2012-04-10

恩師からの贈り物

私が今の会社に入社して最初の支店での2人目の支店長が、嘱託を終えて3月31日に正式に退職された。勝手気ままな私の行動を「外っておいてくれた」彼はその支店を最後に本部に入られその後も仕事でつながりは続いていたが、私が4年間外国為替の部署に在籍していた際は、ほとんど年賀状のみのやり取りであった。4年ぶりに営業店に戻った私は、その間に民放の改正で連帯保証人契約の内容が変更になったり、円滑化法はできるわで激動的に変化した仕事内容についていけず、資産査定の部署に在籍していた氏には大変お世話になった。

その彼が退職間際に私に連絡をくださり、「仕事で使っていた本を引き取ってもらいたい」とのことであった。「歳はとってるけど本は最新のものだよ」とはいかにも彼らしい。

仕事の都合で本部に行く時間が取れたので、その際にお会いし本をいただいた。

いただいた本は小説の類いも含め40冊以上。そのほとんどが金融実務書で、その中には私も書店で狙っていたが、欲しい情報の一部だけにこれだけのお金は出せないなと躊躇して購入していなかったものも含まれており、大変うれしかった。

更にうれしかったのは、数冊ではあるが私も所有している本があったこと。「かぶってしまったな」という思いは全くなく、妙に感慨深いものがあった。実務書であるものの、そこで繋がっていたということが何となく琴線に触れた気がしたのだ。

嘱託といえば年金受給開始までのつなぎ期間的なイメージがあるが、彼は常に最新の実務情報を入れていたわけで、とてもじゃないが私が追いつけるレベルではない。その姿勢に感服もした。

私の時間の都合で30分ほどしかお話ができなかったし、後日行われた送別会も体調不良で欠席してしまったので大変申し訳なかったと思っている。元々山に登るのが好きな方だったので、そちら関係の何かをお返しとして送りたいと思う。

いただいた本の一部だけご紹介しておこう。


支店の実務ではそれほど必要ないのかもしれないが、償却や引当の方法の考え方は資産査定を行う上で当然必要な知識であって、会社全体の資産査定を俯瞰的にみるには必携の1冊。


私も所有している1冊。取引先に「経営改善計画書」の作成したところで、申し訳ないがそれは絵に描いた餅。そもそも中小零細企業のほとんどは赤字経営で、経済変動(大企業の予算も含めて)に振り回されるそれらの企業に5年先、10年先の計画をだせという方がどだい無理な話である。しかし金検マニュアルで作成が義務づけられている以上仕方がない。本音と建前的ではあるし、かなりな語弊があるが、「つじつまの合うウソ」を知るには大変便利である。


私が営業店に復帰して最初に購入した本。本部在籍時に企業会計原則が変更になっていて、慌てて購入したもの。資産査定を行う上で、一番利用した本である。彼も同じだったようで、一番使ったと言っていた。


こちらも営業店実務ではまず必要ではないが、金融機関職員としては銀行決算の仕組みを知る上で便利な1冊。これは私も初版本をブックオフで購入している(当時の共著者の一人はこちらの方)。


元銀行員作家の作品は結構読んでいる方だと思うが、なぜか池井戸潤さんだけはさけていた(特に理由はないが何となく)。「下町ロケット で直木賞を受賞されてそれを読んで以来、少し読んでみようかなと思っていた矢先、4冊いただいた。


以上、ほんの一部であるが、彼の会社人生の最後の飾りづけに使われたこれらの本を、私は大事に使っていきたい。

2012-04-08

ネットワークCDプレイヤを検討中

今自分の部屋のオーディオは19インチの液晶テレビ、Blurayプレイヤ(どちらも東芝REGZA)をHDMI端子で接続して、テレビのイアフォンジャックからBOSEのCompanion 3 seriesⅡに接続している。

Companionは有線リモコンにもイアフォン端子がついているので、そこからiPod touchに接続してiTunesに入っているものを聴いたり、インターネットラジオを聞いたり、radikoを聴いたりしている。

CDプレイヤがないこと。PCのハードディスクはまだまだ十分にあいているけど、外では聴かないけどたまには聴きたいと思うものはあまりPCに入れたくないんだよね。特にクラシックがそう。おまけにiTuneのアルバムアートワークが使えなくて、どれがどのCDかわかりにくい。

将来的にはターンプレイヤを接続したいこと。

ということでいろいろ探していたら、最近はAirplayに対応したCD付きチューナ付きアンプが結構あることに気がついた。おまけにインターネットラジオも聴けちゃうからすごい。

例えば、


こんな感じ(marantzはちょっとお値段が張るけど)。


問題は、スピーカがないんだな。
BOSEってそれだけで完結させるならいいんだけど、汎用性が低いんだよね。付属のスピーカは端子一本で専用だし、Companionのウーファは他アンプからの入力ができないから単体で使えない。
じゃぁあとは上のアンプからAUX出力の赤白端子かららピンジャック変換して、それをBOSEに接続するかと。なんかアンプが2重になって無駄だよね。

さて、どうしたものか・・・。

今回の検討にあたって、オーディオ知識ゼロではいけないので読んでみたのがこの2冊。



「オーディオ常識のウソ・マコト」はケーブル、アンプ、CDプレイヤ、スピーカについて全般的に書かれていてとても参考になった。

「続 オーディオ常識のウソ・マコト」PC時代にあわせた続編で、A/D、D/A変換やマイクのことなど、かなりマニアックな内容になっている。電子回路や音声ファイルについての解説なので、ただ音楽を聴くことを目的としているだけの人には読み流すだけでよいだろう。
面白いのは、SONYとAppleの比較を行っているとのこと。2008年当時のネットワークウォークマンとiPod nanoのノイズの比較などを行っている。どちらに軍配が上がったかはぜひお読みください。あと、ヘッドフォンとイアフォンについても書かれていて参考になります。
ただ、2008年初版のため、今はやりのAirplayなど無線LAN関係の記述は一切ないのでそれを目的に読まれる方はご注意を。

しばらく、暖めて結論を出そう。

2012-04-03

世界が忘れてはいけない島がある


クリント・イーストウッドの「硫黄島プロジェクト」二部作を続けてみた。

日本側の視点から撮影された『硫黄島からの手紙(LETTERS FROM IWOJIMA)』。
栗原忠道中将率いる日本兵は装備も人員も不足のまま、日本本土上陸の足がかりとなる硫黄島を死守すべく持久戦へ持ち込んだ。アメリカ帰りの栗原中尉と西の冷静な判断に基づく指令に対し、「前例がない」と拒否する。伝令がうまく伝わらない。十分に「アメリカからみた日本的な」映画だと思う。

一方でアメリカ側の視点から撮影されたのが『父親たちの星条旗(FLAGS OF OUR FATHERS)』。
どこか余裕を感じさせるアメリカ兵はどの映画ドラマとも変わらない。硫黄島からの手紙では全く感じられない日本兵の余裕。常につきまとう緊張感(脅迫感)とは真逆である。

この2つの映画は当然戦争を肯定するものではない。しかし、日米の「何のために戦うのか」の相違点はは鮮明に表されていると思う。

日本兵は「お国のため=天皇陛下のため」に戦う。なので、相手に殺されることを潔くとせず、追い込まれると自決する。硫黄島からの手紙の冒頭、米兵は根性がないというシーンが出てくるが、これはおそらく追い込まれた時に自決する勇気がないことを言っているのだろう。

他方、アメリカ兵はどうだ。父親たちの星条旗の最後のシーンにあるが、「仲間のために戦う」のだ。これは衛生兵が劇中活躍することから、ことさら強調されて聞こえるが、アメリカの戦争映画は割と衛生兵の活躍、負傷者は助けると言ったシーンが多い。当時の日本兵が所持していたかはわからないが、この映画では既に点滴が最前線の戦場で使用されている点も、既に物資面で日本がアメリカに追いついていない証拠だろう。

しかし、なぜ日本人は相手にやり込められることが苦手なのだろうか。なぜ最後は自決という結末を簡単に選択するのだろうか。当時の戦時教育ももちろん影響しているのはわかっているが、長い歴史の一部でたかだか1〜2年の兵隊教育で自ら命を絶たせることを決断させるに十分な理由など、一体何があったのだろうか。

従軍された方、およびその遺族の方々には大変申し訳ない感想になってしまうが、どうしても日本兵の行動は、これら2つの作品に限らず破れかぶれな行動が多いように感じる。1976年と1945年では経済規模も違うし、何よりよりどころとする憲法が違う。天皇主権が国民主権となり、象徴天皇に変わったということもあり、1945年を境に求められる嗜好は180度転換したわけであるからそもそも比較するべきものではないのかもしれない。

そこまで考えても、やはり「自決」という選択は正しいのかといわれYes or Noで応えよといわれたら、おそらくNo.と応えるだろう。なぜならば、自決は自らにとっては潔い行動かもしれないが、組織人としては諦め、中途放棄に映るからだ。どのみち息を切らしながらその場にいるのであれば、思考を外へ向ければ自らが死ぬのではなく、相手が死ぬ方法を考えられるような気がしてならない。

2012-03-25

支援機構の奨学金はれっきとした借金です。

Newsweek日本版に、アメリカの学生ローンについての記事が出ていた(こちら)。

それによれば、

  • 残高1兆ドル(82円換算で82兆円)を超え、ニューヨーク連銀の予想を16%も上回っている。
  • 一人当たりの平均借入額は76,000ドル(同、6,232千円)。
  • 25%が延滞。

とのこと。

一方で日本はどうなのだろうか。

まずは日本学生支援機構(以前の日本育英会)。
文部科学省の23年度予算では件数は1,270千人、金額で1,078,100千円(1兆78億円)。一人平均848千円。高校分は含まれていない。

もう1つは日本政策金融公庫のいわゆる「国の教育ローン」。
直接貸付、および代理貸付の合計で23年3月の残高は1,079千件、897,641,457千円、平均は831千円。元データは日本政策金融公庫、国民生活事業、行頭系年報、25〜26頁)

日本の代表的貸付型奨学金は上記2方法であるが、これら以外にも民間金融機関のローンもある。但し、私が勤務する協同組織金融機関においてはまず取り扱うことがなく、少なくともここ2年は申し込みを受け付けたこともない。

また、支援機構、金融公庫ともに利用者数(件数)での平均は800千円台であるが、1〜4年生全ての平均であることから、1人個人の最終的な利用残高としてはおそらく2倍程度の1,600千円程度になるのだろう。実際私も利用したが、当時は今のように複雑ではなく、自宅は月47千円の固定、これを2年間借りたため合計1,128千円の利用であった(幸い、無利子が適用できたので利息は払っていない)。

政策公庫の利用残高は数年横ばい維持の印象だが、支援機構についてはかなりな勢いで右肩上がりが続いている。

奨学金事業の事業費:文部科学省サイトから引用
私が卒業した平成11年度で3,781億円、23年度が10,781億円。この12年間で2.85倍に増加している。
支援機構は一人当たりの利用金額に決まりがあるので金額の増加はそのまま利用者数の増加になる。

貸与人員の推移:文部科学省サイトから引用
(上記2種の図表はこちらから引用:文部科学省、奨学金事業の充実)

同じく私が卒業した11年度は65万人であったのに対し、23年度は127万人。2倍弱の増加である。

借入の増加に伴い、延滞の増加についても時々ニュースで耳にする。延滞については若干古いデータではあるが、支援機構の平成21年度奨学金の延滞者に関する属性調査結果のサイトに詳しい。

私は10年で返したので毎月の返済額は94千円、無事に完済することができた(途中、入金忘れでの延滞は2〜3回ぐらいあったが、当時は延滞にもうるさくなく、電話すれば来月まとめて引き落としておきますですんでいた)。

国の教育ローンは親名義での完全な借入であるし、窓口にも「借りる」つもりでお客様も来店される。一方で支援機構の奨学金は学生自身が申し込むこと、そして「奨学金」という言葉に惑わされ、「借入」という意識は少ないと思われる。私も手続き中はそうであった。もちろん、手続き中に償還方法についての説明はあったが、そんなものは一切覚えがない。だが、奨学金は間違いなく「借金」なのである。

私が借金の意識を持ったのは卒業式前後の3月にリレー返済の手続用紙が手元に届き、就職して研修が終了、支店に配属された翌日に預金担当の女性職員へ自動引落しの手続用紙を手渡したときである。
奨学金の引落しするってことは、入社早々借入の返済手続ってことだね。
おっしゃるとおり、2年間かけて借金を積み上げ、それを10年で返す日々が始まったのである。無事に3年前、完済にこぎ着けたが、今でも「奨学金返還完了通知」は手元に大事にとってある。

先週は至る所で袴姿の卒業生を見かけた。前途洋々とサラリーマンとして羽ばたいていくのであろうが、奨学金を利用した方はもう既に「負債者」であることも、肝に銘じて働いてほしい。

2012-03-18

ちょっとはスポーツに興味を持ってみた。日本のサッカー編。

大学時代の同期(@samosaku)がここのところよくサッカーの試合を観に行っているようなのでちょっとだけ興味を持ってみた。ところが、全く気にしていないうちにチーム数はふくれあがり、J1とJ2の区別もつかなくなっていることに愕然とし、ちょっとまとめてみた。まぁ、どっかのサイトを見れば一発でわかるものだが、自分で書いてみないと頭に入らないし。

まず、J1(2012年シリーズ)。
team name11年順位
コンサドーレ札幌J2:3
ベガルタ仙台4
鹿島アントラーズ6
浦和レッズ15
大宮アルディージャ13
柏レイソル1
FC東京J2:1
川崎フロンターレ11
横浜Fマリノス5
アルビレックス新潟14
清水エスパルス10
ジュビロ磐田8
名古屋グランパス2
ガンバ大阪3
セレッソ大阪12
ヴィッセル神戸9
サンフレッチェ広島7
サガン鳥栖J2:2
こういっては何だが、昇格とはいえサガン鳥栖がJ1とはびっくりだ。あとFC東京も。

入れ替えの方法も以前とは違っていて、2011年はJ1下位3チームとJ2上位3チームが入れ替えだったようだけど、wikipediaによれば、2012シーズンはJ1下位3チームは降格、J2上位2チームは昇格、3〜6位でプレーオフとなんだか変わりすぎていてよくわからない。

だいたいいつから1シーズン制になったんだ?

そして何、気がついたらJ1だけで18チーム。これではよほど気にしていないと頭に入りきらない(サッカーファンの方、ごめんなさい)。

ひとまずそんな状況なので特にひいきにしているチームは今はないのだが、愛知県在住としてはグランパスが2位と健闘しているのは喜ばしいことである。でも、いつの間にかエイトが抜けていることは気がつかなかった。









で、次にJ2をと、
team name11年順位
モンテディオ山形J1:18
水戸ホーリーホック17
栃木SC10
ザスパ草津9
ジェフユナイテッド千葉6
東京ヴェルディ5
FC町田ゼルビアJFL:3
横浜FC18
ヴァンフォーレ甲府J1:16
湘南ベルマーレ14
松本山雅FCJFL:4
カターレ富山16
FC岐阜20
京都サンガF.C.7
ガイナーレ鳥取19
ファジアーノ岡山13
徳島ヴォルティス4
愛媛FC15
アビスパ福岡J1:17
ギラヴァンツ北九州8
ロアッソ熊本11
大分トリニータ12
全部で22チーム。合計40チーム。これにJFJをあわせるとなるともう都道府県数を超える数。1件数チームの件もあるから、J1〜JFLまででチームの内県はあるのだろうか。

そしてびっくりなのが、JFL上位2チームがJ2昇格していないこと。つまり昇格要件を満たしていないか、満たす気がないのか。そんなんでも優勝したりするんだから逆にすごいよな。

全部で40チーム。野球のセ・パあわせて12チームとはわけが違う。全部の順位なんて気にしてたら頭がパンクしそう。ToToやってる人ってすごいな。これ全部の組み合わせをみて試合結果予想するわけだからね。

これだけあれば「おらが街のサッカー」って感覚にもなるよな。野球人口が減るのもわかる。だって12球団のあるところ意外は全部読売で、目の前で試合が観られる機会はごく限られているわけだから、よほどのことがない限り生で試合を見ることはできないわけだから。

まぁ、多すぎて頭に入りきらないサッカー界。せめて地元のグランパスぐらいは応援してみることにするか。

2012-03-17

『舶来屋』 幸田真音


庶民のサラリーマンからは唯あこがれの存在に過ぎないグッチにエルメス。その本当の存在意義は「お値段が高いものはいいもの」ではなく、「よいものを、それに見合ったお値段で」にあること。そしてそれを手にすることができるのは、本当はそれに見合った社会的地位(今いわれる格差的なものではなく)とその所得を得ている人たちであるべきである。そして、そこに届かない人たちは、それに届くように目指して日々生活をする。こつこつと生活をし、こつこつと地位を上げていって初めて手にしていいもの。それが本当のブランドもの。

戦後の闇市から始まった主人公の商売魂は、最初こそ裏ルートを使った方法ではあったが、基本的な「お客様の要望に応える」をもととし、まずはアメリカの当時から見れば進んだ電気製品など、そしてアメリカで売られている「いいもの」と思ったものが、全て欧州製であることから、ヨーロッパのすばらしいものを日本に広めたいという純粋な心意気である。

ブランドのことはよくわからないが、名前は違えどどこどこと何々は資本は同じということはよくあるとは耳にする。いつの間にか「よいものを見合ったお値段で」はいつからか「高いものはいいもの」、「誰もが知っているものは高くていいもの」にとって変わられ、「よいもの」を作ることも巨大資本に巻き込まれて気がつけば概ねMade in Chinaである(中国製品を悪く言っているのではない)。

アウトレットも然りで、ブランド自らが首を絞めて出来上がったビジネスモデルだ。ブランドものが安く買えるとアウトレットに行列ができるが、それは本来のブランドがもつ力ではなく、資本力に負けた、対応しきれなかった商品が並んでいるもの。いってみれば負け組に蟻のごとくよってたかっているのかもしれない。そんな気がした。

80歳を過ぎてもなおよいものを探し続けて世界中を飛び回る主人公(実在する)のように、名前に翻弄されるのではなく、いいか悪いか、それは自分が決められるような素養を持つ人間にならなくてはいけないと思った。

以前、サッカーの岡田監督が将棋の羽生棋士と対談の時に言っていた言葉を思い出す。
いいか悪いか、正しいか正しくないかの判断に、美しいか美しくないかという要素があってもいいんじゃないか。
そういう要素を磨き続けていくようにしたい。

2012-03-06

デッサン難しい


前々から興味のあったデッサン。先日カメラの本を観に行ったら横にデッサンの本があって、その本は買わずにそのまま東急ハンズに行って道具だけ買ってきてしまった。まぁ買ってきてしまったというほどのものでもなくて、鉛筆5本に練りゴム、スケッチブック3冊。そしてこれは道具と言えるかもしれない「スケール」(写真の一番左)。ざっと全部で1,600円ちょっと。初期投資としてはかなり安い遊びだ。

今日は朝から体調が悪く会社を休んでしまったが、午後から何とか立ち直ったため、初めての「デッサン」をやってみた。

まずは下準備。といっても、買ってきた鉛筆5本をカッターで削るだけ。鉛筆使うこと自体が何年ぶりかわからないし、手で鉛筆削るなんてそれこそ小学校以来だけど、体は覚えているもので自分で言うのもなんだけどかなりうまく削れたと思う。

で、とりあえず何を描こうかと考えたところに目に入ったのがジッポのオイル缶。
実物は・・・、



で、それを絵にすると・・・、

ま、ご愛嬌ということで。

写真と描いたときの目線が違うのでちょっとわかりにくいんだけど、赤いキャップの部分の形状が上から見るとかなり複雑で、結局分けわからずにこんなんでごまかしてしまった。

次は何にしようかなぁ〜。

2012-02-26

『働きながら、社会を変える。』 慎泰俊


本書はプライベイトエクイティファンドでバリバリに働く金融マン(26歳)が、パートタイムで子どもの貧困に社会貢献し、その実態と分析、行動を記したものである。

著者の意図から外れるかもしれないが、この本を読んでまず思ったことは、私の友人の多くは既に子どもを持ち、また私のことを知らずにこのブログを読んでくださるであろう同世代の方もおそらく多くが子どもをお持ちになってみえるだろう。その方々に声を大にしていいたいのは、
「自分の子どもには可能な限りの愛情を注いであげてほしい」
ということだ。具体的に何がそれなんだといわれると私には子どもがいないのでわからないが、少なくとも子どものことを「しっかりと見ていてあげる」ということではないかと思う。それは何も経済的に最大限の支出を子どもに向けろとか(以下に書くが、決して日本の子ども向け支出は高くない)、そういう類いのことでは決してない。本屋さんでパラパラ立ち読みでもいい、子どもを持っている人は本の数ページ読めば私がいいたいことは理解していただけると思う。

本書は3部構成になっていて1部、2部では児童養護施設の実態、そこにいる子どもたちの事情、生い立ち、また児童養護施設の運営について自信の体験(実際に住み込みをされた)を元に分析されている。3部ではサラリーマンでありながら、いやサラリーマンであればこそできる社会貢献の方法について書かれている。著者の意図としては1、2部で実態を知った後の行動として3部の内容を実践してもらいたいというのが本音であろうが、私自身どのような行動をしたらよいのかわからない状態なので今回はその部分は割愛し、児童養護施設の実態から自分が親になったとき、また現在親という立場である人たちに、ごく普通の家庭生活が送られない子どもたちがどれだけ悲惨な状況におかれているかを知っていただきたい。であるからして、既に親の立場にある人からすれば「何を当たり前のことを」と思われるかもしれないが、その当たり前が通用しない子どもたちがいるが現実なのである。

不幸にも親が病死した等の不可抗力的な理由で入所したにせよ、DVやネグレクトによって児童相談所から入所させられた子どもにせよ、ここにいる子どもたちは「捨てられた」という感覚が非常に強く、また大人でも見られるように自分の受けた暴力は他人にもしてしまうという悲惨な状況が繰り広げられている世界が児童養護施設だ。本来の家庭で生まれ育てば子ども2〜3人に両親で育てられるはずなのに、児童養護施設はその規模にもよるようだが収容人数によって職員1人あたりの子どもの人数が決められており、逆算で職員数が決められる。最近ではカウンセリング専門職(非常勤のことが多いようである)等もつけられるようではあるが、それを加えたところで子ども1人に職員1名ということは不可能である。それ以上に様々な事情を抱えた子どもたちが施設にはいるわけだから不登校、暴力など、自分の子どもでも手を焼きそうなことが頻繁に起り、それを1人の職員が何人分も対処しなくてはならない、また24時間態勢でぎりぎりの人数で回していることから職員の苦労も計り知れない。はたして自分がこの職業を選んでいたとして、いくら自ら選択した職業だとしても、では今もこの職を継続しているかと考えるとおそらく応えはNo.だろう。それほどに施設の状況は困難極まりないものだというのは本書を全て読み終わらなくても十分に伝わる。

また更に驚くのは経済大国を謳う日本の貧困率の高さだ。出所は別所になるが、ある調査によれば母子世帯の人口構成比は全体の4.1%で貧困率は66.0%にもなる。また、OECDの調査による子ども向け支出の対GDP比はワースト3に入り、子どもの貧困率は15%弱にものぼる。これが子どもの「教育」向け支出の対GDP比で行くとOECD調査ではワースト1となる。更に、同じくOECD調査であるが、16歳未満の子どもを持つ母親の就業率は50%強にしか満たさず、男女の就業率格差の比較では日本はワースト4である。
これだけを見れば、解決の糸口は女性の就業率を上げることと、子ども向け支出を高めることにありそうだ。

それにしても大学全入時代といわれて久しく、子どもは塾に習い事にと大人の残業並みに忙しい夜を過ごしていると思っていたらとんでもない大間違いであって、対GDP比における子ども向け支出がこれほどまで小さいとは意外であった。

ではこのような状況下で働くサラリーマンの私たちは一体何ができるのか。著者の体験からもわかるが、場当たり的なボランティアでたまに施設に顔を出す程度の行動は逆に子どもたちから「もう来ないんでしょ」とショックを与え、日々奔走する職員からは実態をわかっていない者のポッとでの手伝いはあまりありがたい話ではないようだ。
そこで著者らが考えたのがパートタイムでもできる社会貢献で、かつ自分の本業を活かせ、また本業にも活かせられる社会貢献の方法である。著者は金融マンであることから資金面でのパートタイムでの児童養護施設への援助プログラムを実践しているが、社会貢献のために本業を疎かにする者は結局本業もまともにできないと考えられるので、本業、本業外ともに有効な時間を過ごせるような社会貢献のあり方を模索している。また、既にいくつかパートタイムでの社会貢献を実施しているNPOなどもいくつかあるようであり本書でも紹介されている。

自分で何ができるのか、またそもそもするのかしないのかはよく考えて行動しないと長続きしないものであるので、現在の自分の状況と立場を今一度よく考え直す機会にはなると思う。

なお、著者が代表理事を務めるNPO法人、Living in PeaceのURLは以下である。参加者のプロフィールを見ると、どう考えても自分よりも多忙を極めるであろう人たちが集まっているのに驚かされた。

http://www.living-in-peace.org

2012-02-19

数学の天才、コンピュータ技術者、そして営業マン 池田敏雄


海外ドラマDVDはどうしても連続してみてしまってきりがない。ついつい夜更かしをしてしまうので体にはよろしくない。

図書館に行ったらちょうど以前NHKで放送されていた『プロジェクトX』のDVDがあったので2枚借りてみた。

1枚はテレビの放映でも観たし、それをビデオにとって何回も繰り返しみた富士通のFACOM開発責任者であった「池田敏雄」の話だ。

数学の天才で富士通に入社。今でこそ富士通といえばパソコンを買う時に候補にあがる有名企業だが、戦後当時は唯の電話機器メーカーだったようだ。業界弱小、といったら今の富士通が怒るかもしれないが、お世辞にも優良企業ではなかったようだ(もちろん、戦後の混乱期にはどの会社とて大変な時期だったはずだ)。その会社内でも特に異彩を放ったのが池田敏雄である。家で夜中まで、というよりも会社に出るタイミングを逃すほど設計図面にのめり込むあたり、尋常な集中力ではない。数学的、技術的に優れていただけではなく、文学、クラシック、囲碁と才能は多彩であったようだ。

文字通り命をかけたFACOMの出荷1週間前にくも膜下出血でこの世を去った男が講演で語ったという次の言葉は、何も電子計算機屋に限った話ではないと思う。

電子計算機屋というのは自分の進歩を止めた瞬間に必ず潰されてしまうんですね。ですから人間は進歩していない限り、本当の生きているという実在感と幸福感はないはずなんです。

何もコンピュータエンジニアにだけいえた話ではなく、営業マンだって銀行員だって、人間誰しも進歩を止めた瞬間に、技術戦争まっただか中だったコンピュータエンジニアのように潰されることこそないにせよ、少なくとも実在感や幸福感はやはりないような気がする。何でもいい、今日はこれができるようになった、これができた、というような小さな達成感を少しずつ積み上げていきたいと思った。

なお、池田敏雄氏についてはこちらの本にも詳しいが、残念ながら絶版である。この番組をみたのが既に10年近く前になると思うが、当時で既に絶版であり、アマゾンのマーケットプレイスで購入したのを記憶している。




2012-02-10

榊原英資氏 講演備忘録 8.日本は成熟国家である・・・悲観論はやめる

本稿をお読みになる前に、こちらの目次をご覧ください。

8.日本は成熟国家である・・・悲観論はやめる

日本は悲観論が多い。
今後、日本の成長の4〜5%はありえない。
企業は高成長する。なぜならば海外に出るから。
国内市場は縮小。もし成長したらそれはバブル。
1〜2%の成長で十分。
成熟社会、経済への転換。環境、安全、健康。
日本は森が60%、雨は欧州の3倍ある。
日本は森を維持した。
海洋には36,360種類とも言われる生物が棲息している。
安全、それは歴史的権威である。明治維新までに3回しか戦争を経験していない。
異民族に征服されたことがない。
ほとんど戦争、内乱がなかった。これは世界的にない。
明治時代、欧州の女性が馬で3ヶ月旅行したが、安全だったと言っている。
夜、女性が1人で歩ける。
高年齢者の肥満が少ない。3%。アメリカは31%。

ここまでそろった成熟国家はない。
寿司、日本料理、日本の食材は世界的ブーム。
NYでも高級料理店は日本の食材を使う。
築地は多種多様で世界にないマーケット。活け締めの技術。チリにも魚のマーケットがあるが、活け締めがないため、臭い。
食文化、食の技術がある。
成熟国家として自信を持つ。
アメリカでは日本の再評価が始まっている。
クルーグマン、今のアメリカは90年代の日本より悪い。失われた10年というが、それもよくやっていた。
90年代の後半の金融危機、メガバンクの登場で金融システムを作った。

決して悲観する必要はない。
ドル円は上げはするが、基本的に70円台〜90円台。
グローバリザーションをやれば正常業もよみがえる。
製造業がどう克服するか。そろそろチャレンジしなくてはいけない。
海外で日本は成熟国家として評価されている。
我々が自信をもってモット世界に発信する。
それをやれば株も戻る。
円高+海外製造=空洞化はしない。アメリカ、韓国は空洞化していない。

以上で終了です。


榊原英資氏 講演備忘録 6.過去の円高と現在の円高

本稿をお読みになる前に、こちらの目次をご覧ください。

6.過去の円高と現在の円高

80〜90年代の円高は3倍になった。
アメリカはドル安を懸念していたので当時は協調介入ができ、円高の期間は短期ですんだ。
現在アメリカはドル安を容認、欧州もユーロ安を容認している。
日本の介入は欧米には強い不満がある。
円高是正は介入ではできない。
以前の3倍の円高は調整が利かなかった。

続きはこちらをご覧ください。

榊原英資氏 講演備忘録 7.円高をどうとらえるか・・・今後も円高は続く

本稿をお読みになる前に、こちらの目次をご覧ください。

7.円高をどうとらえるか・・・今後も円高は続く

世界経済は斑模様。

一般的マスコミ報道されるものとして、今年は年末にかけて円安展望が多い。
そのシナリオは、
貿易収支の赤字
消費税の引き上げがはっきりしない。鳩山、小沢両氏は反増税。野田総理の消費増税を潰して解散総選挙の可能性が大きい。
ここに国債暴落が重なり円安。
為替レートは相対価値である。

円安予想はとらない。
アジア通貨が対ユーロで強い。
元も管理下にあるものの徐々に切り上がっている。
シンガポールもあがっている。
日本も東アジアの一員なので円高トレンドは考えておくべき。

今は緩やかな円高。
それにより企業はグローバルに動きやすい。
製造業の課題、中国、インドで売らなくてはいけない。
サムソンやL/Gはそれをやっている。日本はできていない。中国、インドでシェアを上げること。
日本はそれができていない。中国、インドなどのアジアでシェアをあげること。
それには価格が安くないとできない。質がいいのはわかっているが、日本製は高い。ハイクオリティにこだわり過ぎでそれを捨てること。中国、インドにあわせた質の妥協が必要。

円高をどう利用するか。
これは個人投資も同じである。グローバルに相場をみること。
やはり相対的に欧州は悪い。
アメリカは現状は強い。80円を超えるかわからないが、そうは思わない。
小売りも伸びるだろうがバランスシートが悪い。
3〜5年スパンで順調にいくかは疑問。

続きはこちらをご覧ください。

榊原英資氏 講演備忘録 5.アジア経済の一体化

本稿をお読みになる前に、こちらの目次をご覧ください。

5.アジア経済の一体化

東アジア、日本、中国、韓国、ASEANには制度的メカニズムはない。
欧州は財政以外がほぼ全て統合している。
制度はないが、日中の域内貿易は60%、EU65%。
日中の経済は一体化している。中国と関係のないところはない。

アジアを制度化するのは難しい。民族、宗教が複雑。
日本の最大輸出国は中国。20%、アメリカへは15%。この流れは加速するだろう。

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榊原英資氏 講演備忘録 4.中国、インドの将来・・・欧米からアジアへのシフト

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4.中国、インドの将来・・・欧米からアジアへのシフト

経済の主役が欧米からアジアへ、特に中国、インドへシフトしていく。

欧米からアジアへの移行、現在はそのプロセスにある。
リオリエント:東洋へ、(動詞で)方向付ける。

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榊原英資氏 講演備忘録 2.アメリカ経済の現状

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2.アメリカ経済の現状

一方で、アメリカの回復はかなり良化が進んでいる。先日発表された雇用統計、失業率も良い数字が出た。
1995〜2007年にかけて平均3%のGDP成長率。その間日本は約1%。
100兆ドルの金融資産がバブルだったが、2007〜2008年にかけて崩壊。
その間のバブルで株、不動産ともに3倍になった。
リーマンショックで住宅価格が低下。CDS、CDOが焦げ付き、5台投資銀行のうち、3つが破綻。
現在、ゴールドマンサックスとモルガンスタンレーが残っているが、ディレバレッジへ方向転換している。
迅速な公的資金投入があったため、2010、2011年は校長を維持。
但し、バランスシートはまだ悪い状態。消費は増加するか。消費者の信頼感は戻るか。

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榊原英資氏 講演備忘録 1.欧州危機の現状

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1.欧州危機の現状

欧州危機は当面は落ち着くだろう。ただし、終了したわけではない。
ポルトガルの10年国債は14.8%(時点は私の不記録)。これは破綻に等しい。
ギリシャ→ポルトガル→スペイン。南欧全体が財政危機である。
ギリシャの銀行が70%の債務削減をのむかどうか。これによって欧州危機は深まるかもしれず、解決には向かっていない。
S&Pはフランスも格下げしており、またドイツも国債未達など、良化の気配がない。


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榊原英資氏 講演備忘録 3.中国、インドの現状と過去

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3.中国、インドの現状と過去

中国の昨年までのGDP成長率は10%、インド7%。
いずれ中国がアメリカのGDPを抜くだろう。2020〜2030年頃だろうか。
現在インドのGDPは中国、日本の1/3。インドがGDP大国になるには時間がかかる。
2050年には①中国、②アメリカ、③インド、④日本とのゴールドマンサックスの予想がある。
今後10年で、中国とインドの人口は逆転するだろう。
2050年の人口予想は中国12.9億人、インド16.9億人。
10年後にはインドが中国の成長率を抜く。
中国は一人っ子政策で老齢化が進む。
インドの人口構成は非常に若い。現在25歳以下が53%を占めている。
長期的な歴史をみると、中国かインドが概ねGDPで1位であった。
「1820年」の推計では、GDPの世界比率が
中国、29%
インド、16%
イギリス、5%
中国、インドの没落は19世紀半ばからで植民地化によるものである。
アジアで植民地化しなかったのは日本とタイ。但し、タイはイギリスの指導を受けている。
日本は地理的に遠い、明治維新以後の富国強兵、日露戦争の勝利により脅威をもたれていた。
第二次大戦前にアジアの没落があった。

第二次大戦後、日本、韓国、シンガポール、ASEANの成長。特に1970〜1980年代。
中国、インドは社会主義により成長が遅れた。
中国は1970年代終わりに市場主義化し、80年代に自由化を開始。
インドも1991年に市場経済化。輸入割当の撤廃、関税の低減を開始。
2050年にかけて、中国の成長率は4%まで低下するだろう。
インドは7〜8%を維持し、更なる上昇もありえる。

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榊原英資氏 講演備忘録 目次

平成24年2月4日(土)、東京ドームシティホールで行われた某ネット証券会社主催の「お客様感謝デー」にて基調講演されたものを、私なりの解釈でメモしたものであり、講演者の趣旨を正当、または反論するものではない。あくまでも私自身の備忘録であり、内容が相違する点があるかもしれないが、一切の責は筆者である私に帰するものである。


なお、この備忘録をブログという公衆の面前に出すうえで、講演者の言葉をそのまま表記したのでは記録としては使用しにくいので、私自身にて以下のように再構成した。


1.欧州危機の現状




2012-01-29

『RUNWAY』 幸田真音

体調が良いと心なしか休日は時間がゆったりと過ぎていくような気がする。昨日はほぼ1日寝ては起き、寝ては起きを繰り返していたためあっという間に1日が終わってしまったが、今日はまだ13:20。穏やかな休日を過ごしている。



朝から幸田真音の『ランウェイ』を読み、読了した。最近は生活のリズムを崩さないよう、毎日早く練るようにしているため複数の本を同時に読むこともできないし、1冊の本を読むのにも日数がかかる。

舞台はファッション業界。一介のOLが失恋を機にショップの販売員に転職し、バイヤーに抜擢され、セレクトショップにヘッドハンティングされ・・・、と30歳を目前にした女性の人生を描いた作品である。外国人投資家の強かなまでの手のひらの返し方、女同士の嫉妬、おそらく実際のビジネスの世界では、小説には書ききれない程の試練や裏切り、妬みがあって、どれだけそれを描いたとしても「そうは問屋がおろさない」と、同業の者ならば思うだろう。同業の者でなくても、実際仕事をしている人間からすれば「夢のまた夢」のようなお話かもしれない。

フィクションであれ、やはり仕事に必要なのは「情熱」であって、それに加えてよくも悪くも「人脈」なのだと思う。そしてその人脈は「情熱」がないとついてこない。情熱と好奇心が漠然としたものではなく、ビジネスプランとしてビジョン、コンセプトが固まりそれをデザイン、またはソリューションしていくところでそこに魅力を感じた者が近寄ってきて人脈というものが出来上がり、人脈の広がりが資金の出し手を探し出す。偶然なようで、それは自らの情熱が磁力となって引き寄せたものであって、運がいいといえばそれまでだが、少なくとも情熱に対する努力がなければ何もできないということは間違いない。

そして、遮二無二なって働く女性はやはり美しい。我を忘れて、たとえ化粧を落とし忘れて顔がぐちゃぐちゃになっていても、必死になってやっているときは誰もが晴れ晴れとした顔をしているはずだ。それを人前に出るときはばりっと決めて表れる、それが粋というものだろう。そしてそれは何も女性に限った話ではなく、男性もまた然りでスマートに仕事をこなしているようにみえるだけではダメで、見えないところで壮絶な思いで取組む姿勢というものがあったうえでの「格好良さ」がないといけないと思う。

そんなフィクションの世界に絆されながら仕事に取組んだところで自分の仕事がうまく行くかといわれればそれは完全にYesではないと思うが、一方で少しでもフィクションの世界が自分の身に起ればそれはそれでドラマティックではないか。と、毎日思いながら仕事をしている私である。

ただし、体を壊しては意味がないので、その辺り、調節も必要であるが・・・。

2012-01-21

財布忘れる

どうしても行きたかった愛知県美術館で開催されている「ジャクソン・ポロック展」。県美の前は毎日歩いていて、その気になれば金曜日によればよかったのに、ついに最終日前日になってしまった。良くない体調をおして今日行くか、明日に賭けるか。悩んだあげく、午後出かけることにした。

10回の美術館前に到着すると既に10人ずつの2列の行列。もっと早く来ていればよかったと後悔しながら鞄をゴソゴソやってみると・・・、「財布がない」。

ちょっと前の休日に名古屋に出ようとして準備している時に、「今日は仕事じゃないから定期はいらないな」となぜか思って鞄に入れ忘れて泣く泣く往復1,000円近い電車賃を払ったことをいつも思い出し、休日の外出の際は必ず定期を持って出るように心がけていたのに、まさか財布を忘れるなんて。

これまで休日に財布を忘れたことは一度もない。会社に行くときも一度もない。財布を忘れたことがあるのは、クールビズでたまに半袖で会社に行ったとき、いつもはスーツの上着に入れているのに上着がないから仕方なく会社の引き出しに入れておいて忘れて出かけたことが数度あったが、完全に家に忘れたことはない。

途方に暮れてベンチに座っていたが、諦めきれずミュージアムショップだけでもみようと中に入ってみた。そこには、もう一昨年になるがMOMAでみた世界が繰り広げられているであろうことを予感させるグッズがいっぱい置いてある。明日またいってもいいが、きっと大勢の人でゆっくり観ることもできないだろう。

ならばいっそのこと、次の巡回展会場である東京近代美術館に行ったほうが得策ではないか。幸いにも東京展は来月から5月までやっている。すぐには無理でも4月になれば1日ぐらい有休を取って金曜日に行ってみるのも手かもしれない。暖かくもなってるから東京の街を歩くにはいいだろう。

ということでポロック展は諦めた。

だけどせっかくここまで来たんだ。何か「タダで」楽しむことはできないか。ふと、そのときある人物の顔が思い浮かんだのである。

2012-01-08

『赤い三日月 小説ソブリン債務』 黒木亮




黒木亮、『赤い三日月 小説赤いソブリン債務』を上下巻読み終わった。邦銀海外支店、日系証券現法、商社を渡り歩き、処女作『トップレフト』に始まり現在は作家専業の著者の得意分野である「国際金融」の最前線は、ある種同業でありながら、そんな世界に一歩も踏み入れることができない私のあこがれの世界をいつも体験させてくれる貴重な存在である。

黒木亮氏の作品の魅力はは金融小説に留まらず、海外で生活をした、海外で労働をしたその息づかいが垣間みれることだ。登場する現地の町並み、食事、風景などの描写が非常に多く、いつかその地へ行ってみたいと思わせるだけの描写がされている。私は残念ながら行ったことがあるのはニューヨークだけであり、ぜひロンドンにも行ってみたいと思うし、本書『赤い三日月 小説ソブリン債務』の舞台になったトルコにも興味を引かれた。

本書で特に目を引いたのは、おそらく著者は最も訴えたかった場面ではないと思われるが下巻に登場する以下の場面である。トルコ向けシンジケートローンの案件について、国際審査部とのやり取りの場面だ。

部長
「ロンドン支店が本件を是非やりたいという理由は?」

但馬
「本件がトルコの今後の資金繰りにとって、重要な意味を持つ案件だからです。トルコは当行の長年の顧客であり、顧客が助けを必要としている時に、それを提供するのが取引銀行としての務めだと思います」

審査役
「当行は民間企業であり、株主に対する経営責任を負っておりますから、顧客に対する支援は、その範囲内で行われるべきと考えます。むしろ、こういう問題の多い国とは、この際、すっぱりと手を切ったほうがよろしいかと存じます」

但馬
「銀行は民間企業ですが、同時に、社会的責任を担う公共的な性格を持っています。そのことは日本の銀行法にも謳われております」
「本件は社会的意義が大きな案件であり、リスクもとり得ると思料します。審査役にお言葉を返すようで恐縮ですが、民間企業であるなら、リスクを見極め、ビジネスチャンスを追求する姿勢が重要だと思います」

部長
「銀行は単に損得だけで融資の判断をするべきではないのは但馬君のいうとおりだ。また、社会的意義のある案件というものは、たいがいきちんと返済されるものだ」
下巻、196〜198ページより引用。一部省略あり。
なお、トルコの状況については本書が舞台なった当時のものであり、2012年現在のものでないことにご注意いただきたい。

これらのやり取りは何も国際金融の場面のみではなく、取引先がトルコなのか、はたまた街の中小企業なのかの違いである。このやり取りの前にはトルコに対するカントリーリスクの記述もあり、私が取り扱う日常案件においてカントリーリスクを勘案する必要は全くないが、それ以外の点はきわめて日常的なことだ。また、頻繁にロンドンとトルコを行き来する場面もあるが、これも飛行機を使って相手の「顔」を見に行くか、スーパーカブで走っていくかの違いであって、国際金融であろうと国内中小向け融資であろうと、お互い組織同士の取引ではあっても最終的には「担当者同士の人間関係」と、案件に対する熱意が重要になる。この点も同じだ。

これまで黒木亮氏の著作は単なる1冊を除いてあこがれだけで読んでいたが、金融という1つの取引が長期に渡るものはどこも同じ、という今まで違った視点で読むことができ、主人公但馬の熱意に負けない仕事ぶりを発揮していきたいと思った2冊である。

2012-01-03

2011年の運用成績

毎年恒例、年末現在の投資信託状況を確認してみた。私の資産のポートフォリを葉大きく2分していてそれは預金と投資信託である。そのうち、投資信託は4つを所有している。

  1. バランス型(積立)
  2. 世界国債ファンド(単発購入1回)
  3. 新興国株式INDEX(積立)
  4. グローバル株式INDEX(積立)
  5. 日経225連動
現在の相場状況から予想はしていたが、全てがマイナス成績であった。特に225連動もののマイナスが予想以上に大きい。10,000円以下でしばらく購入できていたので最近の8,000円台でもそれほど痛手はないかと考えていたが甘かった。新興国INDEXの倍、G株式の5倍のマイナスである。急速な円高のためこれらの方がマイナスが大きいと考えていたが、これも予想を反した。
元々年に数回しか状況確認をしないため、震災後に数ヶ月MRFの残高が不足になり購入できない時期があったのも影響しているのかもしれない。



次に、資産内訳を見てみよう。


  1. 赤 :国内株式
  2. 橙 :先進国株式
  3. 黄 :新興国株式
  4. 水色:国内債券
  5. 青 :先進国債券
  6. 緑 :国内REIT(2%)
  7. 薄緑:海外REIT(2%)

新興国株式以外はバランス型と並行購入になり、REITはバランス型のみである。

全体として株式の依存度が高く、特に国内株式の依存度が大きい。これは225を積み立てていることに加え、バランス型の国内株式の購入比率が高いためである。昨年の運用成績が大きくマイナスしたのも頷ける内容だ。ポートフォリオのうち、株式だけで全体の71%を占めることになる。

今すぐいるお金で運用しているわけではないのでマイナスで構わないうえ、長期的には相場は必ず上昇するという過去の流れをみれば今すぐ手を打つ必要はない。場が悪いうちに口数を多く購入できるというメリットを享受しているという見方も考えようによってはできる。ただ、昨今の金相場の高騰や原油価格などを考えると、コモディティが全くないというのは些かアンバランスかもしれない。

金相場は既にかなり高騰していると考えると、今すぐ株式からのリバランスはリスクが大きい。株式の積立金額を若干減少させ、その分をコモディティとREITへ振り分けるのは検討の余地がありそうだ。

あともう1点。投信を分散購入しているのにあえてバランス型を購入する必要があるのかという問題もある。現在のバランス型はコモディティはカバーしていないもののREITは投資対象になっているので自身で購入していないREITをカバーしてくれてはいるが、バランス型の積立金額のウェイトは結構大きく、また株式と債券中心の投資内容となると現在自ら購入している投信と差がなくなる。この分についても検討しなくてはなさそうだ。

以前は個別株を購入したり、FXをやったりもしていたが、やり始めるとそちらばかりに時間が取られ、その割に利回りが確保できないのでやめてしまった経緯がある。証券会社から送られてくるメールで投信積立による分散投資を知り、また内藤忍さん(当時マネックス証券)の影響から投資を始めてみたが、あまりにも「やりっ放し」感が強くなっているのでもう少し相場にも気をかける必要がある。

2012-01-02

初詣 城山八幡宮と日泰寺

元日から不幸な出来事が起ったのでこれ以上おかしなことが起きないよう、初詣に出かけてきた。まずは氏神様(の意味がよく分からないが、ひとまず家から一番近いということで)近所の八王子神社へ。一応お参り。

愛知県人であえて初詣の話題を書くなら「熱田神宮」とか、足を伸ばして「伊勢神宮」に行ったのかと思われるかもしれないけど、あえてそういうところには行かず前から行ってみたかった名古屋市千種区の「城山八幡宮」へ。毎年ここへ行っているとか何かの縁担ぎとかは全くなく、
名古屋が生んだ経済小説の祖にして気骨な作家の「城山三郎」が愛知学芸大学(現、愛知教育大学)にて教鞭をとり新婚時代にこの辺りに住んでいたことからペンネームを「城山」にした(ちなみに3月に引っ越したので三郎らしい(『そうか、もう君はいないのか』(新潮文庫)より)とのことから一度行ってみたいと思っていたからである。
ちなみにここに城山三郎ゆかりのものがあるとかそういうわけでは全くない。城山三郎に関する資料や功績は「文化のみち二葉館」に展示されているので興味のある方はぜひそちらをご覧になっていただきたい。

時間に余裕があったため、覚王山が目の前であることから「日泰寺」にも寄ってみることにした。
タイの国旗にタイ国皇太子が植樹したという木があったりで後で調べてみたら日泰寺の「泰」はタイのことであった。由来は上記リンクの在京タイ王国大使館に詳しく書かれているが、イギリスの考古学者が釈尊(ブッダ)の骨を発見し、それの一部が仏教国である日本人の手に渡りそれをまつるために建立されたお寺らしい。ちなみに日本で唯一無宗派のお寺で色々な宗派の人が輪番で住職を勤めているようだ。

お参りをすませたところで覚王山のスターバックスで休憩。日泰寺の参道がガラガラで、そもそも日泰寺にそれほど多くの人がいなかったから空いているかなと思ったら、これが受験生なのかなんなのか、やたら勉強している人が多い。テキストをチラ見するとセンター試験を間近に控えた高校生というよりも、見た目の年齢からもそうではなさそうな人ばかりだ。
いつも行くスターバックスは都心のお店ばかりなので店内で学習している人の割合はそれほど高くないが、郊外店だとくつろいでいる人よりも学習の場としている人が多いのか(たまたまかもしれないけど)。糸の切れた凧のようにフラフラしていてはいけないなとちょっとだけ反省。
受験勉強をしていた人にはぜひとも合格を手に入れてほしい。


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ちなみに城山八幡宮でひいたおみくじは「末吉」。そして今は調子がいいが、運気は下がるので調子にのるなと。もう既に運気はかなり悪いんですけど...。周りが好意的なので今のうちに個性を発揮しろとあった。
学問:地道にするとき(今年はそのつもりである)
恋愛:楽しいとき(ウソつけ)
商売:地味にしてよし(普通にしてれば地味な仕事ですから...)
病気:長いが全快する

周囲が好意的でいてくれる今の時期(これは実際に本当)に、時間がかかる病気をしっかり治し、学問に励む1年にしようと思った。

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今日の写真はウェブアルバムに無駄にアップしてありますのでこちらをどうぞ。

2011-12-31

2011年の11日

11日という日にちには世界中の人たちが敏感に感じる日であろう。世界的な出来事としては10年前の11日、身近なものでは日本で起こったあの月の11日。そして、私個人としては夏の2ヶ月に襲いかかり、最後まで尾を引き未だに続いているあの11日。毎月10日の夜になると「明日は11日か」と思い出し、11日という日にちに恐怖を覚える。

私にとっての「11日」はその後周囲に迷惑をかけ続け、それを受け入れることができる、それを呆れられることができる会社のサラリーマンであったことに救われた。普段は中途半端な会社の規模による意思決定への時間の掛け方、またトップからのメッセージの弱さに不満を感じていた会社であるが、「寄らば大樹の陰」の恩恵を最大限受けてしまった1年であった。これが裸一貫でやっている中小企業や、ベンチャーの会社であったのであれば、バッサリと切られていただろう。また、そういう立場にある友人にはくれぐれも「心身」の健康には注意してほしいと心から願うばかりだ。

「身」の健康は自らの努力である程度確保できるとしても「心」の健康は自らの努力だけでは確保できず、環境や場合によっては努力自体が逆効果になることもある。

「心」の不健康は自分の情熱と好奇心を「身」が駄目になる前に片付けようと身近なものばかりに目を向けさせてしまい、長期的なものに「情熱と好奇心」を注ぐことが不可能になる。長い目で見た成長を全てストップさせてしまうだけの負の力を持っていて、最後はめまぐるしく変化する世の中の動きについていけない人間にさせてしまう可能性がある。それにも不安を感じ始めたら完全に文字通り「負のスパイラル」だ。

そんな評論家的な言い回しで自分の人生を片付けられる訳は全くなく、全ては自助努力で改善できる思っていた。常に全速力を目標にしてきた自分にはあきらめに近く納得できない部分もあるが、夏のあの11日から何ヶ月もたった年末近くになって、今は私が持っている自然治癒力と、それを「阻害しない程度の自助努力」のみが改善策のような気がしてきた。

Jazzのセッションは(曲のテンポではない)全速力でアドリブを重ねあわせて完成される作品であると思うが、自分一人が全速力でやっていても素敵なセッションにはならず、必ずメンバーそれぞれが全速力を出せるように、その時その時で呼吸を合わせながら誰かが全速力のときは退いている人がいるからこそ成り立つものである。その退きは決して後退している訳ではなく、名脇役として全速力の人を際立たせることに集中している。

話はそれたが、後数時間で2011年は全て過去のものとなる。時間は常に過去を生んでいるものであって12月31日に限って過去のものになる訳ではないので何も今ここですべてを振り返ることに意味はないし、2011年に起って今だ引きずっているものがこの日をもって全て清算される訳でもなく、間もなく訪れる2012年も引きずって始まる訳だから振り返ることに意味はないことかもしれない。

あまりにも多くのことが身に降り掛かったこの1年を、手帳を入れ替える前に少し振りみてもせっかく休日の12月31日、悪いことではない。

Chick Corea & 上原ひろみ Duetを聞きながら。

これがなくては1年が終わらない

昨日は大学時代のゼミのOB会。

普段からあっている連中はもちろんのこと(2日連続というものも数名)、年に1回会うか会わない人、ネットでコミュニケーションをとっているけど実際に会うのは数年ぶりの人、いろんな人が参加する我らが児島ゼミのOB会は1年の締めくくりの大事な行事。だから毎年私の仕事の最終日にやっているのだ(この日程にはかなりな人が迷惑を被っていると思う、ゴメン)。

まぁ詳細はFacebookにゆずるとして、2次会で話も出たが顔ぶれには正直「マンネリ感」はなくもない。だけど、この「マンネリ感」がないと、久しぶりの顔にも会えないのがこの会の特徴であって、昨日もやれ「ゴルフ部結成だ」とか「東京部会やるぞ」等、各々かなり盛り上がった様子。おそらく実行されるであろうからまたこの集まりのすごいところだ。

結局2次会から帰ってきたら午前様どころか3:00。起きたら昼で全く持って「ダメダメサラリーマンの年末」を演じてしまったけど、声をかければ新幹線で駆けつけてくれる人もいて楽しい夜だった。

参加してくれたみんな、ありがとう。

https://www.facebook.com/kojimaseminar.net
https://www.facebook.com/groups/269458769759182/
http://www.kojima-seminar.net/


2011-12-24

手で書く

友人から年賀状が届いたので(その母親が郵便局勤務でノルマへ協力)、早速書き始め、一気に書き上げた。毎年31日に完成させていたので元旦に届いていない人が多かったろうが、今年は無事元日に届くことができそうである。

今年は印刷部分を大幅に削減し、手書きのメッセージを多く書けるようにした。そして、あえて宛先も手書きにしてみた。


  1. Macにかえて、住所録を入れていない。
  2. 買ったことはないが、年賀状ソフトを入れるのが面倒(意外に高い)。
  3. Wordすら入っていないのでGoogle Documentでできる簡単なものしか作れない。

等の理由はいろいろあるが、最大の理由はたまには「手書きでメッセージを添えてみたかった」ということである。

最近はSNSで地理的に遠い人とでも気軽にコミュニケーションをとることができる。twitterでのやり取りはリアルタイムでリアクションする場合もあり、反射神経に近い。そのため、テンプレート的なメッセージしか発することができなくなっている気がしている。
先日東京へ遊びに行った際、大学時代の友人、先輩等とあったが、普段からSNSでコミュニケーションをとっているため「久しぶり」感はないものの、深い議論というものはやはり「会って」話すのが一番だと認識した。これに感化されたのか、1名横浜から名古屋へ年末に戻ってくることを決めた人間もいる。

もう1点は会社の人への労のねぎらいを言葉にしたかったことである。30名近い人間を要する部署になると、担当ごとでチームになってしまい、部署全体で一体感を得にくい。また、コミュニケーションも疎遠になりがちになる人もいる。そういった人たちに「ちゃんと見ているよ」ということを、間接的に伝えるために、一人一人にメッセージを添えたかったのだ。
こればかりは自己満足の世界で受け取った人がどう感じるかはその人次第だし、それを意気に感じて今後の仕事に更に力を入れてくれれば占めた物だし、少なくともパフォーマンスが落ちることはないだろう。

「間接的」にメッセージを伝えるのには苦労した。手書きなので頭の中で文章を組み立ててから書かなくてはならないし、あからさまにほめすぎるのもまた気が引ける。女性に対しては割と直接的に「ありがとう」と添え、年下の男性職員には論語の中から好きなものを選んで添えてみた。

手書きをしてみて改めて感じたが、ワープロで作る文章は「書く」だが、手で作る文章はまさしく「作る」である。投函したら最後、もう修正は利かない。ものを作って納品する感覚はこういうものなのだろうか。となると、拙い小生の文字が既に欠陥商品となってしまうが、今更どうにもできない。できる限りの丁寧な字を書いたつもりである。そしてオーダーメイドで作ったつもりではあるが、語彙の少なさから同じようなメッセージになってしまったものも少なくない。それぞれが見せあうものではないのでそれはそれで問題ないのかもしれないが、書いている側からすると微妙なニュアンスの違いを表現してみたいものである。これは教養のなさを痛感するしかない。

手で文章を書く(作る)ことはあるようでなかなかない。年に一度、その年の教養の集大成として、手書きの年賀状で自分の力試しをしてみるのも悪くない。

2011-12-11

最高裁で刑事事件を傍聴

最高裁の傍聴券
12月8日に最高裁判所で刑事事件を傍聴してきた。

事前に最高裁へ当日の裁判予定を電話にて問い合わせ(ネットでは公開されていない)、その日は13:30〜本裁判のほかに、15:30〜民事裁判の判決の予定があるとのこと。当初は13:00〜の衆議院本会議を傍聴する予定であったが、現地に到着して衛視に聞くと「今日の本会議は中止になった」とのことであり、こちらの刑事事件を傍聴することにした。

12:55に傍聴券の配布を行うので南門へ集合とのことで15:35頃に現地へ行くとすでに5名ほどの傍聴者がならんでいる。私の後からは地元紙の記者と思わしき男性2名が並び、更に数名が並んだ。傍聴券配布場所には裁判所職員が3〜4名、そして最高裁専門の警備員(正式名称は不明)が1名いる。雨が降っていたこと、および寒さのため予定を繰り上げて12:50に傍聴券の配布が始まった。
傍聴券をもらうと職員が中へ案内する。階段を上がり建物の中へ入るとロッカー室があり、傍聴券、筆記具、貴重品以外の持ち込みは一切認められない。もちろんICレコーダも不可だ。これを持ち込もうとしていた地方紙記者には笑った。
空港さながらの持ち物検査があり、ベルト、靴は身から外さなくてよい物のポケットの中身を全てトレーに入れ、金属探知機ゲートをくぐる。その後階上へ案内され大きなロビーが広がっている。床は花崗岩(と思われる)でできており、そこの固い靴だと「コツンコツン」と音が響きそうだ。ロビー2階に傍聴人待合所があり、呼び出されるまでそこで待つことになる。

13:20頃だったか、職員の先導により階段を上がり法廷のある階へ。そこからは絨毯敷であった。階段を上がり、右手に第一小法廷、左手に第二、第三小法廷である。今回は第一小法廷であった。

最高裁第一小法廷の構図
小法廷の構図は拙いメモ書きではあるが右記の様子である。


  1. まずはじめに職員より「最高裁判所からの連絡事項」が説明される。内容は以下の通り。裁判官入廷時は傍聴人を含め全員が起立することが「慣例」になっている。
  2. 裁判官入廷後、2分間は報道用撮影時間を設ける。

これら以外にも傍聴席からの発言は認められないなど「お静かに願います」的な説明が数点あった。

メモの最下段が傍聴席であるが、その右側の3と書いてあるところは記者専用のようで3人すわれるようになっている。「報道」の腕章をした人物が数名座っていた。傍聴券配布の際は見かけなかったので、おそらく登録制で専用に入廷できるのだろう。右側のと書かれたところも同様であったが誰も座っていない。その両脇の貴社専用席と思われる傍聴席には記帳台が用意されている。ちなみに傍聴券配布に並んでいた地方紙記者と思われる人物は私の隣に座っていたのでおそらく登録されていないのだろう。なお、真ん中の傍聴席には最前列で12名すわれるようになっており、左右の記者席と思われる物も含め、数列用意されている。

私が傍聴席に入った時点ですでに弁護人1名、検事1名、速記者(裁判所でもその呼称でよいのかは不明)2名が入廷済みであった。今回、上告審の初めての法廷であったようで、被告人は同席していなかった。

小法廷の様子は上からセンターに裁判官が入廷する扉がある。観音開きの扉であるが自動扉である様子。裁判官が座る場所はテレビで見るように高所であり法廷内全体が見渡せる位置になっている。下段右側は裁判所職員の出入り口がある。

いよいよ裁判官の入廷である。職員の連絡通り、全員が起立し裁判官の着席に合わせて同様に着席する。そのまま2分間の報道撮影が始まり、裁判官はまだ一言も発しない。職員が後ろで終了30秒前を伝え、2分経ったところで時間経過の案内と同時にカメラマンの退室を促す。確かNHKのカメラマンが入っているのを見かけた。

職員の「カメラ退室しました」の発言の後、裁判長から開廷知らされまず被告側へ陳述書に誤りはないか、また追加があれば発言するよう促す。開廷直前に入廷したもう1名の弁護人が書類を見ながら陳述を読み上げていた。テレビドラマや映画で見るような「気迫あふれるプレゼン」とはほど遠いというのが印象。ただ、ひたすら読み上げていく。検事の様子を見ると退屈そうにしている。

弁護人の陳述の後、裁判長から検察側へ意見があるかといわれ、検事が起立しこちらも用意した現行通りの意見を読み上げるといった印象であり、こちらもイメージを覆される。双方ともに「現行の読み上げ」が終了したところで「次回の日程は追って知らせます、本日はこれにて閉廷いたします」の裁判長の発言により、30分足らずで裁判は終了した。上告審の第1回目はお互いに上告審を行うかの確認をするだけという印象である。その後の証人尋問等、裁判長が述べた「次の日程」がいつになるものなのか想像もつかないが、事件の性質もあり一概にはいえない物の、「日本の裁判は時間がかかる」といわれる理由は何となく理解できた気がした。

今回傍聴を経験して裁判官という「人」を初めて目の当たりにした訳だが、弁護人、検察官ともに書面を読み上げる間、裁判官はほぼ微動だにせず、ただ座って前を向いているだけであった。手元の資料を見る訳でもなく(まず持って何も持たずに入廷した)、身を乗り出して話を聞くこともほとんどない。そこには感情といった物は何一つ垣間みることができなかった。これが裁判における「中立」、そして裁く者の姿勢であるのかもしれない。

最後に、開廷と閉廷の際によくテレビで見かける「木槌を叩く」というものは「今回は」なかった。

2011-12-03

小宮一慶氏のセミナー 備忘録

経営とは・・・

  1. 企業の方向付け。何をやるか。何をやめるか。
  2. 資源の最適配分。
  3. 人を動かす。

コンサルタントは業種ごとの細かいことはわからない。
クライアントは世の中の動き、他者の成功、失敗事例が知りたい。

2007年、パリバショック。
2008年、リーマンショック。100年に1回の不況といわれた。
もしイタリアがデフォルトになると(同時にスペインもなると思われるが)103年に2回の不況となる。
そのような状態に備え、今は借入をしてでも手元資金を増やしておいた方がいい。幸い低金利のため、利息は保険と考える。

現預金が月商の何ヶ月分あるかが1つの指標。
一部上場企業は概ね1〜1.5ヶ月分。
オリンパスは年商8,000億に対し、現預金が2,000億以上ある。一方で自己資本比率は20%を切っていて借入でもっている状態。
(仮説)粉飾決算が明るみに出るのを恐れて手元資金を厚くしていたのではないか?

仮説の検証を新聞を読むことで行う。

3月の震災で様々なことが早くなるのではないか。

  1. 産業の空洞化。海外へ進出。
  2. 財政の悪化。
  3. エネルギー政策→エコ

世の中の変化はビジネスチャンスである。

新聞は1面から読むこと。新聞は知ってほしいことから順番に書かれている。それが世の中の流れであるから、自分の感性をそれに合わせる。読む順番を自分の感性に合わせない。
気づいたこと、数字でも何でもいいから1つでもメモを。

GDPとは何か。付加価値の合計。売上−仕入。給与の源泉。名目GDPが伸びないと給与は上がらない。
1981年のGDPは240〜250兆円。初任給は100千円程度。
1991年は約470兆円。90年代前半の初任給は150〜200千円。
現在のGDPとそれほど変わらないから初任給も変化していない。

GDPにしめる個人消費の割合。日本:55%、米国:70%。

日本は物価が上がらなさすぎる。世界的にデフレは日本だけである。供給過剰。

円高なのに最近の輸入物価は上がっている。
8月は輸入が輸入物価以上に急増。LNGの輸入が増加したため。火力発電は70%がLNG。冬場は電力不足で貿易赤字になるか(仮説)?

直接投資は4月以降マイナスが大きい。企業は最適ディシジョンで海外へ進出している。GDPは増加していないのに過去最高益の企業が多い。企業は海外で稼いでいる。

所得収支の70%は債券での収入。海外の金利低下で所得収支が低下。経常収支がマイナスに陥らないか?


2011-11-27

単焦点レンズの難しさ、と自分が物を見る視点

あまり使わないデジイチもたまには使おうと、ふと思い立って定光寺へ紅葉狩りへ行ってきた。

再来週に迫った長期休暇の予定をある程度固め、15:30ぐらいに出発。今日はピーカンにはれていた訳でもない上に、16:00もすぎればさすがに山は暗くなり始める。写真を撮影するにはちょっと不向きな時間ではあった(言い訳)。

カメラを購入した時にWレンズキットにあわせ、標準35mmを一本購入。これまで標準ズームにどうしても頼ってしまっていたので、今日はあえて単焦点のみをもっていった。デジカメでは35mmが50mm相当になり、人間の視覚と同じとされている。だから理屈からいけば、「これをこんな感じで撮影しよう」と目に入った物はそのまま撮影できるのが50mmレンズなわけである。ところがいざ撮影してみようとカメラを構えると構図が全くあわない。あわないというより入りきらない。こうなることは予想していたが、思った以上に入らない。どうしてこうなるのだろうか。

どうしてこんなことになるのか考えてみた。人間の目は絶えず動いている。関心を持った物に対して集中はするが、その周辺情報にも目は行ってしまう。それによって頭でとらえている映像は想像以上に広範囲になる。これをそのままレンズに落とし込もうと思うと当然入りきらない。こういうことではないか。

逆を言えば、関心を持った物に集中しきらず周囲の物に目を奪われている可能性がある。視野に入った物に集中しきらず、関心が他へ散っているのではないか。そんな気がしてきた。普段から物事が整理しきれず仕事もあふれる状態を生んでいるのはひょっとしてこの周囲に目を奪われているのが原因ではないか。これまでの全部の行動が、「集中できていない」ということに集約できるような気がする。

メールのチェックでPCを立ち上げると、結局そこからネットを見てしまい、ずるずる時間が過ぎていくというのはまさにこの現象だ。本来の目的である「メールのチェック」が視野がぶれて他のことに気を奪われる。自分では時間を無駄に過ごしたと後悔しつつもいろんな物に触れることができたと言い訳を押し通すが、これが間違いでもっと物事に対して単焦点で取り組む必要があるのではないか。

これまでは時間の過ごし方のみを考えて「時間できる」ということを意識しなくてはと考えてたが、本当は時間の過ごし方ではなくて自分の視点に問題があったのだと思う。人間一つのことだけをやっていれば生きていけるほど楽な物ではないし、社会が許さない。しかし、あまりにも広域に物を見すぎても集中力の低下を生む。この辺りのバランスを考えないといけないなと思った紅葉狩りだった。

2011-11-13

「元」社員は戦う。では、現役社員は?自分ならどうする?

twitterでこんなサイトを見つけた。retweetしてみた。

http://www.olympusgrassroots.com/jp/index.html

元社員で元取締役が解任されたウッドフォード社長の復職を呼びかけている。内部の人間からこのような声が出ればなおよいのだろうが、OBという立場の方が声を上げやすいのかもしれない。そして彼は元取締役として今回の不正を見過ごした点は認めている(出典:http://astand.asahi.com/magazine/judiciary/articles/2011111200001.html)。

取締役で、専務の立場までいった人間でさえ30年近く続いた不正がわからないほど巧妙な手口だったということだろう。本当にごく一部の人間だけで粉飾操作されていたことになる。

オリンパスはどうなるのか、上場廃止になるのか、会社が存続するのか、憶測ばかりが飛び交う中で従業員は一体どうしたらいいのだろう。


  1. 最悪の事態を案じ、自らさっさと会社を去っていく(去れるだけの力がある)。
  2. やめたくてもサラリーマンの流動性の低い日本では転職のすべを知らない人が多いので、とりあえずそのまま働く(去れるだけの力がないのを分かっている)。
  3. おそらく内視鏡部門は残るだろうから、そこの人はそのまま居続けるだろう(会社の粉飾体質を気にしなければ)。

この3つぐらいだろうか。

ある程度の規模の会社になれば自分の部署以外は何をやっているのかもわからないなんてことはざらにあるし、それが当たり前だ。私の勤務する会社もおそらくそうだろう。知らないところで動いていることが多すぎるがそれは仕方がない。

自分が同じような立場になった時にどうするか。私の勤務する会社は今でこそ自由競争に形上さらされているが、以前は護送船団の中にいたので特筆すべき部門がある訳でもなければ、もちろん自分にそれだけの技術や技能がある訳でもない。だからおそらくこのままの状態であれば「2」を選択せざるを得ない。

幸いオリンパスは内視鏡部門で強みがあるし、技術系企業であるからそこで培った技術でもって転職をすることは容易な人もいるかもしれない。一方で事務職や営業職は特殊な技能がある訳でもなく、やもすると「オリンパス」の看板があるから仕事ができたという人の方が大半だろう。これはオリンパスに限らず日本のサラリーマンの多くがそうなっていると思われる。

私自身、技術職でもないし、間違いなく会社の看板があってこそ仕事ができている人間なのでもし会社が存続しなくなったとき、路頭に迷うより仕方がない身である。決してプラスにとらえることができないだろう。

こういうとき、所属先がなくなってもマイナス思考にならずにポジティブになるにはどうしたらいいのだろうか。ポジティブに、次につながるような行動をいつでも起こせるようにしておくには、今何をやっていればいいのだろうか。

法律上、人は「法人」と「自然人」に分けられるが、「法人」も「自然人」がやっているのだから、どこの会社でもオリンパスのようなことは起こりうる。会社を疑ってかかる訳ではないが、このような場面に遭遇してもポイジティブでいられるようにしていることが、その会社にいる間もプラスに働くような生き方をしていかないといけないと考えさせられる事件である。「法人」あっての「自然人」でないように。

2011-11-12

海外ドラマを観ているとFacebookの意味がよく分かる


去年の今頃だったかFacebookをはじめたばかりの頃に買った本です。ここのコラムでは掲示板について次のように書かれています。
この「掲示板」の仕組みはFacebookの生まれたアメリカの学生寮の仕組みを考えると納得できます。アメリカの寮では個室の扉にコルクボードやホワイトボードが付けられています。これがFacebookの掲示板のイメージです。
アメリカでは自分の部屋の扉に自分に関する情報書いて通りすがりの人に見せたりすることがあるらしい。日本人で、寮生活の経験がないものには理解できないが、アメリカのドラマを観ているとなるほど理解できた。

私はERを観ている時に気がついたのだが、個人のロッカーに思い出の写真やメッセージを張っていることに気がついた。これでFacebookが日本人になじめない理由も説明できる。

少なくとも私の会社のロッカーでは思い出の写真どころかネームプレートも張っていない。通りすがりの人に(もちろん寮であればある程度は特定されているだろうが)自分の情報をさらけ出すということがあり得ない訳だ。一方でアメリカ人は自分の情報をさらけ出し、そしてその反応を書き込みもする。また誰かの寮の扉へ「最近どう?」のようなメッセージを入れたりもする。日本ではあり得ない。

Facebookが実名利用で受け入れられたのはアメリカではすでにその下地があったからだ。寮の扉であればそれが誰のものか一目瞭然。それがネットに移ったにすぎない訳である。だからいい加減なことを書くこともできないし、いわゆる炎上することもあまりないのだろう。実世界において自分の責任で自分の情報を出すことになれているのだ。

日本でFacebookは広まるかの議論は必ず実名利用が議題の第一にくる。だがこれは二次的なもので、そもそも個人の話を通りすがりの人にしようという習慣がないのだから話の次元が違っているのだ。日本人は自分の情報は出したがらない。だけどSNSができたから情報を出す手段は得てしまった。それが匿名でO.K.だったから「我を忘れて」書き込みができる。歯止めがかからなくなり炎上がおこる。こういう構図だろう。

アメリカには旅行で2度行ったことがあるだけだが、基本的に開けっぴろげな人たちの集まりに感じる。少々誤解を招く発言かもしれないが、日本で電車の乗り方を訪ねるのに、見た目で日本人でないとわかる人に聞く人はいないだろう。それどころか、駅員でない一般人に聞くことがあまりない。ところがアメリカ人は違うのだ。明らかにアジア人の私に対し、堂々と地下鉄の乗り方を聞いてくるし、道を尋ねてくる。それも観光客にだ。

SNSで実名を云々はそれほど大きい問題ではない。対人関係が対面なのかネットなのかである。対面で誠実な人はネットでも誠実であろうし、ネットで匿名でやりたい放題の人はおそらく対面でもやりたい放題、またはそれをみっともないことだと教えられて入るので対面はうまくやれないのだろう。

SNSがよくわからないとか、実名がどうだかではなく、これまで培ってきた人間関係が引越しや転勤で物理的に対面でコミュニケーションをとれなくなっていたものが、SNSを利用することで物理的、地理的障害を取り除くものであると考えれば、SNSの利用は個人でもっとハードルが低くなるはずである。

2011-11-06

『男の作法』 池波正太郎


昭和56年に書かれた本だがなるほどと思わせることが多い。残念ながら天ぷら専門店に行く機会もなければ寿司屋に行くこともそれほどないが、「かっこいい」と思われる食べ方をやはりしたい。

ただ、縞のスーツに縞のシャツは合わないというのはどうだろうか。結構この組み合わせでスーツを着ることがあるので。

実践しているのは刺身を食べる時にわさびを醤油に溶かないことぐらいか。

このような本で作法を学んでいると人に知らせること自体が作法に反しているのかもしれないが、一応記録まで。

男の作法 (新潮文庫) 池波正太郎


2011-11-01

アメリカは農地もバブルの対象になるのか

こちらのブログを読んでいて驚いたし、改めて考えると農地が簡単に売却できない日本が異常なのだろうが、アメリカの農地に投機資金が流入しているようである(なお、元ネタはEconomistのこちらの記事)。残念ながら英語にそれ程強くないのでしっかりと理解できた訳ではないが、アメリカでは1990年から約2倍、イギリスの同時期でも135%だそうである。更にイギリスでは1990年から2008年の初頭までで15%も上昇したようだ。

投機資金が入るということはそこでの作物からの収益に期待をもっているからであって投資先に迷っただぶついた資金が農地に買いに入るのも確かに不思議ではない。これから新興国の人口爆発で食料は逼迫してくるであろうし、バイオ燃料の普及を考えれば当然の行動であろう。

なぜ日本ではそれがおこらないのか。日本では農地を売却すれば開発されて宅地造成されて農地が減少し食料自給率が更に低下するという定説があるからではないか?そして、農業は農家がやるもので他者がやる訳がないし、だから農地を売れば農家の稼ぎがなくなるから農地を守るという考え方がこびりついているからではないか。

国土の狭い日本では農地の大型化で効率を上げるのは困難であり、営利法人が農業に参入しにくいという点は認めるが、資産をもたずに事業を展開するのが当然になってきた昨今、農業も事業として効率的に行われる必要がある。日本は農地を守って農家を守るのではなくて、たとえ農地を売却しなくても効率化で海外の価格に対抗する手だてはあるはずだ。そういう意味でも農業の会社化は更に進める必要がある。そこで農家を雇用、または委託することで農業従事者も潤うことができるだろう。

TPPへの参加や農業の自由化で食料自給率が下がるというのはそれだけ経営努力をしませんと宣言しているようなもので、TPPや自給率の低下と話をすれ違えているだけにしか思えない。本当に食料自給率を上昇、少なくとも維持しようとするのであれば、農業の効率化で海外の廉価なものに対抗すればいい。また海外からの輸入品はどうしても輸送中の防虫対策で薬品を使用する。国内産であればそれがないだけ有利に働くのだからその分の価格上昇は消費者は受け入れることは可能だろう。

これを行えば行き場をなくすのは農協と農林中金であるが、その辺りのコンサルをしっかり行っていけば新たなビジネスや資金需要はきっと生まれるはずだ。そのための努力を農協や農林中金は行ってはいけないだろう。

2011-10-30

大学同窓会

今日は大学の同窓会、ホームカミングデーに参加してきた。毎年この時期、大学祭にあわせて学内食堂にて行われる同窓会。昨年は参加はしたものの先生が海外へ研修へでていて、私も前日までそちらへ遊びにいっていたこともあり、OBに声をかけずにごく一部の卒業生だけが集まったが、今年は先生も参加されるので公式にアナウンスを行い約14名が集合できた。

後から冷静になってみてみると10数名の集まりの中にiPadが3台、スマートフォンは数えきれないほどあり、それぞれが各々の端末を片手に談笑していること、そして年に1〜2回程度しか顔をあわさないのに懐かしさが全くないことである。これは日常的にSNSでコミュニケーションをとっているためお互いの近況を知っており、最初から深い話題に入っていけることからくる感覚だろうか。SNSなどなければ最初は時候のあいさつに始まり近況をお互いを探りながら報告しあってなどと段階を踏まないといけないが、普段からSNSでつながっていることによってその必要は全くない。

これはネットでのコミュニケーションがここまで充実し実生活に密着してきたからこそできることで、ある程度真剣にやっていないと実際顔を会わせた時に相手にされなくなってしまうことになる。日本でmixi全盛の頃ももちろんネット上での人間関係はあったがニックネームだったり匿名だったりでそこまで真剣味がなかったが、Facebookで実名を使用することで実際に顔をあわせる時と変わりのない緊張感が保たれている証拠でもあろう。この緊張感をベースに考えた場合、よくいわれるmixiのある日本でFacebookは成功するかという議論は全く論点を外しているのではないか。これまでは実際に顔を会わせる人間関係を補完するものだったSNSが、実名を使用することで実際に顔を会わせることと遜色ない人間関係をネット上で維持できると考えた方が現実的である。

このように考えると、これまで対人関係の得手不得手は話術で評価されていたが、今後は文章力でも対人関係の評価をされることになり、「書く」ということをさらに意識しなくてはならなくなる。更にいえば、普段からSNSで人間関係を維持しておくことで、実際に顔を会わせた時に、先に述べた最初から深い話題、ディスカッションが可能になり、時間の無駄を省くことが可能になる。

SNSをうまく使うことが、これからの人間関係に大きな影響を与えると感じさせられたホームカミングデーだった。

2011-10-23

クラウドサービスって知らぬ間にこんなにできてたんだ

最近Google+を使い始めて今ひとつピンとこないところであったが、本屋で目に入った今月の日経Trendyの特集が「個人向けクラウド完全ガイド」だったので購入してみました。

Google+ と Facebook の違いは双方向が前提の Facebook に対して Google+ は twitter のように一方的なフォローで成立できる点と解釈したが正しいのだろうか。また、Facebook も最近は友達の分類分けができるようになったようだが、Google+ はそれがより直感的である。

以前からPicasaを使用していたので、写真のアップロードはGoogle+の方が断然簡単である。アップロードというよりも、Google Accountで共有できるため、PicasaにアップすればそのままGoogle+へ反映する。今ひとつ写真のアップロードやアルバムの使い方がしっくりこないと感じていたFacebookと比較すると完全にGoogle+の方が上をいっている気がする。もちろん、これは私が以前からPicasaを使用していたためではあるが。

先日iPad2とiPod touchをiOS5にアップグレードし、iCloudが使用できるようになったと思っているが、どこでどうiCloudを使用していいのかよくわからない。またiCloud以外にもクラウドサービスがたくさんできていて、AmazonもGoogleも音楽系クラウドサービスを提供しているのを知った。早速Googleが提供するMusic Beta by Googleを使用してみようと検索してみたら、まだアメリカ限定公開のようである。アマゾンのAmazon Cloud Driveも登録はできるようだが、こちらも英語限定のようだ。

音楽関係は全てAppleで対応しているので本格的にiCloudが使用できるようになったらこれら2つは必要ないのかもしれないが、未だにiCloudも利用していないので、色々と試してみたい。

2011-10-19

『入社1年目の教科書』 岩瀬大輔


いきなり50の指針をすべて実践しろと言われてもそれはできないし、そもそも50個も頭に入らない。今の自分にとって必要なもの、今現在実践しているものをピックアップしてみた。


  • 「何のために」で世界が変わる
自分で担当しているものは締め切りをプライオリティに考える。他人から依頼されたものは締め切りとその目的を確認して理解してから実施する。
  • 仕事は復習がすべて
最近は仕事の終わりに今日やったこと、やれなかったことをメモし、明日の仕事のプライオリティを考え手帳に記入するようにしている。別に、文章で日記を書いて気持ちを整理する。

  • 頼まれなくても議事録を書け 

案件に対するちょっとした会話等はすべて手帳に記入している。それも復習の時に生かす。ただ、本書では時系列に書くなとなっているが、交渉経過が重要になることが多いため、時系列は心がけている。

  •  朝のあいさつはハキハキと
必ずすれ違う人には大きな声で「おはようございます」をいう。帰りはなかなかすれ違うことが少ないため、「お先に失礼します」が聞こえたらとにかく大きな声で「お疲れさまでした」を言う。

  • 仕事は根回し 


幸いにして本部昨日がある建物で働いているため、審査部門への根回しは物理的に容易にできる。朝コーヒーを飲む時、休憩時のタバココーナーで近く回す案件や疑問点について質問して案件時に知らぬ間に備える形になっている。

  • 仕事は盗んで、真似るもの 

自分で本を読んで学ぶことも多いが、実践でどうするかは誰かがやったものをみて真似るのが一番はやい。

  • 情報は原点に当たれ 

金融関係は法律に基づく取引が多いため、ネットや本で調べるだけでなく関連法令も押さえておく必要がある。これがあるかないかで説得力はものすごく変化する。

  • 仕事は総力戦 
本書でもたびたびでてくる「50点でかまわないから早く出せ」は実践している。立て込んだ案件は稟議書にする前に相談書で概要をみんなに話、アドバイスをもらうようにしている。これがあるだけで自分の中での稟議書の方向性が示せてスピーディに仕事ができる。

  • 本を速読するな
以前は早くたくさんの情報を仕入れるため速読セミナーにも参加したことがあったが、私自身どちらかというと丁寧に読んでメモしながら理解していく方が性に合っている気がしている。「古典を読んで理解でいなかったら自分がばかだと思いなさい」とあるが、ばかが直るまで理解できるような読み方をしたい。

  • ファイリングしない・ブクマもしない
これを読んで早速ファイルを整理した。事務連絡等をファイリングすることが目的になっていたことがよくわかった。ファイリングしても読まない事務連絡は全て破棄。どうしても必要な数点のみファイリング。それ以外のものはだいたいどこをみればよいのかは意外とわかっているものである。あわせてやっていきたいのは、使えると思った情報をメモに残すこと。これをやればさらにファイルの整理ができるだろう。

  • まずは英語を「読める」ようになれ
願望ばかりが先行して一番難航している英語。会話をする機会はほとんどない。だけど日本語だけで情報を得るのはもったいないので英語が読めるようになりたい。twitterの英語情報の見出しだけではなく、もう少ししっかりと読めるようになりたい。そのためには、プリントアウトでもいいからやはり紙媒体にした方がよいのか考えるところである。

  • 社会人はアウトプットがゴール

普通に過ごしているとなかなかアウトプットする場面に恵まれない。同じ支店でない人と食事に行ったり、幸い大学時代の同期とはよく会う中で様々な話題ができる人たちが集まっているので、そういう場面を作りながらアウトプットの練習をしていかないといけない。そうしないと、質のいいインプットができなくなってくると最近感じている。

  • 脳に負荷をかけよ
なれないものに対して脳の反応は格段に落ちてきているのを実感する年齢に入ってきた。多少興味が薄くても必要と感じたものを読み、脳に負荷をかけ脳の筋トレを行っていこう。

  • 感動はためらわずに伝える
ほめるべきところはしっかり後輩に対してほめていきたい。

  • 休息を取ることも「仕事」だ 
しっかりとした睡眠を取るのが一番だと思う。そのためには無駄な時間を如何に省くか。休息していることと、ダラダラしていることの線引きをもっとしっかりとやる必要がある。

  • ビジネスマンはアスリート
頭をすっきりさせるためのトレーニングはやはり必要。毎日練る前に軽い運動と、週末のジムに行かないとすっきりしないようになっているので、これを継続していきたい。

  • 同期とはつき合うな 
入社当時から実践中。

  • 小さな出費は年額に換算してみる
タバコもそうだが、コンビニでの買い物はついつい無駄なものを買いがち。そして食べ物であれば食べ過ぎにつながる。そして健康を害する。お金をケチる訳ではなく、出費を見直すことで健康を保ちたい。

以上、21個になってしまったが、実践していることは今後も継続し、今までできていなかったものは少しでも意識してやっていきたい。この21個のうち、いくつはメモに移りいつでも見直せるように準備しよう。









2011-10-17

『下町ロケット』池井戸潤


銀行員の視点から読むと耳が痛い点がたたある。銀行は雨の日に傘を取り上げ、晴れの日に傘を差し出すとはよく言われることであるが、書中でもそういった場面は登場する。同業である私も、知らぬ間にそういうことになっていないか。または雨の日に傘を貸せなくても、少しでも雨を凌ぐ方法を考えているか。自問させられた。

また、大企業と中小企業の取引関係についてはその厳しさをまざまざと見せつけられたが、これには一長一短あるだろう。中小企業側からみれば「何もそこまで」と思うようなテストも、大企業からすればエンドユーザへ納入するのだから不良品があってはならない。不良部分は他社調達の部品でしたのでは済まされない。そうであれば、テストの厳しさはやむを得ない点もあるだろう。

本書では製品供給か特許売却かで揺れ動く中での場面で上記内容が出てくるため、中小企業叩きにみえなくもないが、そういう捉え方だけでは不足していると思う。

本書の最大の醍醐味はそういった細かいところではなく、中小企業が社員一丸となって大きな契約に結びつけるところでの団結力であり、また中小企業代表者の決断力を描いている点であると思う。私の勤務する会社もそれなりの人数的規模で営業拠点も多数存在するが、そこのトップは実態は中間管理職であるとはいえ、その営業拠点ではトップである。その場その場のトップは否応無しにいつも決断を迫られ、迫られた決断を下したにも関わらずさらに上からの方向性の違った決定に不本意に従わなくてはならない時も多々ある。そういう時も腐らず気がついたら同じ方向に走っていたと言ってしまえばただの風見鶏になってしまうが、それをしても風見鶏になってしまったと思わせないだけの魅力が上に立つものには必要なのだろう。


下町ロケット 池井戸潤 小学館(第145回直木賞受賞作)

2011-10-16

『こども論語塾』を読む訳

いわゆるビジネス書ライターの方々が書いた本というのは、自分の経験を紹介しているにすぎない、若しくは「こうしてみてはどうだろうか」といった視点で書かれているケースが多いように見受けられる。現在のように自己啓発本が流行る以前はそれ自体が少なかったため参考になった点が多いが、ここまでこの手の本が出てくると何に手を出していいかわからなくなってしまうし、書いてあることも千差万別で迷いが多くなってしまう。

それぞれの著者が経験したことを出版に至るまでにはそのバックボーンとして何かを吸収してそれを実践して自分流にアレンジしているのではないか。その自分流の部分ばかりを追っかけていても、ひねくれ者には二番煎じにしか読み取れなかったり、「それぐらいのことはやっているよ」ということで本自体を読むことを恐れるようになってしまった。

ならばその著者たちのもう一歩手前、彼らが影響を受けたものを私も身につけてみようと思い、漠然と「論語」を思いつき、書店の新書コーナーで見つけたのが『論語 (講談社現代新書 13)』(貝塚茂樹著)である。

ところが読み始めてみると、ものの見事に漢字の読めない現実を思い知らされる。中学か高校である程度は習ったことはあるはずなのに、正しい読み方がわからない。最も日本語に訳したものを読む訳だから多少違って読んでいても問題はないのだろうが、いわゆる一般的な読み方ぐらいは知っていたかった。ほかにも論語を解説する本は多数あるだろうが、私が手に取ることができたものはわかりやすく書かれているものは完全に訳されたものだけが掲載されているものが多く、勝手に思っている論語の重みが伝わってこない。さてどうしたものかと思っていたところに、6月の研修会で紹介されたのが本書である。

その後、なかなか手にする機会を得なかったが、昨日書店を散策していた時にふと思い出しコーナー検索を行ったら在庫が残っていたので手に取ってみた。原文の掲載され、日本語訳も掲載され、子ども向けの解説も掲載されている。30も半ばに近づいた男が手に取るには恥ずかしさもあるが、そうはいってもそれが私の現在の知的レベルであるので仕方あるまい。小学生と一緒になって、論語を読み始めてみようと思い、1巻2巻の2冊を購入した。

この本をもとに、様々な論語の解釈に触れて、自分の軸を作る1つなればと考えている。

こども論語塾―親子で楽しむ 安岡定子著 田部井文雄監修 明治書院

2011-02-06

減税減税って、減税って何?

残念ながら大相撲の3月場所中止のニュースにかき消されてしまった今日の名古屋市長と愛知県知事選挙。減税を掲げるお二人が当選したようだ。

「恒久減税」っていったい何?ずっと減税ってこと?だったら最初から税率を下げれば減税でもなんでもないんじゃないか?地方税の税率が法律で決まっていて地方の条例改正でどうにもならないのであれば恒久減税という言葉で仕方がないのかもしれないが、その辺りどうなのだろう。減税がいい、悪いばかりでこれらの候補者が言っていることがどういうことかを解説しているニュースなんて一つも聞かずに終わってしまった。そして、減税話題ばかりが表に出て、他の候補者のことなんてさっぱりわからずに投票日になってしまった。市議会解散住民投票の結果を縦に勝手に選挙を一つ増やした候補者の戦略がちと言ってしまえばそれまでだが、選挙を一般人が政治を選ぶ機会ではなく、自分の正当性を認めさせるだけのためにしてしまったのは問題があると思う。

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