2011-12-31

2011年の11日

11日という日にちには世界中の人たちが敏感に感じる日であろう。世界的な出来事としては10年前の11日、身近なものでは日本で起こったあの月の11日。そして、私個人としては夏の2ヶ月に襲いかかり、最後まで尾を引き未だに続いているあの11日。毎月10日の夜になると「明日は11日か」と思い出し、11日という日にちに恐怖を覚える。

私にとっての「11日」はその後周囲に迷惑をかけ続け、それを受け入れることができる、それを呆れられることができる会社のサラリーマンであったことに救われた。普段は中途半端な会社の規模による意思決定への時間の掛け方、またトップからのメッセージの弱さに不満を感じていた会社であるが、「寄らば大樹の陰」の恩恵を最大限受けてしまった1年であった。これが裸一貫でやっている中小企業や、ベンチャーの会社であったのであれば、バッサリと切られていただろう。また、そういう立場にある友人にはくれぐれも「心身」の健康には注意してほしいと心から願うばかりだ。

「身」の健康は自らの努力である程度確保できるとしても「心」の健康は自らの努力だけでは確保できず、環境や場合によっては努力自体が逆効果になることもある。

「心」の不健康は自分の情熱と好奇心を「身」が駄目になる前に片付けようと身近なものばかりに目を向けさせてしまい、長期的なものに「情熱と好奇心」を注ぐことが不可能になる。長い目で見た成長を全てストップさせてしまうだけの負の力を持っていて、最後はめまぐるしく変化する世の中の動きについていけない人間にさせてしまう可能性がある。それにも不安を感じ始めたら完全に文字通り「負のスパイラル」だ。

そんな評論家的な言い回しで自分の人生を片付けられる訳は全くなく、全ては自助努力で改善できる思っていた。常に全速力を目標にしてきた自分にはあきらめに近く納得できない部分もあるが、夏のあの11日から何ヶ月もたった年末近くになって、今は私が持っている自然治癒力と、それを「阻害しない程度の自助努力」のみが改善策のような気がしてきた。

Jazzのセッションは(曲のテンポではない)全速力でアドリブを重ねあわせて完成される作品であると思うが、自分一人が全速力でやっていても素敵なセッションにはならず、必ずメンバーそれぞれが全速力を出せるように、その時その時で呼吸を合わせながら誰かが全速力のときは退いている人がいるからこそ成り立つものである。その退きは決して後退している訳ではなく、名脇役として全速力の人を際立たせることに集中している。

話はそれたが、後数時間で2011年は全て過去のものとなる。時間は常に過去を生んでいるものであって12月31日に限って過去のものになる訳ではないので何も今ここですべてを振り返ることに意味はないし、2011年に起って今だ引きずっているものがこの日をもって全て清算される訳でもなく、間もなく訪れる2012年も引きずって始まる訳だから振り返ることに意味はないことかもしれない。

あまりにも多くのことが身に降り掛かったこの1年を、手帳を入れ替える前に少し振りみてもせっかく休日の12月31日、悪いことではない。

Chick Corea & 上原ひろみ Duetを聞きながら。

これがなくては1年が終わらない

昨日は大学時代のゼミのOB会。

普段からあっている連中はもちろんのこと(2日連続というものも数名)、年に1回会うか会わない人、ネットでコミュニケーションをとっているけど実際に会うのは数年ぶりの人、いろんな人が参加する我らが児島ゼミのOB会は1年の締めくくりの大事な行事。だから毎年私の仕事の最終日にやっているのだ(この日程にはかなりな人が迷惑を被っていると思う、ゴメン)。

まぁ詳細はFacebookにゆずるとして、2次会で話も出たが顔ぶれには正直「マンネリ感」はなくもない。だけど、この「マンネリ感」がないと、久しぶりの顔にも会えないのがこの会の特徴であって、昨日もやれ「ゴルフ部結成だ」とか「東京部会やるぞ」等、各々かなり盛り上がった様子。おそらく実行されるであろうからまたこの集まりのすごいところだ。

結局2次会から帰ってきたら午前様どころか3:00。起きたら昼で全く持って「ダメダメサラリーマンの年末」を演じてしまったけど、声をかければ新幹線で駆けつけてくれる人もいて楽しい夜だった。

参加してくれたみんな、ありがとう。

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2011-12-24

手で書く

友人から年賀状が届いたので(その母親が郵便局勤務でノルマへ協力)、早速書き始め、一気に書き上げた。毎年31日に完成させていたので元旦に届いていない人が多かったろうが、今年は無事元日に届くことができそうである。

今年は印刷部分を大幅に削減し、手書きのメッセージを多く書けるようにした。そして、あえて宛先も手書きにしてみた。


  1. Macにかえて、住所録を入れていない。
  2. 買ったことはないが、年賀状ソフトを入れるのが面倒(意外に高い)。
  3. Wordすら入っていないのでGoogle Documentでできる簡単なものしか作れない。

等の理由はいろいろあるが、最大の理由はたまには「手書きでメッセージを添えてみたかった」ということである。

最近はSNSで地理的に遠い人とでも気軽にコミュニケーションをとることができる。twitterでのやり取りはリアルタイムでリアクションする場合もあり、反射神経に近い。そのため、テンプレート的なメッセージしか発することができなくなっている気がしている。
先日東京へ遊びに行った際、大学時代の友人、先輩等とあったが、普段からSNSでコミュニケーションをとっているため「久しぶり」感はないものの、深い議論というものはやはり「会って」話すのが一番だと認識した。これに感化されたのか、1名横浜から名古屋へ年末に戻ってくることを決めた人間もいる。

もう1点は会社の人への労のねぎらいを言葉にしたかったことである。30名近い人間を要する部署になると、担当ごとでチームになってしまい、部署全体で一体感を得にくい。また、コミュニケーションも疎遠になりがちになる人もいる。そういった人たちに「ちゃんと見ているよ」ということを、間接的に伝えるために、一人一人にメッセージを添えたかったのだ。
こればかりは自己満足の世界で受け取った人がどう感じるかはその人次第だし、それを意気に感じて今後の仕事に更に力を入れてくれれば占めた物だし、少なくともパフォーマンスが落ちることはないだろう。

「間接的」にメッセージを伝えるのには苦労した。手書きなので頭の中で文章を組み立ててから書かなくてはならないし、あからさまにほめすぎるのもまた気が引ける。女性に対しては割と直接的に「ありがとう」と添え、年下の男性職員には論語の中から好きなものを選んで添えてみた。

手書きをしてみて改めて感じたが、ワープロで作る文章は「書く」だが、手で作る文章はまさしく「作る」である。投函したら最後、もう修正は利かない。ものを作って納品する感覚はこういうものなのだろうか。となると、拙い小生の文字が既に欠陥商品となってしまうが、今更どうにもできない。できる限りの丁寧な字を書いたつもりである。そしてオーダーメイドで作ったつもりではあるが、語彙の少なさから同じようなメッセージになってしまったものも少なくない。それぞれが見せあうものではないのでそれはそれで問題ないのかもしれないが、書いている側からすると微妙なニュアンスの違いを表現してみたいものである。これは教養のなさを痛感するしかない。

手で文章を書く(作る)ことはあるようでなかなかない。年に一度、その年の教養の集大成として、手書きの年賀状で自分の力試しをしてみるのも悪くない。

2011-12-11

最高裁で刑事事件を傍聴

最高裁の傍聴券
12月8日に最高裁判所で刑事事件を傍聴してきた。

事前に最高裁へ当日の裁判予定を電話にて問い合わせ(ネットでは公開されていない)、その日は13:30〜本裁判のほかに、15:30〜民事裁判の判決の予定があるとのこと。当初は13:00〜の衆議院本会議を傍聴する予定であったが、現地に到着して衛視に聞くと「今日の本会議は中止になった」とのことであり、こちらの刑事事件を傍聴することにした。

12:55に傍聴券の配布を行うので南門へ集合とのことで15:35頃に現地へ行くとすでに5名ほどの傍聴者がならんでいる。私の後からは地元紙の記者と思わしき男性2名が並び、更に数名が並んだ。傍聴券配布場所には裁判所職員が3〜4名、そして最高裁専門の警備員(正式名称は不明)が1名いる。雨が降っていたこと、および寒さのため予定を繰り上げて12:50に傍聴券の配布が始まった。
傍聴券をもらうと職員が中へ案内する。階段を上がり建物の中へ入るとロッカー室があり、傍聴券、筆記具、貴重品以外の持ち込みは一切認められない。もちろんICレコーダも不可だ。これを持ち込もうとしていた地方紙記者には笑った。
空港さながらの持ち物検査があり、ベルト、靴は身から外さなくてよい物のポケットの中身を全てトレーに入れ、金属探知機ゲートをくぐる。その後階上へ案内され大きなロビーが広がっている。床は花崗岩(と思われる)でできており、そこの固い靴だと「コツンコツン」と音が響きそうだ。ロビー2階に傍聴人待合所があり、呼び出されるまでそこで待つことになる。

13:20頃だったか、職員の先導により階段を上がり法廷のある階へ。そこからは絨毯敷であった。階段を上がり、右手に第一小法廷、左手に第二、第三小法廷である。今回は第一小法廷であった。

最高裁第一小法廷の構図
小法廷の構図は拙いメモ書きではあるが右記の様子である。


  1. まずはじめに職員より「最高裁判所からの連絡事項」が説明される。内容は以下の通り。裁判官入廷時は傍聴人を含め全員が起立することが「慣例」になっている。
  2. 裁判官入廷後、2分間は報道用撮影時間を設ける。

これら以外にも傍聴席からの発言は認められないなど「お静かに願います」的な説明が数点あった。

メモの最下段が傍聴席であるが、その右側の3と書いてあるところは記者専用のようで3人すわれるようになっている。「報道」の腕章をした人物が数名座っていた。傍聴券配布の際は見かけなかったので、おそらく登録制で専用に入廷できるのだろう。右側のと書かれたところも同様であったが誰も座っていない。その両脇の貴社専用席と思われる傍聴席には記帳台が用意されている。ちなみに傍聴券配布に並んでいた地方紙記者と思われる人物は私の隣に座っていたのでおそらく登録されていないのだろう。なお、真ん中の傍聴席には最前列で12名すわれるようになっており、左右の記者席と思われる物も含め、数列用意されている。

私が傍聴席に入った時点ですでに弁護人1名、検事1名、速記者(裁判所でもその呼称でよいのかは不明)2名が入廷済みであった。今回、上告審の初めての法廷であったようで、被告人は同席していなかった。

小法廷の様子は上からセンターに裁判官が入廷する扉がある。観音開きの扉であるが自動扉である様子。裁判官が座る場所はテレビで見るように高所であり法廷内全体が見渡せる位置になっている。下段右側は裁判所職員の出入り口がある。

いよいよ裁判官の入廷である。職員の連絡通り、全員が起立し裁判官の着席に合わせて同様に着席する。そのまま2分間の報道撮影が始まり、裁判官はまだ一言も発しない。職員が後ろで終了30秒前を伝え、2分経ったところで時間経過の案内と同時にカメラマンの退室を促す。確かNHKのカメラマンが入っているのを見かけた。

職員の「カメラ退室しました」の発言の後、裁判長から開廷知らされまず被告側へ陳述書に誤りはないか、また追加があれば発言するよう促す。開廷直前に入廷したもう1名の弁護人が書類を見ながら陳述を読み上げていた。テレビドラマや映画で見るような「気迫あふれるプレゼン」とはほど遠いというのが印象。ただ、ひたすら読み上げていく。検事の様子を見ると退屈そうにしている。

弁護人の陳述の後、裁判長から検察側へ意見があるかといわれ、検事が起立しこちらも用意した現行通りの意見を読み上げるといった印象であり、こちらもイメージを覆される。双方ともに「現行の読み上げ」が終了したところで「次回の日程は追って知らせます、本日はこれにて閉廷いたします」の裁判長の発言により、30分足らずで裁判は終了した。上告審の第1回目はお互いに上告審を行うかの確認をするだけという印象である。その後の証人尋問等、裁判長が述べた「次の日程」がいつになるものなのか想像もつかないが、事件の性質もあり一概にはいえない物の、「日本の裁判は時間がかかる」といわれる理由は何となく理解できた気がした。

今回傍聴を経験して裁判官という「人」を初めて目の当たりにした訳だが、弁護人、検察官ともに書面を読み上げる間、裁判官はほぼ微動だにせず、ただ座って前を向いているだけであった。手元の資料を見る訳でもなく(まず持って何も持たずに入廷した)、身を乗り出して話を聞くこともほとんどない。そこには感情といった物は何一つ垣間みることができなかった。これが裁判における「中立」、そして裁く者の姿勢であるのかもしれない。

最後に、開廷と閉廷の際によくテレビで見かける「木槌を叩く」というものは「今回は」なかった。

2011-12-03

小宮一慶氏のセミナー 備忘録

経営とは・・・

  1. 企業の方向付け。何をやるか。何をやめるか。
  2. 資源の最適配分。
  3. 人を動かす。

コンサルタントは業種ごとの細かいことはわからない。
クライアントは世の中の動き、他者の成功、失敗事例が知りたい。

2007年、パリバショック。
2008年、リーマンショック。100年に1回の不況といわれた。
もしイタリアがデフォルトになると(同時にスペインもなると思われるが)103年に2回の不況となる。
そのような状態に備え、今は借入をしてでも手元資金を増やしておいた方がいい。幸い低金利のため、利息は保険と考える。

現預金が月商の何ヶ月分あるかが1つの指標。
一部上場企業は概ね1〜1.5ヶ月分。
オリンパスは年商8,000億に対し、現預金が2,000億以上ある。一方で自己資本比率は20%を切っていて借入でもっている状態。
(仮説)粉飾決算が明るみに出るのを恐れて手元資金を厚くしていたのではないか?

仮説の検証を新聞を読むことで行う。

3月の震災で様々なことが早くなるのではないか。

  1. 産業の空洞化。海外へ進出。
  2. 財政の悪化。
  3. エネルギー政策→エコ

世の中の変化はビジネスチャンスである。

新聞は1面から読むこと。新聞は知ってほしいことから順番に書かれている。それが世の中の流れであるから、自分の感性をそれに合わせる。読む順番を自分の感性に合わせない。
気づいたこと、数字でも何でもいいから1つでもメモを。

GDPとは何か。付加価値の合計。売上−仕入。給与の源泉。名目GDPが伸びないと給与は上がらない。
1981年のGDPは240〜250兆円。初任給は100千円程度。
1991年は約470兆円。90年代前半の初任給は150〜200千円。
現在のGDPとそれほど変わらないから初任給も変化していない。

GDPにしめる個人消費の割合。日本:55%、米国:70%。

日本は物価が上がらなさすぎる。世界的にデフレは日本だけである。供給過剰。

円高なのに最近の輸入物価は上がっている。
8月は輸入が輸入物価以上に急増。LNGの輸入が増加したため。火力発電は70%がLNG。冬場は電力不足で貿易赤字になるか(仮説)?

直接投資は4月以降マイナスが大きい。企業は最適ディシジョンで海外へ進出している。GDPは増加していないのに過去最高益の企業が多い。企業は海外で稼いでいる。

所得収支の70%は債券での収入。海外の金利低下で所得収支が低下。経常収支がマイナスに陥らないか?


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