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Battery ParkからのCircle LineはStatue of Liberty、Ellis Islandを廻ってBattery Parkに戻ってきます。
日本で計画を立てているときはEllis Islandがどういったものかも知らなかったし、フェリーがここを寄ることも知らなかったので、行く予定はなかった。
フェリーに乗って初めてEllis Islandのことを知ったぐらいなので、せっかくなので下船して入ってみました。
こちらは最初からオーディオガイドをレンタルして館内を廻ることに。
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この島は、アメリカが移民を大きく受け入れていたときの移民局があった場所。
アメリカは移民の受け入れで発展していった国ですから、このEllis Islandが発展の出発点となっていたわけです。
アメリカで成功しようと様々な思いを胸にアメリカへの移住を決意した移民たち。
まさにアメリカンドリームを感じさせる場所であると同時に、ここは移民たちにとって試練の場所でもあった。
入国には様々な条件があったようで、健康面はもちろんのこと、移民量を調節するため経済的条件もあったようだし、また出身国ごとに受け入れ人数も後年は決められたようで数から漏れてしまった人もいるようです。
出身地での財産をすべて投げ捨てて移民船に乗った人たちにとって、この入国審査は相当厳しいものであったでしょう。
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建物の中は資料館になっていて、オーディオガイドに従って歩いていくと移民と同じ足跡をたどることができます。
まずは入国管理官の口頭試問を受ける場所、健康診断を受ける場所、仮眠をとる場所、入国が完了するまでの関門を順番に見ることができます。
それ以外にも移民が持ってきた所持品、来ていた服、乗ってきた船の模型など、様々なものが展示されています。
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その中には移民のパスポートも。
日本人のパスポートを見つけました。
当時のパスポートは身長に特徴まで記されている。
渡航の理由は「夫の呼び寄せにより」となり、年齢は18年6ヶ月。
18歳で既に結婚していて、先に夫はアメリカに渡っていたのか。
今でいえば高校を卒業したぐらい。
そんな年齢の女の子が知らない国へ移民として渡っていくのは、一体どんな気持ちなんだろうか。
このEllis Island、「アメリカに行く」という言葉に、現在の単に旅行に行くということ以上の意味があることに気がつかされた場所でした。
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