2012-04-03

世界が忘れてはいけない島がある


クリント・イーストウッドの「硫黄島プロジェクト」二部作を続けてみた。

日本側の視点から撮影された『硫黄島からの手紙(LETTERS FROM IWOJIMA)』。
栗原忠道中将率いる日本兵は装備も人員も不足のまま、日本本土上陸の足がかりとなる硫黄島を死守すべく持久戦へ持ち込んだ。アメリカ帰りの栗原中尉と西の冷静な判断に基づく指令に対し、「前例がない」と拒否する。伝令がうまく伝わらない。十分に「アメリカからみた日本的な」映画だと思う。

一方でアメリカ側の視点から撮影されたのが『父親たちの星条旗(FLAGS OF OUR FATHERS)』。
どこか余裕を感じさせるアメリカ兵はどの映画ドラマとも変わらない。硫黄島からの手紙では全く感じられない日本兵の余裕。常につきまとう緊張感(脅迫感)とは真逆である。

この2つの映画は当然戦争を肯定するものではない。しかし、日米の「何のために戦うのか」の相違点はは鮮明に表されていると思う。

日本兵は「お国のため=天皇陛下のため」に戦う。なので、相手に殺されることを潔くとせず、追い込まれると自決する。硫黄島からの手紙の冒頭、米兵は根性がないというシーンが出てくるが、これはおそらく追い込まれた時に自決する勇気がないことを言っているのだろう。

他方、アメリカ兵はどうだ。父親たちの星条旗の最後のシーンにあるが、「仲間のために戦う」のだ。これは衛生兵が劇中活躍することから、ことさら強調されて聞こえるが、アメリカの戦争映画は割と衛生兵の活躍、負傷者は助けると言ったシーンが多い。当時の日本兵が所持していたかはわからないが、この映画では既に点滴が最前線の戦場で使用されている点も、既に物資面で日本がアメリカに追いついていない証拠だろう。

しかし、なぜ日本人は相手にやり込められることが苦手なのだろうか。なぜ最後は自決という結末を簡単に選択するのだろうか。当時の戦時教育ももちろん影響しているのはわかっているが、長い歴史の一部でたかだか1〜2年の兵隊教育で自ら命を絶たせることを決断させるに十分な理由など、一体何があったのだろうか。

従軍された方、およびその遺族の方々には大変申し訳ない感想になってしまうが、どうしても日本兵の行動は、これら2つの作品に限らず破れかぶれな行動が多いように感じる。1976年と1945年では経済規模も違うし、何よりよりどころとする憲法が違う。天皇主権が国民主権となり、象徴天皇に変わったということもあり、1945年を境に求められる嗜好は180度転換したわけであるからそもそも比較するべきものではないのかもしれない。

そこまで考えても、やはり「自決」という選択は正しいのかといわれYes or Noで応えよといわれたら、おそらくNo.と応えるだろう。なぜならば、自決は自らにとっては潔い行動かもしれないが、組織人としては諦め、中途放棄に映るからだ。どのみち息を切らしながらその場にいるのであれば、思考を外へ向ければ自らが死ぬのではなく、相手が死ぬ方法を考えられるような気がしてならない。

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