2009-01-14

『いつかパラソルの下で』 森絵都



潔癖症で厳格な父。


「父親の威厳がなくなった」といわれる最近にはあまりない家庭模様かもしれないが、だけどまぁどこにでもあるであろう家族模様?

厳格な父親に嫌気がさして家を出て行った長男と長女、末っ子で父親にかわいがられていたと上の兄弟に思われている次女。

本当の自分は困難ではないと豪語し、父親に子どもの頃窮屈に育てられたことを言い訳にして自分で人生を切り開けない長男と長女は、実はその父親にも子どもの頃の窮屈な思いがあったことを父の死後知る。

そして、その父親にも死の直前、若い女性と情事があったことを知り、ショックを隠せない子供たちとその妻。そんな父に軽蔑し、父親の生い立ちを探ろうと旅に出る子供たちは、最終的には自分自身たちでも何をしにその旅に行ったのか理解しきれていないが、最後はその旅自身が非常に楽しいものであった。

今を生きる人たちには今があり、以前生きた人たちには語り継がれるその生き様があるのだが、そんなことは自分自身がどう捉えるかだけの問題であって、なくなった父親を理由に「自分はこんな人間になってしまった」というのは言い訳でしかなかった。

そこに気がついて前向きに生きていこうとする家族は現実的ではないようではある。しかし、実際は自分のことなど他人はそれ程気にしているほど暇ではない。もちろん誰かに聞かれればいろいろと尾ひれのついた話はするだろうが、それもよほど暇でないと話題にはならないだろう。

他人の目をあまり気にせず、自分の思うように生きていこうとし、それを恥ずかしいとも思う必要はない。

私自身はそんな考え方はいささか無責任に感じるが、それも考えすぎなのだろうか。それともそんなことを感じる自分は実は暇で余計なことばかり考えているのかもしれない。何も抱えることなくやっていけばいいのか。そこのところの線引きはなかなか難しいものだ。

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