが、改めてブログを書くということは何なのでしょうか。

自分をメディア化する

パネルディスカッション2、「個人ブログからブログメディアへ」で登壇された lifehacking.jp@mehori さんがおっしゃっていた「自分のコミュニティを幸せにしよう」という言葉が印象的です。これまで僕のブログは自分の周りを幸せにしてきたのか?大きな疑問が残りました。自分がやってみたことをポツポツ書いてみたりもしましたが、それは先ほどのフローをブログに綴ることで、その時一緒にいた人や話をした人はそれを目にすることで楽しかったかもしれません。でも、それはその後数日間の楽しさであって、後からも思い出話でなく楽しめる(幸せになれる)ものではなかったと思います。
自分をメディア化するということは、一時の楽しさを発信することではないでしょう。メディア化するという言葉はメディアが和製英語化しているので意味がわかりにくくなりますが、直訳すれば「媒体」ですから他方へ伝える伝達手段です。ブログというメディアはその後もネット上で自分が削除しない限り(時にはブログ業者が削除するかもしれませんが)永遠に残り続けます。僕が書いたブログも何かの検索にひっかかることがあるかもしれません。その時、フローで書いた、伝達手段になっていない(メディア化していない)ブログを見て、検索から偶然たどり着いた人たち(もちろん、実際の僕のコミュニティの人たちも含めてですが)が、「役に立った」と幸せを感じることができるでしょうか。自分をメディア化するということは、ブログで書き綴ることに、僕自身が責任を持たないといけないと思います。

ログは今じゃなくて先

パネルディスカッション6「ブログを書くということ」が今回の参加で一番勉強になりました。ブログ、[mi]みたいもん!@masakiishitani が「ログは今じゃなくて先」ということをおっしゃっていました。僕はログは今でもなく、過去だと思っていました。僕、あまり以前書いたブログを見返したことってあんまりないんですよね。今回初めて2年分ほど自分のブログを見返してみました。年に20件程度しかアップしていない年もあれば、100件以上アップしている年もあります。ザザッと見たので記録としての目線ではなかったですが、それでも憧れのニューヨークに初めて行ったときの写真が出てきて当時を振り返ることができます。
意外だったのが休職中のアップがあまりなかったことです。事実上2ヶ月休職し、その間は様々なことが起ったり、いろんな心境になるからいろいろ残しておこうと思っていたのを覚えていますが、ほとんどありません。逆に言えば、それだけ何もやっていなかったということでしょう。
ブログの試行錯誤の中で、2つに分けてみたり、誰かのブログの書き方を真似てみたりと文体も首尾一貫がないし、2つに分けたのを1つにまとめたので写真が表示されていなかったり。このブログを始める前にアメブロでも数年ブログを書いていたのですが、それはトラックバックしていたブログが2chでバレてしまってその影響で急遽アカウントを削除したので何も残っていない。当然ですが、いつ頃アメブロを始めたのか、いつアカウントを削除したのか。その頃は何を書いていたのか、全くわからずじまいです。ブロガーサミット中何度か出てきた「続けていないといけない」というのはこのことかなと思いました。

ブログを書くことで世界が広がる

これまでブログを書いていること自体に相当な自問自答を繰り返してきたことは事実ですが、今現在数少ない更新回数であってもブログをやっていてよかったなと思ったことは、今回のブロガーサミットに参加ができたことです。情報を得る手段としてだけネットを使っていたら、検索した記事で用を足せば済んでいるようなことも、一応自分もネットで何かが表現したいと思っているからRSSで気に入ったブロガーさんをフォローして、記事の内容のみならず、その書き方などを意識していました。ブロガーサミットという言葉にはちょっと語弊があるか、はたまた自分が顔を出すような場ではないかもしれないと半信半疑ではあったものの、行ってよかった。何がよかったかは、実際Feedlyでフォローしているブロガーの方に実際にお会いしお話しできたことです。@kfpause さんには「何でロースクールから博士へ進まれたんですか?」ってブログとは全く関係のないお話を伺ったり、@taromatsumura さんにはアメリカと日本のe-learningの違いなどのお話を直接伺うことができました。

最後に、会いにいくことで本当に世界が広がる

プロブロガー本の1冊目(白本)の67は「気になるブロガーと思い切って実際に会う」です。そんなことある程度のPV稼いでいる人や話題のブログをできている人だけの世界だと思っていました。ブロガーサミットも「たまには東京の講演会にでも行ってみようかな」といった気持ちで、懇親会なんてきっと自分は見ているだけなんだろうなと思っていました。 @mehori さんの「ミニオフやります」には「話に加われたらいいな」程度にしか考えていませんでした。しかし、結局は @mehori さんを囲んでガッツリ話をすることができましたし、タムカイズム@tamkai さんにもお話しすることができました(@mehori さん曰く、@tamkaiさんは難しいにはちょっと驚きましたが)。
一応、ブログをやっていたからこそ「お会いしたい」と思った方々と本当にお会いすることができました。それこそブログやtwitterで毎日のようにその方々のことは知ることはできます。でも、えげつないいい方かもしれませんが、やはり生身の人間と実際にお会いすることで、文章からだけではない、何かを感じ取ることってあると思います。ブログで垣根を低くしてお会いすれば、そこにはまた想像もしなかった世界が待ち受けていました。
フラット化する世界でもありますが、この時代コミュニケーションの垣根はもうほとんどなく、手段は極めてシームレスです。その中だからこそ、実際にお会いすることの意味は大きいような気がしました。Google Hangoutで見るよりもまた違う、自分もそのサークルの中で意見を押したり引いたりすることができます。ブログだけでは、そこで話題になっていないことを見ているこちらが取り上げるのは難しいですが、お会いすればそんなこともありません。それができたこと、今回の最大の収穫でした。

もしかして、僕もみられているのかもしれない

逆説的ですが、アルファブロガーといわれる人たちがいる中で、僕は特にPVを気にするでもなくブログを更新しています。でも、ひょっとしていつの日か「みています」といわれる方が表れるかもしれません。そもそも文筆業ではないのでそんなことを言い出したらブログなんてとてもじゃありませんがやってられません。でも、自分をメディア化するということは、フローの頃のブログと違って自分を介して人に伝えるのがブログですので、そこに恥ずかしさや後ろめたさは完全に今すぐ消し去ることはできませんが、おそらく不必要でしょう。僕はどんなメディアになれるのか。僕にできることは、やってみてよかったよってことを責任をもってお伝えすることだけなのです。

2013-08-26

初給油


mexico_beetle_2002_2013_08_25

ちょっと唐突ですが、車を替えました。納車されたのが8月21日(水)。その時の距離をとっておくのを忘れてしまった。
てことで、この距離数を基準にしよう。スピードメータの針でみえなくなってますけど、"58,458.0km"。fuel ゲージはこの位置で36.1リッターはいりました。走行距離系がないので、evernoteで距離と給油量を記録することにします(2013年8月25日)。
さて、リッター何キロまでいくでしょうか。

車の正体は、徐々に明かしていきます。

2013-08-04

久しぶりのセーリング

クラブレース以外でヨットに乗るのはいつ以来だろう。今日は久しぶりのクルージングでした。天気は晴れ、当然気温はめちゃめちゃ暑い。風上の方へ走っているときは逆風になるので「ヨットって気持ちいい」なのですが、風下へ走るときは当然追い風なのでもうめちゃくちゃ「暑い」。


 まずは機走で河和まで走って早めのお昼ご飯。いつもの栄食堂で今日は細巻き定食を。









天気は最高。絶好のセーリング日和。











 今日はスナメリがつき合ってくれました。スナメリみたの何年ぶりかなぁ。いつもは2〜3頭(数え方違うかも)なのが、今日は10頭近くいました。

なかなかうまいタイミングでシャッターが切れないんですよね。ズームにすると余計にボヤけてしまうので引いた写真でわかりにくいのですが・・・。



まずは上りの帆走。
メインが上がりきっていなかったので緩いのがバレてしまう。









スピンにするととたんに暑くなる・・・。














tumblrにもアップしてみました。見てみてください。






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