2011-12-24

手で書く

友人から年賀状が届いたので(その母親が郵便局勤務でノルマへ協力)、早速書き始め、一気に書き上げた。毎年31日に完成させていたので元旦に届いていない人が多かったろうが、今年は無事元日に届くことができそうである。

今年は印刷部分を大幅に削減し、手書きのメッセージを多く書けるようにした。そして、あえて宛先も手書きにしてみた。


  1. Macにかえて、住所録を入れていない。
  2. 買ったことはないが、年賀状ソフトを入れるのが面倒(意外に高い)。
  3. Wordすら入っていないのでGoogle Documentでできる簡単なものしか作れない。

等の理由はいろいろあるが、最大の理由はたまには「手書きでメッセージを添えてみたかった」ということである。

最近はSNSで地理的に遠い人とでも気軽にコミュニケーションをとることができる。twitterでのやり取りはリアルタイムでリアクションする場合もあり、反射神経に近い。そのため、テンプレート的なメッセージしか発することができなくなっている気がしている。
先日東京へ遊びに行った際、大学時代の友人、先輩等とあったが、普段からSNSでコミュニケーションをとっているため「久しぶり」感はないものの、深い議論というものはやはり「会って」話すのが一番だと認識した。これに感化されたのか、1名横浜から名古屋へ年末に戻ってくることを決めた人間もいる。

もう1点は会社の人への労のねぎらいを言葉にしたかったことである。30名近い人間を要する部署になると、担当ごとでチームになってしまい、部署全体で一体感を得にくい。また、コミュニケーションも疎遠になりがちになる人もいる。そういった人たちに「ちゃんと見ているよ」ということを、間接的に伝えるために、一人一人にメッセージを添えたかったのだ。
こればかりは自己満足の世界で受け取った人がどう感じるかはその人次第だし、それを意気に感じて今後の仕事に更に力を入れてくれれば占めた物だし、少なくともパフォーマンスが落ちることはないだろう。

「間接的」にメッセージを伝えるのには苦労した。手書きなので頭の中で文章を組み立ててから書かなくてはならないし、あからさまにほめすぎるのもまた気が引ける。女性に対しては割と直接的に「ありがとう」と添え、年下の男性職員には論語の中から好きなものを選んで添えてみた。

手書きをしてみて改めて感じたが、ワープロで作る文章は「書く」だが、手で作る文章はまさしく「作る」である。投函したら最後、もう修正は利かない。ものを作って納品する感覚はこういうものなのだろうか。となると、拙い小生の文字が既に欠陥商品となってしまうが、今更どうにもできない。できる限りの丁寧な字を書いたつもりである。そしてオーダーメイドで作ったつもりではあるが、語彙の少なさから同じようなメッセージになってしまったものも少なくない。それぞれが見せあうものではないのでそれはそれで問題ないのかもしれないが、書いている側からすると微妙なニュアンスの違いを表現してみたいものである。これは教養のなさを痛感するしかない。

手で文章を書く(作る)ことはあるようでなかなかない。年に一度、その年の教養の集大成として、手書きの年賀状で自分の力試しをしてみるのも悪くない。

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