ラベル book の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル book の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013-07-18

サラリーマンは仕事と家庭の両立だけでいいのか


Medium 30792556
photo credit: Josa Jr via photopin cc


スポーツ界では、サラリーマンと二足の草鞋をはいている人は少なからずいる。アメリカのNFLの審判はみんな副業で、弁護士や医師、裁判官など本職を別にもっている人なのだそうだ。身近なところでは高校野球の審判は専業でないだろうし(予想)、地域の少年サッカーチームやリトルリーグの指導者はみんな副業、というよりボランティアだろう。

今でこそJリーグという一大プロスポーツになったサッカーも、実は前身のJSLはサラリーマン兼業によって支えられていたのである。さすがにそれだけの規模の事務局を担うので、三菱重工や古河電工といった大手企業出身者が多いが、そのなかでも地方支店長や部長クラス、子会社役員クラスの人間が仕事とは別の世界を持ち、それを支えているのだ。
我々の周囲でもよく見渡すと、自分の仕事や家庭、それ以外にハンドボールのコーチをやっていたり、自らが地域のバレーボールチームに参加したりしている人たちが少なからずいる。きっとそういうことをすることで、普段の自分を維持することができているのだろう。

『日本サッカーに捧げた両足 真実のJリーグ創世記』の著者、木之本興三もその一人だ。彼はサッカー部員として古川電工に入社するが、入社数年で腎臓全摘を迫られる大病に冒され、途中でJSL専属になったものの、週に3回の4時間半の人工透析という不自由な生活を強いられながらも、Jリーグ発足に奔走した張本人である。本書に登場する様々な人物も、サラリーマンの肩書きを持ちながらJリーグ設立に走り回った人たちが何名も出てくる。

普段、私たちは仕事の忙しさの理由を仕事や会社のせいにしている。「仕事の量が多すぎる」、「時間がなさ過ぎる」など、外因性に都合良く理由をすげ替えているだけではないか。私たちの時間は誰に管理されるものでもなく、自分で管理するもので、そのなかで仕事をこなし、家庭生活に安心感を得て、そしてストレスの解消も自分の時間のなかで自分で行わなくてはならない。外因性に理由を擦り付けることはその時点で自分の時間管理を放棄しているだけである。

よほどのことでない限り、私たちはもっと時間をうまく使うことができるようになり、そして仕事もスムーズに流れ、家庭生活も幸せな時間を過ごすことができ、またそれら以外の活動にも力を注ぐことができる。そのような時間の使い方を常に考えながら生きていかなくてはならないのではないだろうか。


2013-06-13

『海賊とよばれた男』 百田尚樹 ガソリンスタンド「出光」創業者、出光佐三氏をモデルにした昭和の経済小説


社員は家族である

明治の終わりに創業後、満州にまで業態を拡大し続けた同社が昭和15年までの約30年間個人事業主であったことは本書を読んで初めて知りました。それも銀行からの借入や対外的なイメージの上でといった理由のようで、株式会社への法人成りは出光氏の本意ではなかったようです。

出光氏の最大の理念は「社員は家族である」ということだと思います。ドキュメンタリーではないので真意のわかるところではないのですが、戦後海外から復員してきた従業員の馘首をせず、見舞金まで出していたとのこと。ほぼ石油専業でやってきた同社にとり、また原油の採掘がほぼなく輸入一辺倒であったこの業界は、GHQで完全統制がとられた戦後の時期は需要はあれどない袖は振れないの状況で決定的なダメージを負わされたことは想像に難しくありません。加えて戦中の石油規制にことごとく反発し続けた同社は、戦前より市場を国内から海外へ振り向けており、戦後海外での営業が行えなくなったことは同業他社と比較し完全にマーケットを閉められた状況であったといってよいでしょう。

そのような経済状況下においても従業員を切り捨てず、旧海軍通信兵だった者からGHQの意向によりラジオの修理を手がけるなど、本業以外に売上の開拓を行い従業員の維持に奔走していたようです。

戦中と戦後の「国のため」の維持

天皇が「人間」となり、戦中と戦後の「国のため」の意識は180度転換させられたわけです。多くの日本人が意識を集中させてきた(させられていた)「国のため」が何なのかわからなくなって廃人同様になった人も多くいると聞きます。富国列強を是としていた日本への「国のため」と、GHQによる統制と敗戦復興をしなくてはいけない日本への「国のため」は、目指すものが違うような気がします。歴史を知らない人間の勘違いかもしれませんが、昨日まで違うといわれていたものが今日からは正しくなるというときに、それを受け入れることができたのはなぜなのか。

人間の欲による「国のため」ではない、民族としての「日本人のため」と言い換えることができるものなのか。当時を知らない人間は想像することしかできないのですが、その違いを知りたいと思います。

私たちサラリーマンは辞令一つでどこへでも行かなくてはなりませんし、誰とでもつき合わなくてはいけません。昨日まではこうだと言っていた上司が、代わったとたんにそうではないと言われれば従わなくてはなりません。話のレベルは違うのは承知の上ですが、どこか私たちもその方向転換について、学ぶことができることがありそうです。

2013年本屋大賞1位の作品


戦後日本初の世界最大タンカーを建造したことは有名で、NHKのプロジェクトXでも放送されたことがあります。同社は2006年(平成18年)まで未上場で、ブリジストン、サントリーと同様に創業者(家)の影響力が相当強いんだろうなという印象を持っていました。「社員は家族である」がパブリック企業としての上場企業を否定するものではないと思いますが、そのような一面が、長く非上場企業であった理由なのかもしれません。



2013-04-30

「好きな人」から感染する


自分を変えるには?

本能に流されずに生き抜く、意思力が決めるなど様々な話題があるが、特に印象的なのは286ページの”「好きな人」から感染する”である。

 体の免疫システムも、自分の細胞を攻撃したりはしません。自分と同じだと認識するものは攻撃しないわけです。しかし、「自分とはちがうもの」だと認識した場合は、脅威とみなします。そして、病気が自分にうつらないようにウィルスやバクテリアを隔離したり破壊したりします。
 それと同じで、私たちが愛情や尊敬や親しみを抱いている人たちのことを考えるときには、私たちの脳はその人たちのことを「自分とはちがうもの」としてとらえるのではなく、自分と同じものとみなします。
中略
 つまり、私たちが「自分」と思っているものには、自分が大事に思っている人も含まれているということです。私たちの自己意識は、他の人たちとの関係の上に成り立っており、多くの場合、他の人たちのことを考えることによってのみ、自分というものをとらえることができます。私たちの自己意識には、このように他の人たちが含まれているために、その人たちの選択が私たちの選択にも影響を及ぼすのです。

 自分が大事に思っている人とは誰なのだろうか。本書では同僚の影響力など、親友の影響力に比べたら足元にも及ばないといっています。同僚よりも友人の友人の、そのまた友人の影響力の方が、毎日顔をあわせていても好きになれない同僚よりずっと強いのだと。

 確かに好きになれない同僚より友人のまた友人の方が影響力が強いだろうが、その前に同僚を好きになるように、好きとまではいかなくても少なくとも同僚が行っていることに敬意を払う必要はあるだろう。また、発想を逆にして同僚に自分を「好き」にさせる努力も必要ではないだろうか。それにはやはり敬意を払った行いをする必要があると思う。

「自分」と思っているものには、自分が大事に思っている人も含まれているということです。

自分が大事に思っている人を、もっと大事に思うようにしていきたい。

「スタンフォードの自分を変える教室」より。

2013-03-25

コリン・パウエル『リーダーを目指す人の心得』を読んで

軍人視点からのリーダー論であるが、ビジネスにおいても利用できる点が多い。概ね相違する点は、軍人は銃という武器を所持しているし、ビジネスにおいてはそれを所持していないだけである。

13ヶ条のルール

  1. なにごとにも思うほどには悪くない。翌朝には状況が改善しているはずだ。
  2. まず怒れ。その上で怒りを乗り越えろ。
  3. 自分の人格と意見を混同してはならない。さもないと、意見が却下されたとき自分もちに落ちてしまう。
  4. やればできる。
  5. 選択には細心の注意を払え。思わぬ結果になることもあるので注意すべし。
  6. 優れた決断を問題で曇らせてはならない。
  7. 他人の道を選ぶことはできない。他人に自分の道を選ばせてもいけない。
  8. 小さなことをチェックすべし。
  9. 功績は分けあう。
  10. 冷静であれ、親切であれ。
  11. ビジョンを持て。一歩先を要求しろ。
  12. 恐怖にかられるな。悲観論に耳を傾けるな。
  13. 楽観的でありつづければ力が倍増する。


ものを売る商売でもそう出なくても、仕事は情報戦である。お客のニーズも然りで、目に見えるもので相手から要求されることはないし、それ以外のことを行わなければ仕事はできない。軍事情報は衛星写真や偵察写真を見ることはできても、それがなになのかを結論づけるのは情報である。情報の取扱について、極めてわかりやすく書かれているのが以下の件だ。

  • わかっていることを言え。
  • わかっていないことを言え。
  • その上で、どう考えるかを言え。
  • この3つを常に区別しろ。


取引先との交渉結果を報告する際、直接的に相手から言われたことと、自分で考えたことを混合して報告してしまう場合がある。報告に脚色を加えてしまっていることがある。その脚色が判断を誤らせることも十分に考えられる。だから上記3つを常に区別し、わからないことはわかるように努力し、それでもわからない場合はどう対処するのかを考えなければならない。

本書の原題は"IT WORKED FOR ME. In Life and Leadership"である。
「はじめに」でもあるが、「私はこれでうまくいった」ということである。全てを自分に応用できないかもしれないが、利用できる部分は大いにあると思う。

孫子と兵法を読んだり、リーダーシップについて、古くは軍事に伴うものが多い。傍らにおいて参考にしていきたい。

2013-01-28

宗教法人法で規定できない宗教法人の活動


図解 宗教法人の法務・会計・税務 の34ページによれば、

宗教法人 = 世俗的側面 + 宗教的側面

つまり、「聖俗両面の二面性」の性格をもった法人であるといえる。


  • 宗教的側面:本来の目的である布教教化などの宗教活動
  • 世俗的側面:上記を推進するための事務処理や各種の法律的行為を行うこと

宗教法人法は世俗的側面を規定しているものであって、宗教的側面は憲法で保障されている「信教の自由」の観点から宗教法人法では「宗教法人の宗教的活動には触れられない」。


また、宗教法人の収益事業、および課税判定は以下の通り(抜粋)。
収益事業事業内容判定
貸席業宗教法人の境内地、本堂、講堂等の施設を不特定多数の者の娯楽、遊興または慰安の用に供するための席貸し収益事業
会議、研修等のための席貸しで地方公共団体の用に供するもの非課税
興行業常設の資料館、宝物館等において所蔵品を観覧させる行為非課税
料理、飲食店業公共施設内での食堂等の経営収益事業
幼稚園の学校給食の運営非課税


2013-01-15

池井戸潤『オレたち花のバブル組』を読んで考えた会社の人間関係の一側面

池井戸潤『オレたち花のバブル組』(文春文庫)217〜218ページを抜粋。

 どれだけ努力しても思ったように上がらない業績。支店の担当エリアを、それこそ靴底をすり減らしながら毎日歩き回るうち、心の大切な部分までもすり減って行った日々。毎朝、始業前に開かれる業績の打ち合わせで、一旗揚げようとやっきになっている支店長に怒鳴り続けられ、やがて疎ましがられるようになったとき、なにをいわれても「はい」としかいわなくなっていた自分がいた。自分なりにこだわりのあった仕事、好きだったはずの仕事は灰色の砂の山に変化し、その砂をいわれるままにコップで掬ってはまた埋めるーーそんな不毛な毎日だけが残されたのだ。

 仕事は二の次で余暇を楽しめればいい、そう考えたこともある。しかし、一日の半分以上も時間を費やしているものに見切りをつけることは、人生の半分を諦めるのに等しい。誰だって、できればそんなことはしたくないはずだ。いい加減に流すだけの仕事ほどつまらないものはない。そのつまらない仕事に人生を費やすだけの意味があるのか?

私は

  • つまらない仕事に人生を費やすだけの意味はない。
  • 通勤時間を含めた仕事の拘束時間を12時間、睡眠時間を6時間として、残りは6時間。
  • 稼働時間18時間で考えたら人生の2/3を仕事に費やすのだからその時間をつまらない時間にするのは割に合わない。


と考える。


 「支店長に怒鳴り続けられ」とあるが、善後策をたてた上での「怒鳴り続けられ」は理不尽極まりない(同時にその支店長は「時間泥棒」である)。一方で、善後策をたてる「思考回路も放棄して」ただ仕事を流し、「怒鳴り続けられる」のも流れの1つと考えている者がいるのもまた事実である。

 人格が出来上がってしまっている30代半ばの人間に対しても「考えて仕事をやりましょう」と言い続けるのが役付者の仕事の一つかもしれないが、なかなかうまくいかず、反対に「彼になにを言ってもぬかに釘」と諦めるのは、それはそれで今度は私の人生の半分に見切りをつけてしまうようで悔しい。ならば最初からいないものと考えて、その努力を入社数年の人間に集中的に注いでもいいが、残念ながら人事部から送られてきた人間はどんな人格であれ単純に1名であり、うまく使わないことには仕事の球数をこなすことができない。

 言葉は悪いが、差し当たっての結論は「バカとハサミは使いよう」と短絡的に納得しないと自分が明日会社へ行くことができなくなってしまうので、ひとまずそういうことにしておこう。雇用が不安定なこの世の中、「仕事があるだけ幸せ」を都合のいいように解釈せずに、もう少しみんなが「ポジティブな時間の使い方」として考えれば、さして難しい問題ではないと思うのだが、終身雇用の下でそれを言ってもなかなか通じないものである。

2012-09-21

説得力がある文章を書く方法を、どのように説明すればよいか。

現在の担当の立場でいくと、非常に多くの稟議書を読みこなし、修正し、審査部に提出するに耐えうるものに、担当者に仕上げさせなければならない。稟議書であるから、当然第一義的には、①債務者、②金額、③資金使途、④期間、⑤金利などを記入する必要がある。これらは形式的に記入するものであり、大した工夫も必要ではない。

問題は(あえて⑥とする必要があるかは判断しかねるが)、上記内容について「なぜそう書ける?」と自分に問いかけ、「だってこうなんだから」と自分に答え、それには過去の取引先とのやり取り、決算書、試算表などの徴求債務資料などから、①〜⑤に説得力を持たせなければならない。①〜⑤を記入するのに創意工夫は必要でなくても、①〜⑤に説得力を持たせるには、十分すぎる説得力を持ち合わせていなくてはならないのだ。


「ロジカルシンキング」といえば、現在ではある程度のビジネスパーソンであれば内容の理解はともかく、ある程度その言葉から、思考方法の1つなのだろうということは想像がつくだろう。では、部下にロジカルシンキングに関する本を渡し、読んでくるようにと伝えたところでその意図をくむことはできるだろうかは甚だ不安である。そこで思いついたのがこの本、「プレゼンテーションzen」だ。数年前に購入し、今ではパワーポイントを使わない仕事になってしまったため手に取る機会も少なくなってきてしまったが、プレゼンテーションの作成方法だけではなく、この本には、如何にうまく人にアピールをするのかということが凝縮されていると思う。改めて読み返してみると、本書のなかにおいても「ダカラナニ」、「ナンデソウナル」という、ロジカルシンキングの本に出てくる "so what?" ということはやはり指摘されている。説得力のある文章を作成するには、書いたことに対して自分に「これはどういうことだ?」、「それはこういうことだ」と自問自答できなければならない。私はこの部分を理解してほしい。

最近回付されてくる稟議書は、話はあちこちに飛ぶ、資料との整合性がとれない、案件を取り上げる理由の意図が掴めない、等の書類がほとんどだ。これらは "so what?" を繰り返すことで十分に解決することだと思われる。そしてこの "so what?" を適切に行おうと思うと、必然的に取引先の情報が更に必要になるだろう。そこで取引先との日常的な会話も変化するはずだ。そこから新たな提案、簡単に融資が困難な先に対しても、審査部や保証協会に対する説得力をもった申請が行えるのではないか。

私自身もこの "so what?" を更に進化させる必要は当然にあるが、この方法を一度若い後輩たちにも伝えてみたい。

2012-04-13

思考を一度全部外に出してみよう。


本書の第4章「アイデアをなくさない情報整理法」の第12項は「頭の外に追い出すことの大切さ」である。
仕事の効率を上げるためには思考、考えていること、アイデアをどんどん外に追い出す必要があると著者は言う。また、レオナルド・ダ・ヴィンチやトーマス・エジソンも実際にそのようにして思考を整理していたようだ。エジソンは少年時代からつけていたノートは3,500冊にものぼるらしい。そして困難にぶつかった際は常にこれらのノートを見直していたようだ。書き出すことによって思考が明文化されること、思考を一旦クリアにできる。本書ではごちゃごちゃになっている頭の中を一掃することで、次の新しい情報や思考が生まれることがでいると行っている。これは仕事のことから家庭のことまで全てに共通する。これが現代では3,500冊のノートではなくてEvernoteでできるわけだ。

Googleの各種サービス、Evernoteやdropboxなどクラウドサービスは無料である程度利用できるものが多くなってきて、それに関する書籍も相当数ある。私もGメールは招待性ではなくなってすぐに使用を始めたし、Evernoteも登録をした。GメールはメールをPCに取込んでハードディスクの要領を取られるのをさけたかったこと、Evernoteはエディタとして、その目的として使用してきた。

クラウドに関する本はクラウド全体としてもあるし、またサービス毎に様々な書籍が出版されているし、ウェブサイトにも利用方法についてのアナウンスはいくらでも見つけられる。私はこれまであまりそういった類いのものを見てこなかった。えてしてこれらの著述物はライター専業者が執筆したものが多く、私自身の仕事と私生活の利用へ結びつくイメージが掴めなかったからだ。

本書の著者はブルーバックスだけあって、独立行政法人の研究者だ。つまり、実務者としてクラウドをどう評価し、利用しているかの視点で書かれている。私の会社のネットワークはほぼ完全に外部からシャットアウトされているので、会社でこれらのクラウドを使用することはできないが、私生活においても十分に役たつ情報が多い。

例えばGメール。これは以前から使用しているが、ラベルやアーカイブがうまく利用できていなかった。急を要さないものについても他のメールに埋もれるため検索を多用していたが、ラベルをうまく使うことで検索がより効率的になる。また、検索に論理条件が入れられることも初めて知った。早速全てのメールを整理し、既に終了したものは削除(本書では勧めていない)、またはアーカイブへ落とし込んだため、受信トレイは数通のメールが残っているだけで極めてシンプルになった。

次に早速導入したのがdropbox。こちらも会社のファイルを持ち出すことができないためこれまで使用していなかったが、これを機に利用することにした。1つはバックアップ目的。もう1つは、これまでCD以外の音声データも全てiTuneを通して聞いていたが、iTunesのフォルダが煩雑になったりしてPCを入れ替える時に苦労した経験がある。音楽データでないものはいつでも何もiPodで聞く必要もなく、dropboxに入れてスマホやタブレット付属のプレイヤで聞けば言い訳だ。これで音声データの整理がだいぶ楽になる。

上記2サービス以外にもGoogle Documentsや論文参照支援のクラウドなども紹介されていて、まだまだいくつかはプライベートにおいても利用できそうだ。

本書の第7章第1項のタイトルは「意外に悔いれない「細かい時間」の節約」である。細かい時間の積算が数日単位の時間を生み出すことができる。本書で紹介されているクラウドサービスは執筆時に著者が「時間の節約になるか」という視点で厳選されたものである。それら全てが読者全員に適用されるわけではないし、クラウドの利用に拘りすぎて逆に時間を浪費するようでは本末転倒であろう。その辺り、自分自身により適した利用方法を私も自分なりに探していきたい。

『理系のためのクラウド知的生産術』メール処理から論文執筆まで 堀正岳 講談社ブルーバックス

2012-04-10

恩師からの贈り物

私が今の会社に入社して最初の支店での2人目の支店長が、嘱託を終えて3月31日に正式に退職された。勝手気ままな私の行動を「外っておいてくれた」彼はその支店を最後に本部に入られその後も仕事でつながりは続いていたが、私が4年間外国為替の部署に在籍していた際は、ほとんど年賀状のみのやり取りであった。4年ぶりに営業店に戻った私は、その間に民放の改正で連帯保証人契約の内容が変更になったり、円滑化法はできるわで激動的に変化した仕事内容についていけず、資産査定の部署に在籍していた氏には大変お世話になった。

その彼が退職間際に私に連絡をくださり、「仕事で使っていた本を引き取ってもらいたい」とのことであった。「歳はとってるけど本は最新のものだよ」とはいかにも彼らしい。

仕事の都合で本部に行く時間が取れたので、その際にお会いし本をいただいた。

いただいた本は小説の類いも含め40冊以上。そのほとんどが金融実務書で、その中には私も書店で狙っていたが、欲しい情報の一部だけにこれだけのお金は出せないなと躊躇して購入していなかったものも含まれており、大変うれしかった。

更にうれしかったのは、数冊ではあるが私も所有している本があったこと。「かぶってしまったな」という思いは全くなく、妙に感慨深いものがあった。実務書であるものの、そこで繋がっていたということが何となく琴線に触れた気がしたのだ。

嘱託といえば年金受給開始までのつなぎ期間的なイメージがあるが、彼は常に最新の実務情報を入れていたわけで、とてもじゃないが私が追いつけるレベルではない。その姿勢に感服もした。

私の時間の都合で30分ほどしかお話ができなかったし、後日行われた送別会も体調不良で欠席してしまったので大変申し訳なかったと思っている。元々山に登るのが好きな方だったので、そちら関係の何かをお返しとして送りたいと思う。

いただいた本の一部だけご紹介しておこう。


支店の実務ではそれほど必要ないのかもしれないが、償却や引当の方法の考え方は資産査定を行う上で当然必要な知識であって、会社全体の資産査定を俯瞰的にみるには必携の1冊。


私も所有している1冊。取引先に「経営改善計画書」の作成したところで、申し訳ないがそれは絵に描いた餅。そもそも中小零細企業のほとんどは赤字経営で、経済変動(大企業の予算も含めて)に振り回されるそれらの企業に5年先、10年先の計画をだせという方がどだい無理な話である。しかし金検マニュアルで作成が義務づけられている以上仕方がない。本音と建前的ではあるし、かなりな語弊があるが、「つじつまの合うウソ」を知るには大変便利である。


私が営業店に復帰して最初に購入した本。本部在籍時に企業会計原則が変更になっていて、慌てて購入したもの。資産査定を行う上で、一番利用した本である。彼も同じだったようで、一番使ったと言っていた。


こちらも営業店実務ではまず必要ではないが、金融機関職員としては銀行決算の仕組みを知る上で便利な1冊。これは私も初版本をブックオフで購入している(当時の共著者の一人はこちらの方)。


元銀行員作家の作品は結構読んでいる方だと思うが、なぜか池井戸潤さんだけはさけていた(特に理由はないが何となく)。「下町ロケット」 で直木賞を受賞されてそれを読んで以来、少し読んでみようかなと思っていた矢先、4冊いただいた。


以上、ほんの一部であるが、彼の会社人生の最後の飾りづけに使われたこれらの本を、私は大事に使っていきたい。

2012-04-08

ネットワークCDプレイヤを検討中

今自分の部屋のオーディオは19インチの液晶テレビ、Blurayプレイヤ(どちらも東芝REGZA)をHDMI端子で接続して、テレビのイアフォンジャックからBOSEのCompanion 3 seriesⅡに接続している。

Companionは有線リモコンにもイアフォン端子がついているので、そこからiPod touchに接続してiTunesに入っているものを聴いたり、インターネットラジオを聞いたり、radikoを聴いたりしている。

CDプレイヤがないこと。PCのハードディスクはまだまだ十分にあいているけど、外では聴かないけどたまには聴きたいと思うものはあまりPCに入れたくないんだよね。特にクラシックがそう。おまけにiTuneのアルバムアートワークが使えなくて、どれがどのCDかわかりにくい。

将来的にはターンプレイヤを接続したいこと。

ということでいろいろ探していたら、最近はAirplayに対応したCD付きチューナ付きアンプが結構あることに気がついた。おまけにインターネットラジオも聴けちゃうからすごい。

例えば、


こんな感じ(marantzはちょっとお値段が張るけど)。


問題は、スピーカがないんだな。
BOSEってそれだけで完結させるならいいんだけど、汎用性が低いんだよね。付属のスピーカは端子一本で専用だし、Companionのウーファは他アンプからの入力ができないから単体で使えない。
じゃぁあとは上のアンプからAUX出力の赤白端子かららピンジャック変換して、それをBOSEに接続するかと。なんかアンプが2重になって無駄だよね。

さて、どうしたものか・・・。

今回の検討にあたって、オーディオ知識ゼロではいけないので読んでみたのがこの2冊。



「オーディオ常識のウソ・マコト」はケーブル、アンプ、CDプレイヤ、スピーカについて全般的に書かれていてとても参考になった。

「続 オーディオ常識のウソ・マコト」PC時代にあわせた続編で、A/D、D/A変換やマイクのことなど、かなりマニアックな内容になっている。電子回路や音声ファイルについての解説なので、ただ音楽を聴くことを目的としているだけの人には読み流すだけでよいだろう。
面白いのは、SONYとAppleの比較を行っているとのこと。2008年当時のネットワークウォークマンとiPod nanoのノイズの比較などを行っている。どちらに軍配が上がったかはぜひお読みください。あと、ヘッドフォンとイアフォンについても書かれていて参考になります。
ただ、2008年初版のため、今はやりのAirplayなど無線LAN関係の記述は一切ないのでそれを目的に読まれる方はご注意を。

しばらく、暖めて結論を出そう。

2012-03-17

『舶来屋』 幸田真音


庶民のサラリーマンからは唯あこがれの存在に過ぎないグッチにエルメス。その本当の存在意義は「お値段が高いものはいいもの」ではなく、「よいものを、それに見合ったお値段で」にあること。そしてそれを手にすることができるのは、本当はそれに見合った社会的地位(今いわれる格差的なものではなく)とその所得を得ている人たちであるべきである。そして、そこに届かない人たちは、それに届くように目指して日々生活をする。こつこつと生活をし、こつこつと地位を上げていって初めて手にしていいもの。それが本当のブランドもの。

戦後の闇市から始まった主人公の商売魂は、最初こそ裏ルートを使った方法ではあったが、基本的な「お客様の要望に応える」をもととし、まずはアメリカの当時から見れば進んだ電気製品など、そしてアメリカで売られている「いいもの」と思ったものが、全て欧州製であることから、ヨーロッパのすばらしいものを日本に広めたいという純粋な心意気である。

ブランドのことはよくわからないが、名前は違えどどこどこと何々は資本は同じということはよくあるとは耳にする。いつの間にか「よいものを見合ったお値段で」はいつからか「高いものはいいもの」、「誰もが知っているものは高くていいもの」にとって変わられ、「よいもの」を作ることも巨大資本に巻き込まれて気がつけば概ねMade in Chinaである(中国製品を悪く言っているのではない)。

アウトレットも然りで、ブランド自らが首を絞めて出来上がったビジネスモデルだ。ブランドものが安く買えるとアウトレットに行列ができるが、それは本来のブランドがもつ力ではなく、資本力に負けた、対応しきれなかった商品が並んでいるもの。いってみれば負け組に蟻のごとくよってたかっているのかもしれない。そんな気がした。

80歳を過ぎてもなおよいものを探し続けて世界中を飛び回る主人公(実在する)のように、名前に翻弄されるのではなく、いいか悪いか、それは自分が決められるような素養を持つ人間にならなくてはいけないと思った。

以前、サッカーの岡田監督が将棋の羽生棋士と対談の時に言っていた言葉を思い出す。
いいか悪いか、正しいか正しくないかの判断に、美しいか美しくないかという要素があってもいいんじゃないか。
そういう要素を磨き続けていくようにしたい。

2012-02-26

『働きながら、社会を変える。』 慎泰俊


本書はプライベイトエクイティファンドでバリバリに働く金融マン(26歳)が、パートタイムで子どもの貧困に社会貢献し、その実態と分析、行動を記したものである。

著者の意図から外れるかもしれないが、この本を読んでまず思ったことは、私の友人の多くは既に子どもを持ち、また私のことを知らずにこのブログを読んでくださるであろう同世代の方もおそらく多くが子どもをお持ちになってみえるだろう。その方々に声を大にしていいたいのは、
「自分の子どもには可能な限りの愛情を注いであげてほしい」
ということだ。具体的に何がそれなんだといわれると私には子どもがいないのでわからないが、少なくとも子どものことを「しっかりと見ていてあげる」ということではないかと思う。それは何も経済的に最大限の支出を子どもに向けろとか(以下に書くが、決して日本の子ども向け支出は高くない)、そういう類いのことでは決してない。本屋さんでパラパラ立ち読みでもいい、子どもを持っている人は本の数ページ読めば私がいいたいことは理解していただけると思う。

本書は3部構成になっていて1部、2部では児童養護施設の実態、そこにいる子どもたちの事情、生い立ち、また児童養護施設の運営について自信の体験(実際に住み込みをされた)を元に分析されている。3部ではサラリーマンでありながら、いやサラリーマンであればこそできる社会貢献の方法について書かれている。著者の意図としては1、2部で実態を知った後の行動として3部の内容を実践してもらいたいというのが本音であろうが、私自身どのような行動をしたらよいのかわからない状態なので今回はその部分は割愛し、児童養護施設の実態から自分が親になったとき、また現在親という立場である人たちに、ごく普通の家庭生活が送られない子どもたちがどれだけ悲惨な状況におかれているかを知っていただきたい。であるからして、既に親の立場にある人からすれば「何を当たり前のことを」と思われるかもしれないが、その当たり前が通用しない子どもたちがいるが現実なのである。

不幸にも親が病死した等の不可抗力的な理由で入所したにせよ、DVやネグレクトによって児童相談所から入所させられた子どもにせよ、ここにいる子どもたちは「捨てられた」という感覚が非常に強く、また大人でも見られるように自分の受けた暴力は他人にもしてしまうという悲惨な状況が繰り広げられている世界が児童養護施設だ。本来の家庭で生まれ育てば子ども2〜3人に両親で育てられるはずなのに、児童養護施設はその規模にもよるようだが収容人数によって職員1人あたりの子どもの人数が決められており、逆算で職員数が決められる。最近ではカウンセリング専門職(非常勤のことが多いようである)等もつけられるようではあるが、それを加えたところで子ども1人に職員1名ということは不可能である。それ以上に様々な事情を抱えた子どもたちが施設にはいるわけだから不登校、暴力など、自分の子どもでも手を焼きそうなことが頻繁に起り、それを1人の職員が何人分も対処しなくてはならない、また24時間態勢でぎりぎりの人数で回していることから職員の苦労も計り知れない。はたして自分がこの職業を選んでいたとして、いくら自ら選択した職業だとしても、では今もこの職を継続しているかと考えるとおそらく応えはNo.だろう。それほどに施設の状況は困難極まりないものだというのは本書を全て読み終わらなくても十分に伝わる。

また更に驚くのは経済大国を謳う日本の貧困率の高さだ。出所は別所になるが、ある調査によれば母子世帯の人口構成比は全体の4.1%で貧困率は66.0%にもなる。また、OECDの調査による子ども向け支出の対GDP比はワースト3に入り、子どもの貧困率は15%弱にものぼる。これが子どもの「教育」向け支出の対GDP比で行くとOECD調査ではワースト1となる。更に、同じくOECD調査であるが、16歳未満の子どもを持つ母親の就業率は50%強にしか満たさず、男女の就業率格差の比較では日本はワースト4である。
これだけを見れば、解決の糸口は女性の就業率を上げることと、子ども向け支出を高めることにありそうだ。

それにしても大学全入時代といわれて久しく、子どもは塾に習い事にと大人の残業並みに忙しい夜を過ごしていると思っていたらとんでもない大間違いであって、対GDP比における子ども向け支出がこれほどまで小さいとは意外であった。

ではこのような状況下で働くサラリーマンの私たちは一体何ができるのか。著者の体験からもわかるが、場当たり的なボランティアでたまに施設に顔を出す程度の行動は逆に子どもたちから「もう来ないんでしょ」とショックを与え、日々奔走する職員からは実態をわかっていない者のポッとでの手伝いはあまりありがたい話ではないようだ。
そこで著者らが考えたのがパートタイムでもできる社会貢献で、かつ自分の本業を活かせ、また本業にも活かせられる社会貢献の方法である。著者は金融マンであることから資金面でのパートタイムでの児童養護施設への援助プログラムを実践しているが、社会貢献のために本業を疎かにする者は結局本業もまともにできないと考えられるので、本業、本業外ともに有効な時間を過ごせるような社会貢献のあり方を模索している。また、既にいくつかパートタイムでの社会貢献を実施しているNPOなどもいくつかあるようであり本書でも紹介されている。

自分で何ができるのか、またそもそもするのかしないのかはよく考えて行動しないと長続きしないものであるので、現在の自分の状況と立場を今一度よく考え直す機会にはなると思う。

なお、著者が代表理事を務めるNPO法人、Living in PeaceのURLは以下である。参加者のプロフィールを見ると、どう考えても自分よりも多忙を極めるであろう人たちが集まっているのに驚かされた。

http://www.living-in-peace.org

2012-02-19

数学の天才、コンピュータ技術者、そして営業マン 池田敏雄


海外ドラマDVDはどうしても連続してみてしまってきりがない。ついつい夜更かしをしてしまうので体にはよろしくない。

図書館に行ったらちょうど以前NHKで放送されていた『プロジェクトX』のDVDがあったので2枚借りてみた。

1枚はテレビの放映でも観たし、それをビデオにとって何回も繰り返しみた富士通のFACOM開発責任者であった「池田敏雄」の話だ。

数学の天才で富士通に入社。今でこそ富士通といえばパソコンを買う時に候補にあがる有名企業だが、戦後当時は唯の電話機器メーカーだったようだ。業界弱小、といったら今の富士通が怒るかもしれないが、お世辞にも優良企業ではなかったようだ(もちろん、戦後の混乱期にはどの会社とて大変な時期だったはずだ)。その会社内でも特に異彩を放ったのが池田敏雄である。家で夜中まで、というよりも会社に出るタイミングを逃すほど設計図面にのめり込むあたり、尋常な集中力ではない。数学的、技術的に優れていただけではなく、文学、クラシック、囲碁と才能は多彩であったようだ。

文字通り命をかけたFACOMの出荷1週間前にくも膜下出血でこの世を去った男が講演で語ったという次の言葉は、何も電子計算機屋に限った話ではないと思う。

電子計算機屋というのは自分の進歩を止めた瞬間に必ず潰されてしまうんですね。ですから人間は進歩していない限り、本当の生きているという実在感と幸福感はないはずなんです。

何もコンピュータエンジニアにだけいえた話ではなく、営業マンだって銀行員だって、人間誰しも進歩を止めた瞬間に、技術戦争まっただか中だったコンピュータエンジニアのように潰されることこそないにせよ、少なくとも実在感や幸福感はやはりないような気がする。何でもいい、今日はこれができるようになった、これができた、というような小さな達成感を少しずつ積み上げていきたいと思った。

なお、池田敏雄氏についてはこちらの本にも詳しいが、残念ながら絶版である。この番組をみたのが既に10年近く前になると思うが、当時で既に絶版であり、アマゾンのマーケットプレイスで購入したのを記憶している。




2012-01-29

『RUNWAY』 幸田真音

体調が良いと心なしか休日は時間がゆったりと過ぎていくような気がする。昨日はほぼ1日寝ては起き、寝ては起きを繰り返していたためあっという間に1日が終わってしまったが、今日はまだ13:20。穏やかな休日を過ごしている。



朝から幸田真音の『ランウェイ』を読み、読了した。最近は生活のリズムを崩さないよう、毎日早く練るようにしているため複数の本を同時に読むこともできないし、1冊の本を読むのにも日数がかかる。

舞台はファッション業界。一介のOLが失恋を機にショップの販売員に転職し、バイヤーに抜擢され、セレクトショップにヘッドハンティングされ・・・、と30歳を目前にした女性の人生を描いた作品である。外国人投資家の強かなまでの手のひらの返し方、女同士の嫉妬、おそらく実際のビジネスの世界では、小説には書ききれない程の試練や裏切り、妬みがあって、どれだけそれを描いたとしても「そうは問屋がおろさない」と、同業の者ならば思うだろう。同業の者でなくても、実際仕事をしている人間からすれば「夢のまた夢」のようなお話かもしれない。

フィクションであれ、やはり仕事に必要なのは「情熱」であって、それに加えてよくも悪くも「人脈」なのだと思う。そしてその人脈は「情熱」がないとついてこない。情熱と好奇心が漠然としたものではなく、ビジネスプランとしてビジョン、コンセプトが固まりそれをデザイン、またはソリューションしていくところでそこに魅力を感じた者が近寄ってきて人脈というものが出来上がり、人脈の広がりが資金の出し手を探し出す。偶然なようで、それは自らの情熱が磁力となって引き寄せたものであって、運がいいといえばそれまでだが、少なくとも情熱に対する努力がなければ何もできないということは間違いない。

そして、遮二無二なって働く女性はやはり美しい。我を忘れて、たとえ化粧を落とし忘れて顔がぐちゃぐちゃになっていても、必死になってやっているときは誰もが晴れ晴れとした顔をしているはずだ。それを人前に出るときはばりっと決めて表れる、それが粋というものだろう。そしてそれは何も女性に限った話ではなく、男性もまた然りでスマートに仕事をこなしているようにみえるだけではダメで、見えないところで壮絶な思いで取組む姿勢というものがあったうえでの「格好良さ」がないといけないと思う。

そんなフィクションの世界に絆されながら仕事に取組んだところで自分の仕事がうまく行くかといわれればそれは完全にYesではないと思うが、一方で少しでもフィクションの世界が自分の身に起ればそれはそれでドラマティックではないか。と、毎日思いながら仕事をしている私である。

ただし、体を壊しては意味がないので、その辺り、調節も必要であるが・・・。

2012-01-08

『赤い三日月 小説ソブリン債務』 黒木亮




黒木亮、『赤い三日月 小説赤いソブリン債務』を上下巻読み終わった。邦銀海外支店、日系証券現法、商社を渡り歩き、処女作『トップレフト』に始まり現在は作家専業の著者の得意分野である「国際金融」の最前線は、ある種同業でありながら、そんな世界に一歩も踏み入れることができない私のあこがれの世界をいつも体験させてくれる貴重な存在である。

黒木亮氏の作品の魅力はは金融小説に留まらず、海外で生活をした、海外で労働をしたその息づかいが垣間みれることだ。登場する現地の町並み、食事、風景などの描写が非常に多く、いつかその地へ行ってみたいと思わせるだけの描写がされている。私は残念ながら行ったことがあるのはニューヨークだけであり、ぜひロンドンにも行ってみたいと思うし、本書『赤い三日月 小説ソブリン債務』の舞台になったトルコにも興味を引かれた。

本書で特に目を引いたのは、おそらく著者は最も訴えたかった場面ではないと思われるが下巻に登場する以下の場面である。トルコ向けシンジケートローンの案件について、国際審査部とのやり取りの場面だ。

部長
「ロンドン支店が本件を是非やりたいという理由は?」

但馬
「本件がトルコの今後の資金繰りにとって、重要な意味を持つ案件だからです。トルコは当行の長年の顧客であり、顧客が助けを必要としている時に、それを提供するのが取引銀行としての務めだと思います」

審査役
「当行は民間企業であり、株主に対する経営責任を負っておりますから、顧客に対する支援は、その範囲内で行われるべきと考えます。むしろ、こういう問題の多い国とは、この際、すっぱりと手を切ったほうがよろしいかと存じます」

但馬
「銀行は民間企業ですが、同時に、社会的責任を担う公共的な性格を持っています。そのことは日本の銀行法にも謳われております」
「本件は社会的意義が大きな案件であり、リスクもとり得ると思料します。審査役にお言葉を返すようで恐縮ですが、民間企業であるなら、リスクを見極め、ビジネスチャンスを追求する姿勢が重要だと思います」

部長
「銀行は単に損得だけで融資の判断をするべきではないのは但馬君のいうとおりだ。また、社会的意義のある案件というものは、たいがいきちんと返済されるものだ」
下巻、196〜198ページより引用。一部省略あり。
なお、トルコの状況については本書が舞台なった当時のものであり、2012年現在のものでないことにご注意いただきたい。

これらのやり取りは何も国際金融の場面のみではなく、取引先がトルコなのか、はたまた街の中小企業なのかの違いである。このやり取りの前にはトルコに対するカントリーリスクの記述もあり、私が取り扱う日常案件においてカントリーリスクを勘案する必要は全くないが、それ以外の点はきわめて日常的なことだ。また、頻繁にロンドンとトルコを行き来する場面もあるが、これも飛行機を使って相手の「顔」を見に行くか、スーパーカブで走っていくかの違いであって、国際金融であろうと国内中小向け融資であろうと、お互い組織同士の取引ではあっても最終的には「担当者同士の人間関係」と、案件に対する熱意が重要になる。この点も同じだ。

これまで黒木亮氏の著作は単なる1冊を除いてあこがれだけで読んでいたが、金融という1つの取引が長期に渡るものはどこも同じ、という今まで違った視点で読むことができ、主人公但馬の熱意に負けない仕事ぶりを発揮していきたいと思った2冊である。

2011-12-31

これがなくては1年が終わらない

昨日は大学時代のゼミのOB会。

普段からあっている連中はもちろんのこと(2日連続というものも数名)、年に1回会うか会わない人、ネットでコミュニケーションをとっているけど実際に会うのは数年ぶりの人、いろんな人が参加する我らが児島ゼミのOB会は1年の締めくくりの大事な行事。だから毎年私の仕事の最終日にやっているのだ(この日程にはかなりな人が迷惑を被っていると思う、ゴメン)。

まぁ詳細はFacebookにゆずるとして、2次会で話も出たが顔ぶれには正直「マンネリ感」はなくもない。だけど、この「マンネリ感」がないと、久しぶりの顔にも会えないのがこの会の特徴であって、昨日もやれ「ゴルフ部結成だ」とか「東京部会やるぞ」等、各々かなり盛り上がった様子。おそらく実行されるであろうからまたこの集まりのすごいところだ。

結局2次会から帰ってきたら午前様どころか3:00。起きたら昼で全く持って「ダメダメサラリーマンの年末」を演じてしまったけど、声をかければ新幹線で駆けつけてくれる人もいて楽しい夜だった。

参加してくれたみんな、ありがとう。

https://www.facebook.com/kojimaseminar.net
https://www.facebook.com/groups/269458769759182/
http://www.kojima-seminar.net/


2011-11-12

海外ドラマを観ているとFacebookの意味がよく分かる


去年の今頃だったかFacebookをはじめたばかりの頃に買った本です。ここのコラムでは掲示板について次のように書かれています。
この「掲示板」の仕組みはFacebookの生まれたアメリカの学生寮の仕組みを考えると納得できます。アメリカの寮では個室の扉にコルクボードやホワイトボードが付けられています。これがFacebookの掲示板のイメージです。
アメリカでは自分の部屋の扉に自分に関する情報書いて通りすがりの人に見せたりすることがあるらしい。日本人で、寮生活の経験がないものには理解できないが、アメリカのドラマを観ているとなるほど理解できた。

私はERを観ている時に気がついたのだが、個人のロッカーに思い出の写真やメッセージを張っていることに気がついた。これでFacebookが日本人になじめない理由も説明できる。

少なくとも私の会社のロッカーでは思い出の写真どころかネームプレートも張っていない。通りすがりの人に(もちろん寮であればある程度は特定されているだろうが)自分の情報をさらけ出すということがあり得ない訳だ。一方でアメリカ人は自分の情報をさらけ出し、そしてその反応を書き込みもする。また誰かの寮の扉へ「最近どう?」のようなメッセージを入れたりもする。日本ではあり得ない。

Facebookが実名利用で受け入れられたのはアメリカではすでにその下地があったからだ。寮の扉であればそれが誰のものか一目瞭然。それがネットに移ったにすぎない訳である。だからいい加減なことを書くこともできないし、いわゆる炎上することもあまりないのだろう。実世界において自分の責任で自分の情報を出すことになれているのだ。

日本でFacebookは広まるかの議論は必ず実名利用が議題の第一にくる。だがこれは二次的なもので、そもそも個人の話を通りすがりの人にしようという習慣がないのだから話の次元が違っているのだ。日本人は自分の情報は出したがらない。だけどSNSができたから情報を出す手段は得てしまった。それが匿名でO.K.だったから「我を忘れて」書き込みができる。歯止めがかからなくなり炎上がおこる。こういう構図だろう。

アメリカには旅行で2度行ったことがあるだけだが、基本的に開けっぴろげな人たちの集まりに感じる。少々誤解を招く発言かもしれないが、日本で電車の乗り方を訪ねるのに、見た目で日本人でないとわかる人に聞く人はいないだろう。それどころか、駅員でない一般人に聞くことがあまりない。ところがアメリカ人は違うのだ。明らかにアジア人の私に対し、堂々と地下鉄の乗り方を聞いてくるし、道を尋ねてくる。それも観光客にだ。

SNSで実名を云々はそれほど大きい問題ではない。対人関係が対面なのかネットなのかである。対面で誠実な人はネットでも誠実であろうし、ネットで匿名でやりたい放題の人はおそらく対面でもやりたい放題、またはそれをみっともないことだと教えられて入るので対面はうまくやれないのだろう。

SNSがよくわからないとか、実名がどうだかではなく、これまで培ってきた人間関係が引越しや転勤で物理的に対面でコミュニケーションをとれなくなっていたものが、SNSを利用することで物理的、地理的障害を取り除くものであると考えれば、SNSの利用は個人でもっとハードルが低くなるはずである。

2011-11-06

『男の作法』 池波正太郎


昭和56年に書かれた本だがなるほどと思わせることが多い。残念ながら天ぷら専門店に行く機会もなければ寿司屋に行くこともそれほどないが、「かっこいい」と思われる食べ方をやはりしたい。

ただ、縞のスーツに縞のシャツは合わないというのはどうだろうか。結構この組み合わせでスーツを着ることがあるので。

実践しているのは刺身を食べる時にわさびを醤油に溶かないことぐらいか。

このような本で作法を学んでいると人に知らせること自体が作法に反しているのかもしれないが、一応記録まで。

男の作法 (新潮文庫) 池波正太郎


2011-10-19

『入社1年目の教科書』 岩瀬大輔


いきなり50の指針をすべて実践しろと言われてもそれはできないし、そもそも50個も頭に入らない。今の自分にとって必要なもの、今現在実践しているものをピックアップしてみた。


  • 「何のために」で世界が変わる
自分で担当しているものは締め切りをプライオリティに考える。他人から依頼されたものは締め切りとその目的を確認して理解してから実施する。
  • 仕事は復習がすべて
最近は仕事の終わりに今日やったこと、やれなかったことをメモし、明日の仕事のプライオリティを考え手帳に記入するようにしている。別に、文章で日記を書いて気持ちを整理する。

  • 頼まれなくても議事録を書け 

案件に対するちょっとした会話等はすべて手帳に記入している。それも復習の時に生かす。ただ、本書では時系列に書くなとなっているが、交渉経過が重要になることが多いため、時系列は心がけている。

  •  朝のあいさつはハキハキと
必ずすれ違う人には大きな声で「おはようございます」をいう。帰りはなかなかすれ違うことが少ないため、「お先に失礼します」が聞こえたらとにかく大きな声で「お疲れさまでした」を言う。

  • 仕事は根回し 


幸いにして本部昨日がある建物で働いているため、審査部門への根回しは物理的に容易にできる。朝コーヒーを飲む時、休憩時のタバココーナーで近く回す案件や疑問点について質問して案件時に知らぬ間に備える形になっている。

  • 仕事は盗んで、真似るもの 

自分で本を読んで学ぶことも多いが、実践でどうするかは誰かがやったものをみて真似るのが一番はやい。

  • 情報は原点に当たれ 

金融関係は法律に基づく取引が多いため、ネットや本で調べるだけでなく関連法令も押さえておく必要がある。これがあるかないかで説得力はものすごく変化する。

  • 仕事は総力戦 
本書でもたびたびでてくる「50点でかまわないから早く出せ」は実践している。立て込んだ案件は稟議書にする前に相談書で概要をみんなに話、アドバイスをもらうようにしている。これがあるだけで自分の中での稟議書の方向性が示せてスピーディに仕事ができる。

  • 本を速読するな
以前は早くたくさんの情報を仕入れるため速読セミナーにも参加したことがあったが、私自身どちらかというと丁寧に読んでメモしながら理解していく方が性に合っている気がしている。「古典を読んで理解でいなかったら自分がばかだと思いなさい」とあるが、ばかが直るまで理解できるような読み方をしたい。

  • ファイリングしない・ブクマもしない
これを読んで早速ファイルを整理した。事務連絡等をファイリングすることが目的になっていたことがよくわかった。ファイリングしても読まない事務連絡は全て破棄。どうしても必要な数点のみファイリング。それ以外のものはだいたいどこをみればよいのかは意外とわかっているものである。あわせてやっていきたいのは、使えると思った情報をメモに残すこと。これをやればさらにファイルの整理ができるだろう。

  • まずは英語を「読める」ようになれ
願望ばかりが先行して一番難航している英語。会話をする機会はほとんどない。だけど日本語だけで情報を得るのはもったいないので英語が読めるようになりたい。twitterの英語情報の見出しだけではなく、もう少ししっかりと読めるようになりたい。そのためには、プリントアウトでもいいからやはり紙媒体にした方がよいのか考えるところである。

  • 社会人はアウトプットがゴール

普通に過ごしているとなかなかアウトプットする場面に恵まれない。同じ支店でない人と食事に行ったり、幸い大学時代の同期とはよく会う中で様々な話題ができる人たちが集まっているので、そういう場面を作りながらアウトプットの練習をしていかないといけない。そうしないと、質のいいインプットができなくなってくると最近感じている。

  • 脳に負荷をかけよ
なれないものに対して脳の反応は格段に落ちてきているのを実感する年齢に入ってきた。多少興味が薄くても必要と感じたものを読み、脳に負荷をかけ脳の筋トレを行っていこう。

  • 感動はためらわずに伝える
ほめるべきところはしっかり後輩に対してほめていきたい。

  • 休息を取ることも「仕事」だ 
しっかりとした睡眠を取るのが一番だと思う。そのためには無駄な時間を如何に省くか。休息していることと、ダラダラしていることの線引きをもっとしっかりとやる必要がある。

  • ビジネスマンはアスリート
頭をすっきりさせるためのトレーニングはやはり必要。毎日練る前に軽い運動と、週末のジムに行かないとすっきりしないようになっているので、これを継続していきたい。

  • 同期とはつき合うな 
入社当時から実践中。

  • 小さな出費は年額に換算してみる
タバコもそうだが、コンビニでの買い物はついつい無駄なものを買いがち。そして食べ物であれば食べ過ぎにつながる。そして健康を害する。お金をケチる訳ではなく、出費を見直すことで健康を保ちたい。

以上、21個になってしまったが、実践していることは今後も継続し、今までできていなかったものは少しでも意識してやっていきたい。この21個のうち、いくつはメモに移りいつでも見直せるように準備しよう。









2011-10-17

『下町ロケット』池井戸潤


銀行員の視点から読むと耳が痛い点がたたある。銀行は雨の日に傘を取り上げ、晴れの日に傘を差し出すとはよく言われることであるが、書中でもそういった場面は登場する。同業である私も、知らぬ間にそういうことになっていないか。または雨の日に傘を貸せなくても、少しでも雨を凌ぐ方法を考えているか。自問させられた。

また、大企業と中小企業の取引関係についてはその厳しさをまざまざと見せつけられたが、これには一長一短あるだろう。中小企業側からみれば「何もそこまで」と思うようなテストも、大企業からすればエンドユーザへ納入するのだから不良品があってはならない。不良部分は他社調達の部品でしたのでは済まされない。そうであれば、テストの厳しさはやむを得ない点もあるだろう。

本書では製品供給か特許売却かで揺れ動く中での場面で上記内容が出てくるため、中小企業叩きにみえなくもないが、そういう捉え方だけでは不足していると思う。

本書の最大の醍醐味はそういった細かいところではなく、中小企業が社員一丸となって大きな契約に結びつけるところでの団結力であり、また中小企業代表者の決断力を描いている点であると思う。私の勤務する会社もそれなりの人数的規模で営業拠点も多数存在するが、そこのトップは実態は中間管理職であるとはいえ、その営業拠点ではトップである。その場その場のトップは否応無しにいつも決断を迫られ、迫られた決断を下したにも関わらずさらに上からの方向性の違った決定に不本意に従わなくてはならない時も多々ある。そういう時も腐らず気がついたら同じ方向に走っていたと言ってしまえばただの風見鶏になってしまうが、それをしても風見鶏になってしまったと思わせないだけの魅力が上に立つものには必要なのだろう。


下町ロケット 池井戸潤 小学館(第145回直木賞受賞作)

zenback