あまり使わないデジイチもたまには使おうと、ふと思い立って定光寺へ紅葉狩りへ行ってきた。
再来週に迫った長期休暇の予定をある程度固め、15:30ぐらいに出発。今日はピーカンにはれていた訳でもない上に、16:00もすぎればさすがに山は暗くなり始める。写真を撮影するにはちょっと不向きな時間ではあった(言い訳)。
カメラを購入した時にWレンズキットにあわせ、標準35mmを一本購入。これまで標準ズームにどうしても頼ってしまっていたので、今日はあえて単焦点のみをもっていった。デジカメでは35mmが50mm相当になり、人間の視覚と同じとされている。だから理屈からいけば、「これをこんな感じで撮影しよう」と目に入った物はそのまま撮影できるのが50mmレンズなわけである。ところがいざ撮影してみようとカメラを構えると構図が全くあわない。あわないというより入りきらない。こうなることは予想していたが、思った以上に入らない。どうしてこうなるのだろうか。
どうしてこんなことになるのか考えてみた。人間の目は絶えず動いている。関心を持った物に対して集中はするが、その周辺情報にも目は行ってしまう。それによって頭でとらえている映像は想像以上に広範囲になる。これをそのままレンズに落とし込もうと思うと当然入りきらない。こういうことではないか。
逆を言えば、関心を持った物に集中しきらず周囲の物に目を奪われている可能性がある。視野に入った物に集中しきらず、関心が他へ散っているのではないか。そんな気がしてきた。普段から物事が整理しきれず仕事もあふれる状態を生んでいるのはひょっとしてこの周囲に目を奪われているのが原因ではないか。これまでの全部の行動が、「集中できていない」ということに集約できるような気がする。
メールのチェックでPCを立ち上げると、結局そこからネットを見てしまい、ずるずる時間が過ぎていくというのはまさにこの現象だ。本来の目的である「メールのチェック」が視野がぶれて他のことに気を奪われる。自分では時間を無駄に過ごしたと後悔しつつもいろんな物に触れることができたと言い訳を押し通すが、これが間違いでもっと物事に対して単焦点で取り組む必要があるのではないか。
これまでは時間の過ごし方のみを考えて「時間できる」ということを意識しなくてはと考えてたが、本当は時間の過ごし方ではなくて自分の視点に問題があったのだと思う。人間一つのことだけをやっていれば生きていけるほど楽な物ではないし、社会が許さない。しかし、あまりにも広域に物を見すぎても集中力の低下を生む。この辺りのバランスを考えないといけないなと思った紅葉狩りだった。
This weblog is banker's lifehack.
It will want to change you and me life happier. Our life is not one story. We should be some story.
Why are we busy? don't have the time? and have many work anytime?
I think how to use the time, how to flow our work, how to anything on this weblog.
2011-11-27
2011-11-13
「元」社員は戦う。では、現役社員は?自分ならどうする?
twitterでこんなサイトを見つけた。retweetしてみた。
http://www.olympusgrassroots.com/jp/index.html
元社員で元取締役が解任されたウッドフォード社長の復職を呼びかけている。内部の人間からこのような声が出ればなおよいのだろうが、OBという立場の方が声を上げやすいのかもしれない。そして彼は元取締役として今回の不正を見過ごした点は認めている(出典:http://astand.asahi.com/magazine/judiciary/articles/2011111200001.html)。
取締役で、専務の立場までいった人間でさえ30年近く続いた不正がわからないほど巧妙な手口だったということだろう。本当にごく一部の人間だけで粉飾操作されていたことになる。
オリンパスはどうなるのか、上場廃止になるのか、会社が存続するのか、憶測ばかりが飛び交う中で従業員は一体どうしたらいいのだろう。
この3つぐらいだろうか。
ある程度の規模の会社になれば自分の部署以外は何をやっているのかもわからないなんてことはざらにあるし、それが当たり前だ。私の勤務する会社もおそらくそうだろう。知らないところで動いていることが多すぎるがそれは仕方がない。
自分が同じような立場になった時にどうするか。私の勤務する会社は今でこそ自由競争に形上さらされているが、以前は護送船団の中にいたので特筆すべき部門がある訳でもなければ、もちろん自分にそれだけの技術や技能がある訳でもない。だからおそらくこのままの状態であれば「2」を選択せざるを得ない。
幸いオリンパスは内視鏡部門で強みがあるし、技術系企業であるからそこで培った技術でもって転職をすることは容易な人もいるかもしれない。一方で事務職や営業職は特殊な技能がある訳でもなく、やもすると「オリンパス」の看板があるから仕事ができたという人の方が大半だろう。これはオリンパスに限らず日本のサラリーマンの多くがそうなっていると思われる。
私自身、技術職でもないし、間違いなく会社の看板があってこそ仕事ができている人間なのでもし会社が存続しなくなったとき、路頭に迷うより仕方がない身である。決してプラスにとらえることができないだろう。
こういうとき、所属先がなくなってもマイナス思考にならずにポジティブになるにはどうしたらいいのだろうか。ポジティブに、次につながるような行動をいつでも起こせるようにしておくには、今何をやっていればいいのだろうか。
法律上、人は「法人」と「自然人」に分けられるが、「法人」も「自然人」がやっているのだから、どこの会社でもオリンパスのようなことは起こりうる。会社を疑ってかかる訳ではないが、このような場面に遭遇してもポイジティブでいられるようにしていることが、その会社にいる間もプラスに働くような生き方をしていかないといけないと考えさせられる事件である。「法人」あっての「自然人」でないように。
http://www.olympusgrassroots.com/jp/index.html
元社員で元取締役が解任されたウッドフォード社長の復職を呼びかけている。内部の人間からこのような声が出ればなおよいのだろうが、OBという立場の方が声を上げやすいのかもしれない。そして彼は元取締役として今回の不正を見過ごした点は認めている(出典:http://astand.asahi.com/magazine/judiciary/articles/2011111200001.html)。
取締役で、専務の立場までいった人間でさえ30年近く続いた不正がわからないほど巧妙な手口だったということだろう。本当にごく一部の人間だけで粉飾操作されていたことになる。
オリンパスはどうなるのか、上場廃止になるのか、会社が存続するのか、憶測ばかりが飛び交う中で従業員は一体どうしたらいいのだろう。
- 最悪の事態を案じ、自らさっさと会社を去っていく(去れるだけの力がある)。
- やめたくてもサラリーマンの流動性の低い日本では転職のすべを知らない人が多いので、とりあえずそのまま働く(去れるだけの力がないのを分かっている)。
- おそらく内視鏡部門は残るだろうから、そこの人はそのまま居続けるだろう(会社の粉飾体質を気にしなければ)。
この3つぐらいだろうか。
ある程度の規模の会社になれば自分の部署以外は何をやっているのかもわからないなんてことはざらにあるし、それが当たり前だ。私の勤務する会社もおそらくそうだろう。知らないところで動いていることが多すぎるがそれは仕方がない。
自分が同じような立場になった時にどうするか。私の勤務する会社は今でこそ自由競争に形上さらされているが、以前は護送船団の中にいたので特筆すべき部門がある訳でもなければ、もちろん自分にそれだけの技術や技能がある訳でもない。だからおそらくこのままの状態であれば「2」を選択せざるを得ない。
幸いオリンパスは内視鏡部門で強みがあるし、技術系企業であるからそこで培った技術でもって転職をすることは容易な人もいるかもしれない。一方で事務職や営業職は特殊な技能がある訳でもなく、やもすると「オリンパス」の看板があるから仕事ができたという人の方が大半だろう。これはオリンパスに限らず日本のサラリーマンの多くがそうなっていると思われる。
私自身、技術職でもないし、間違いなく会社の看板があってこそ仕事ができている人間なのでもし会社が存続しなくなったとき、路頭に迷うより仕方がない身である。決してプラスにとらえることができないだろう。
こういうとき、所属先がなくなってもマイナス思考にならずにポジティブになるにはどうしたらいいのだろうか。ポジティブに、次につながるような行動をいつでも起こせるようにしておくには、今何をやっていればいいのだろうか。
法律上、人は「法人」と「自然人」に分けられるが、「法人」も「自然人」がやっているのだから、どこの会社でもオリンパスのようなことは起こりうる。会社を疑ってかかる訳ではないが、このような場面に遭遇してもポイジティブでいられるようにしていることが、その会社にいる間もプラスに働くような生き方をしていかないといけないと考えさせられる事件である。「法人」あっての「自然人」でないように。
ラベル:
diary
2011-11-12
海外ドラマを観ているとFacebookの意味がよく分かる
去年の今頃だったかFacebookをはじめたばかりの頃に買った本です。ここのコラムでは掲示板について次のように書かれています。
アメリカでは自分の部屋の扉に自分に関する情報書いて通りすがりの人に見せたりすることがあるらしい。日本人で、寮生活の経験がないものには理解できないが、アメリカのドラマを観ているとなるほど理解できた。この「掲示板」の仕組みはFacebookの生まれたアメリカの学生寮の仕組みを考えると納得できます。アメリカの寮では個室の扉にコルクボードやホワイトボードが付けられています。これがFacebookの掲示板のイメージです。
私はERを観ている時に気がついたのだが、個人のロッカーに思い出の写真やメッセージを張っていることに気がついた。これでFacebookが日本人になじめない理由も説明できる。
少なくとも私の会社のロッカーでは思い出の写真どころかネームプレートも張っていない。通りすがりの人に(もちろん寮であればある程度は特定されているだろうが)自分の情報をさらけ出すということがあり得ない訳だ。一方でアメリカ人は自分の情報をさらけ出し、そしてその反応を書き込みもする。また誰かの寮の扉へ「最近どう?」のようなメッセージを入れたりもする。日本ではあり得ない。
Facebookが実名利用で受け入れられたのはアメリカではすでにその下地があったからだ。寮の扉であればそれが誰のものか一目瞭然。それがネットに移ったにすぎない訳である。だからいい加減なことを書くこともできないし、いわゆる炎上することもあまりないのだろう。実世界において自分の責任で自分の情報を出すことになれているのだ。
日本でFacebookは広まるかの議論は必ず実名利用が議題の第一にくる。だがこれは二次的なもので、そもそも個人の話を通りすがりの人にしようという習慣がないのだから話の次元が違っているのだ。日本人は自分の情報は出したがらない。だけどSNSができたから情報を出す手段は得てしまった。それが匿名でO.K.だったから「我を忘れて」書き込みができる。歯止めがかからなくなり炎上がおこる。こういう構図だろう。
アメリカには旅行で2度行ったことがあるだけだが、基本的に開けっぴろげな人たちの集まりに感じる。少々誤解を招く発言かもしれないが、日本で電車の乗り方を訪ねるのに、見た目で日本人でないとわかる人に聞く人はいないだろう。それどころか、駅員でない一般人に聞くことがあまりない。ところがアメリカ人は違うのだ。明らかにアジア人の私に対し、堂々と地下鉄の乗り方を聞いてくるし、道を尋ねてくる。それも観光客にだ。
SNSで実名を云々はそれほど大きい問題ではない。対人関係が対面なのかネットなのかである。対面で誠実な人はネットでも誠実であろうし、ネットで匿名でやりたい放題の人はおそらく対面でもやりたい放題、またはそれをみっともないことだと教えられて入るので対面はうまくやれないのだろう。
SNSがよくわからないとか、実名がどうだかではなく、これまで培ってきた人間関係が引越しや転勤で物理的に対面でコミュニケーションをとれなくなっていたものが、SNSを利用することで物理的、地理的障害を取り除くものであると考えれば、SNSの利用は個人でもっとハードルが低くなるはずである。
2011-11-06
『男の作法』 池波正太郎
昭和56年に書かれた本だがなるほどと思わせることが多い。残念ながら天ぷら専門店に行く機会もなければ寿司屋に行くこともそれほどないが、「かっこいい」と思われる食べ方をやはりしたい。
ただ、縞のスーツに縞のシャツは合わないというのはどうだろうか。結構この組み合わせでスーツを着ることがあるので。
実践しているのは刺身を食べる時にわさびを醤油に溶かないことぐらいか。
このような本で作法を学んでいると人に知らせること自体が作法に反しているのかもしれないが、一応記録まで。
男の作法 (新潮文庫) 池波正太郎
ラベル:
book
2011-11-01
アメリカは農地もバブルの対象になるのか
こちらのブログを読んでいて驚いたし、改めて考えると農地が簡単に売却できない日本が異常なのだろうが、アメリカの農地に投機資金が流入しているようである(なお、元ネタはEconomistのこちらの記事)。残念ながら英語にそれ程強くないのでしっかりと理解できた訳ではないが、アメリカでは1990年から約2倍、イギリスの同時期でも135%だそうである。更にイギリスでは1990年から2008年の初頭までで15%も上昇したようだ。
投機資金が入るということはそこでの作物からの収益に期待をもっているからであって投資先に迷っただぶついた資金が農地に買いに入るのも確かに不思議ではない。これから新興国の人口爆発で食料は逼迫してくるであろうし、バイオ燃料の普及を考えれば当然の行動であろう。
なぜ日本ではそれがおこらないのか。日本では農地を売却すれば開発されて宅地造成されて農地が減少し食料自給率が更に低下するという定説があるからではないか?そして、農業は農家がやるもので他者がやる訳がないし、だから農地を売れば農家の稼ぎがなくなるから農地を守るという考え方がこびりついているからではないか。
国土の狭い日本では農地の大型化で効率を上げるのは困難であり、営利法人が農業に参入しにくいという点は認めるが、資産をもたずに事業を展開するのが当然になってきた昨今、農業も事業として効率的に行われる必要がある。日本は農地を守って農家を守るのではなくて、たとえ農地を売却しなくても効率化で海外の価格に対抗する手だてはあるはずだ。そういう意味でも農業の会社化は更に進める必要がある。そこで農家を雇用、または委託することで農業従事者も潤うことができるだろう。
TPPへの参加や農業の自由化で食料自給率が下がるというのはそれだけ経営努力をしませんと宣言しているようなもので、TPPや自給率の低下と話をすれ違えているだけにしか思えない。本当に食料自給率を上昇、少なくとも維持しようとするのであれば、農業の効率化で海外の廉価なものに対抗すればいい。また海外からの輸入品はどうしても輸送中の防虫対策で薬品を使用する。国内産であればそれがないだけ有利に働くのだからその分の価格上昇は消費者は受け入れることは可能だろう。
これを行えば行き場をなくすのは農協と農林中金であるが、その辺りのコンサルをしっかり行っていけば新たなビジネスや資金需要はきっと生まれるはずだ。そのための努力を農協や農林中金は行ってはいけないだろう。
投機資金が入るということはそこでの作物からの収益に期待をもっているからであって投資先に迷っただぶついた資金が農地に買いに入るのも確かに不思議ではない。これから新興国の人口爆発で食料は逼迫してくるであろうし、バイオ燃料の普及を考えれば当然の行動であろう。
なぜ日本ではそれがおこらないのか。日本では農地を売却すれば開発されて宅地造成されて農地が減少し食料自給率が更に低下するという定説があるからではないか?そして、農業は農家がやるもので他者がやる訳がないし、だから農地を売れば農家の稼ぎがなくなるから農地を守るという考え方がこびりついているからではないか。
国土の狭い日本では農地の大型化で効率を上げるのは困難であり、営利法人が農業に参入しにくいという点は認めるが、資産をもたずに事業を展開するのが当然になってきた昨今、農業も事業として効率的に行われる必要がある。日本は農地を守って農家を守るのではなくて、たとえ農地を売却しなくても効率化で海外の価格に対抗する手だてはあるはずだ。そういう意味でも農業の会社化は更に進める必要がある。そこで農家を雇用、または委託することで農業従事者も潤うことができるだろう。
TPPへの参加や農業の自由化で食料自給率が下がるというのはそれだけ経営努力をしませんと宣言しているようなもので、TPPや自給率の低下と話をすれ違えているだけにしか思えない。本当に食料自給率を上昇、少なくとも維持しようとするのであれば、農業の効率化で海外の廉価なものに対抗すればいい。また海外からの輸入品はどうしても輸送中の防虫対策で薬品を使用する。国内産であればそれがないだけ有利に働くのだからその分の価格上昇は消費者は受け入れることは可能だろう。
これを行えば行き場をなくすのは農協と農林中金であるが、その辺りのコンサルをしっかり行っていけば新たなビジネスや資金需要はきっと生まれるはずだ。そのための努力を農協や農林中金は行ってはいけないだろう。
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